へばな、初恋

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 飲み会は、そのまま二次会、三次会と続き、気づけば日付が変わっていた。  沙帆は、トイレのついでに店外に出ると、実家に「もう少し遅くなる」と連絡をいれた。そうしなければ、心配性な父親がいつまでも寝ずに待とうとするのだ。 「大丈夫、ちゃーんとタクシーで帰っけ。心配いらねぇって」  へばな、と通話を終わらせたところで、背後から「男?」と声をかけられた。  沙帆は、驚きのあまり短い悲鳴をあげた。いつのまにか、店の入口のところにノボルが立っていたのだ。 「違いますぅぅぅ。──実家さ電話かけただけだべ」 「知ってますぅぅぅぅ。今のはただの仕返しだし」  にやりと笑うノボルに、沙帆は返答をつまらせた。  ノボルの「仕返し」とは、おそらく最初の店での発言のことだ。沙帆が「恋人ができたのでは」と指摘したせいで、彼はそのあと皆からさんざん質問攻めにあっていた。意趣返しのひとつやふたつ、してやりたくなるのも無理はない。  けれど、ノボルは「うそうそ」と目を細めた。 「仕返しなんかしないって。むしろアレ、助けてくれたんだろ。悪かったな、気を遣わせて」  どこか気まずそうに頭を掻くノボルを、沙帆はまじまじと見つめてしまった。  まさか、当人からそんな指摘を受けるとは思ってもみなかった。沙帆は、こそばゆいような──それでいて妙な気まずさを噛みしめる。 「べつに……あんたさ、気遣ったわけでねぇ」  ノボルが意に染まない発言をすることが嫌だった。だから、それを阻止しようとしただけだ。つまりは「自分自身のため」の行動にすぎない。  なのに、ノボルは緩く首を振った。 「あのとき、お前が割り込まなかったら、約束破るところだった」 「……え?」 「『標準語を身につけるまでは封印する』って自分で決めたのに──皆の圧力に負けて、こっちの言葉を喋るところだった」  思いがけないその告白を、沙帆はまず口のなかで転がした。  標準語を身につけるまでは封印──ということは、彼自ら「地元の言葉」を禁じたということにならないか。 「ええと……それは、なして?」  沙帆の問いかけに、ノボルは素早く周囲を見回した。そして、沙帆の隣に並ぶと「これ、ナイショな」と声をひそめた。 「俺、実は映像系の制作会社で働いててさ」 「制作会社……」 「ドラマとか、そういうの作る会社。俺、そこでADやってんの」  初耳だ。仲間内では「ノボルは東京の会社に就職した」としか広まっていなかったし、今日の飲み会でもそうした話題は出なかったはずだ。 「ただ、入社したばかりのときは方言をなおすつもりはなかったんだよ。先輩たちからは『なおせ』って言われたけど、俺、こっちの言葉好きだし、なんていうか……俺のアイデンティティみたいなものだろ?」  でもさ、とノボルは視線を落とす。 「あるとき、現場入りした俳優が、微妙にイントネーションがおかしい人でさ。役柄上、標準語で話してもらわないと困るからNGが出るわけだけど、じゃあ、それをどう直せばいいのか──俺にはわからなくてさ」  当然だ、標準語を話せないのだ。そんな自分に、他人のイントネーションを修正できるはずがない。 「で、初めて『まずいかも』って……それで『標準語を身につけなくちゃ』ってなってさ」  そんなわけで、今は方言を「封印」して、必死に標準語を習得しようとしているらしい。 「だから『地元を捨てた』とか『気取ってる』とか、そういうことじゃないんだ。俺、こっちの言葉を恥ずかしいと思ったことないし──仕事のことさえなかったら、ずっと方言で通すつもりでいたし」 「けど、なおすんだべ?」 「そりゃ……だって、いつか自分でドラマを撮りたいからさ」  ノボルの目が、きらきらと輝く。なんなら、今回の帰省でいちばんの輝きを放っているかもしれない。  沙帆は、半ば無意識のうちに胸元をギュッとつかんでいた。そうしなければ、例の如く、脈拍が暴走しそうだったのだ──それこそ、初めて彼に恋をした、中学時代のように。 (やっぱ無理だべ)  たぶん、最近の自分はずっと探っていたのだ。  この初恋を、あきらめるタイミングを。  年数ばかりが更新されて、それなのに叶う見込みがまるでないこの恋を、なにかしらのきっかけで手放してしまえないか、と。  それなのに、今日また沙帆の「好き」は更新されてしまった。さつきに指摘されたとおり、まだまだ「へばな」は言えそうにない。 「つーか、沙帆って明日ひま?」 「……へ?」 「ひまなら映画でも行かね? 俺、観たいのあるんだけど、ひとりで行くのも寂しいしさぁ」  これは……片想い9年目にしてはじめての展開ではないだろうか。信じられない思いが先に立って、するりと言葉がでてこない。  そんな沙帆の前で、ノボルは「あ、もしかしてダメそう?」と眉を下げる。 「まあ、急すぎだもんな。悪い、気にしないでーー」 「行く! 映画行くべ!」  ようやく、言葉が転がり出た。  みっともないほどの大声で、すぐそばの歩道を歩いていた人が驚いたように振り返っていたけれど。  ああ、まずい……嬉しいけれど恥ずかしい。  気まずげに視線をさまよわせる沙帆に、初恋の彼はにぱっと笑った。 「んだば、約束な!」  半年ぶりに聞いた、この町の言葉とともに。
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