タイトル案:「夏に刻まれた僕らの音」

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第一章:夏のはじまり 朝、真嶋直樹は窓から差し込む眩しい日差しを顔に受けて目を覚ました。まだ薄暗い意識の中で、彼は微かに聞こえる蝉の鳴き声に耳を傾ける。夏が始まったのだ。窓から流れ込む風には湿気が混じり、ほんのりと土の匂いが漂ってくる。この季節特有の空気が、すぐに彼を現実へと引き戻す。 枕元の目覚まし時計に目をやると、すでに登校時間ギリギリ。あと数分後には家を出ないと遅刻することは明白だったが、直樹は布団の中で一度深く息をついた。特に急ぐ理由もなく、彼はゆっくりと体を起こした。 「今日もいつも通りだろうな……」 彼の声は、寝静まった家の中に吸い込まれるように消えた。日々が変わらないことに、直樹はどこか諦めていた。学校に行き、適当に授業を受け、友達とくだらない話をして帰る。何もかもがルーティンで、その先にある未来も見えない。彼の胸に何かを熱くさせるものは、もうどこにも存在していなかった。 制服を羽織り、鏡に映った自分の姿を確認する。特に目立つこともなく、特別に特徴があるわけでもない平凡な高校生。短い黒髪、どこか眠たげな目、そして少し猫背の体。直樹はそんな自分に見慣れてしまった自分にふと苦笑いを浮かべ、鞄を手にして玄関へと向かった。 「行ってきます」 誰に向けるでもない挨拶をつぶやき、家を出る。家は静かだ。両親は朝早くから仕事に出ており、普段は家で顔を合わせることはほとんどない。そんな家の雰囲気が、彼にとっては心地よい静けさであり、同時にどこか寂しさを感じさせるものでもあった。 外に出ると、じっとりと湿った空気が肌にまとわりつく。真夏の気配が確かにそこにはあった。通学路を歩きながら、彼はふと目を細めて遠くの空を見上げる。雲ひとつない青い空が広がっている。だけど、心はそれに呼応するような爽快さを感じることはなく、ただ淡々と過ぎ去っていく時間を追うように歩き続けた。 通学路の途中に、いつも気にかかる場所がある。それは、幼馴染の宮園咲が住む家だ。家の前には小さな庭があり、季節の花がいくつか植えられているが、彼女の家自体はどこにでもありそうな古びた一軒家だ。だけど、直樹にとってはそれが特別だった。彼女とは小さな頃からの付き合いで、何をするにも一緒だった。それは、ある意味で日常の一部だった。だが、今では彼女との距離が確実に遠ざかっているのを感じていた。 咲の家の前を通るたびに、無意識のうちに視線がその家に向かう。そして今日も、彼女は家の前に立っていた。直樹は、その姿に少しだけ胸が騒ぐのを感じた。風が彼女の髪をふわりと揺らし、制服のスカートが軽く舞う。咲は遠くを見つめているようだったが、その視線の先には何もないように思えた。彼女が何を考えているのか、直樹には分からない。 直樹は少しだけ迷った。声をかけるべきか、それともそのまま通り過ぎるべきか。咲とは、最近ではほとんど話すことがなかった。お互いに気まずい空気が流れ、どこか無理に距離を保っているような関係になっていた。それでも、彼女がそこにいるだけで、何かが変わるのではないかという期待が心の片隅にあった。 直樹は少しだけ迷った。声をかけるべきか、それともそのまま通り過ぎるべきか。咲とは、最近ではほとんど話すことがなかった。お互いに気まずい空気が流れ、どこか無理に距離を保っているような関係になっていた。それでも、彼女がそこにいるだけで、何かが変わるのではないかという期待が心の片隅にあった。 だが、結局直樹はそのまま歩き続けた。特に理由があるわけではなかった。ただ、何も言わずに彼女の前を通り過ぎようとしたその瞬間、咲がふいに口を開いた。 「おはよう、直樹くん」 静かで柔らかな声が背後から聞こえた。彼は驚きとともに振り返った。いつもなら、彼女が自分に声をかけることはなかったからだ。直樹は一瞬言葉を失いかけたが、すぐに慌てて返事をした。 「あ……おはよう、咲」 咲は小さく微笑んで、軽く頭を下げた。その笑顔は、昔のままだった。変わらない、どこか優しさを感じさせる笑顔。しかし、その笑顔に直樹はどこか違和感を覚えた。それは、以前のような親しみのある笑顔ではなく、どこか遠く感じるものだった。 二人の間にしばし沈黙が流れる。直樹は次の言葉を探していたが、何も見つからなかった。ただ、彼女の微笑みを見つめたまま、時間が過ぎていった。結局、咲はそのまま別の道へと歩き出し、直樹もまた自分の足を動かした。再び静かな朝の風景が戻り、二人の間には何もなかったかのように距離が広がっていった。 教室に入ると、すでに数人の生徒たちが席についていた。夏休みを目前に控えた教室は、どこか浮かれた空気が漂っている。真面目にノートを開いている者もいれば、友達と雑談をしている者もいる。それぞれが自分の時間を過ごしながら、夏の訪れを待っていた。 「真嶋! 昨日テレビ見たか?」 隣の席に座る北川が、弁当を広げながら話しかけてきた。彼はクラスでも陽気な性格で、誰とでも気さくに話すムードメーカーだ。直樹は適当に返事をしながら、机の上に教科書を置いた。 「うん、ちょっとだけ」 特に話題に乗る気分でもなかったが、北川はお構いなしに話を続ける。彼の無邪気さに直樹は少しだけ癒やされるものがあったが、それでも心の中にはどこか満たされないものが残っていた。窓の外をぼんやりと眺めると、蝉の声が一層大きく聞こえる気がした。 そんな中、教室のドアが開き、担任の先生が入ってきた。 「はーい、みんな、席について!今日は大事なお知らせがあるから、しっかり聞いてね!」 先生の声に教室が少しざわつく。何が起こるのか、全員が注目する中で、先生は満足そうに話を続けた。 「今日はみんなに新しいクラスメイトを紹介します。彼は最近引っ越してきたばかりだから、しっかりと迎えてあげてね。では、どうぞ!」 教室のドアがもう一度開き、一人の少年が入ってきた。短い黒髪、鋭い目つき、そして背が高く、どこか落ち着きのある雰囲気を纏った少年。彼の姿が教室に現れると、瞬時に空気が張り詰めた。 「橘遙斗だ。よろしく頼む」 その冷静で端的な自己紹介に、教室全体が静まり返った。彼は周囲に目もくれず、空いている席に向かって歩き出した。その堂々とした態度に、誰も声をかけることができなかった。 直樹は橘が自分の隣の席に座るのを見て、ふと胸の奥がざわつくのを感じた。この出会いが、彼の日常を大きく揺り動かすことになるとは、このときはまだ想像もしていなかった。
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