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04 好きでいること
元来、研究者という仕事は性分に合っていたのだろう。何かを調べたり、顕微鏡の小さな穴を覗き込んだりするのは好きだし、新しい発見をしたらどんなに美味い酒を飲んだときよりも興奮する。
リアムの部屋の二つ隣は空き部屋で、公爵家の人間は誰もその部屋を使っていないため、三年前からそこは小さな研究室となっていた。研究所で廃棄になる古い器具や余った薬品なんかを持ち帰り、リアムは趣味のために使っていたのだ。
「わあぁ……!小学校の理科室を思い出すわ。ああいう場所ってどうしてガイコツの模型があるのかしらね?夜中になると動くとかって脅されたけど、この世界でもそういう怪談ってあるの?」
「かいだん?」
「怖い話って意味。音楽室の壁に掛かった肖像画が動くとか、トイレの一番奥に鍵が掛かってて呻き声が聞こえたから押し入ったら誰も居ないとか……」
「天使なのに随分と人間のことに詳しいんだな」
「………貴方って意地悪ね」
再び頬を膨らませたカヤの足元に、乱雑に置かれた空き瓶が転がっていたので思わず腕を引っ張った。小さな頭がポスッとリアムの胸に触れる。そのままカヤは視線を上げるものだから、見つめ合う二人の間に不思議な空気が流れた。
昼過ぎの木漏れ日がカーテンの隙間から差し込んで、茶色い瞳を照らす。虹彩の一部が明るく変色して、美しいと思った。
「ごめん、」
何に対してか分からない謝罪を述べて身体を引き離す。散らかっているから気を付けて、と言うとカヤは机の上に並んだ顕微鏡の一つを覗き込んだ。
「すごいわね。肉眼では見えないのに、このレンズの向こうには小さな世界が広がっている」
「そうなんだよ。研究者をしていると、ときどき得した気分になるんだ。僕は普通に歩いてる人が到底知ることが出来ない深い世界に好きなだけ潜ることが出来る権利を持っているんだって……」
語りながら、穏やかにこちらを見つめるカヤの姿を見て少し恥ずかしくなった。
初対面の人間相手にキラキラと目を輝かせてこんな話をするのは良くない。こういうことは自分の胸の内だけで思っていれば良いことで、共有すると途端に変人扱いを受けることになる。剥き出しの知的探究心は他人に理解されがたいから。
「………面白くないだろう。もうこの部屋は良いよ、僕はこの通りただの生真面目な研究者であって何も愉快なところはない」
「そんなことないわ」
「………?」
カヤはふっと微笑むとリアムの前に顔を寄せた。
甘い香りが鼻腔を掠めて暫し思考が停止する。彼女がついさっき食べたマシュマロの香りだと結論付けるのに、随分と時間を要した。
「好きなのね、研究するの。何かを好きな人の話ってすぐに分かる。すごく楽しそうに話すから、こっちまで嬉しくなっちゃうもの」
ありがとうね、と言い添えてカヤはまた別の顕微鏡を覗き込んだ。
リアムは咄嗟に言葉が出て来なかった。誰かにこんな風に認められるのは初めてで。変わり者扱いではなく、肯定の言葉を受けることがこれほどまでに幸せなことだなんて。
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