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01 変な女が落ちてきた
目に見えないものは信じない。
自分が見たことのない幻の生き物も同様。
幽霊、怪物なんかが本当は存在しないと悟ったのは物心がついてすぐのことで、我ながら可愛くない子供だったと思う。「おばけが出るから」と夜中にトイレに行くのを怖がる同じクラスの学生なんかに、幽霊といったものが何故存在しないかを懇々と説いたところ、次の日からは変人という扱いを受けるに至った。べつに良いけれど。
アカデミーを卒業すると、同じような変人が立ち上げた研究施設に誘われて、特にやりたいこともなかったので流されるままに研究員となった。
こんなことが許されるのもきっと、リアムがマクレガー公爵家の次男だからだろう。公爵家の次男、それは非常に便利な立ち位置で、家を継ぐ必要もなければ跡継ぎを急かされる心配もない。未婚のまま二十歳半ばになったリアムは屋敷では空気のように扱われ、幽霊の存在を信じない自分が今では同類の扱いを受けているのは皮肉な話。
そんなリアムの元へ、天使が降って来た。
「わっ、わわっ、わぁっ……!!」
ボフッと白いドレスが大きく広がる。
驚いて見上げた先には茶色い瞳を丸くした女がこちらをマジマジと見つめていた。茶色い瞳に黒い髪、顔立ちはこの国のどの人間とも異なる。
リアムは三秒ほど思考を停止した。久しぶりの仕事休みということで、自分はつい先ほどまで中庭で昼寝をしていたのだ。心地良い気温に肌を撫でる風が深い眠りに誘ってくれると期待した矢先の出来事。
「………どちら様ですか?」
思ったより不機嫌な声が出た。
女は慌てたようにバタバタと脚を動かせる。
「すみません!重いですよね、絶対に重いと思うんです。だけど落ちた拍子に腰をやってしまったみたいで上手く力が……」
言い訳めいたセリフを並べて女は涙を浮かべる。こんな場面を使用人にでも見られたらどんな噂を流されるか分からない。
リアムは頭をよぎったリスクを排除するために、上体を起こした。女の顔がグッと近くなる。とりあえず害を加えるつもりはないのだと伝えたくて、その腰を掴んで隣に下ろした。
「うぎ……っ!?」
「いちいち驚かないでください。適切な距離を取るために移動させただけです。貴方はそこまで重くないですが、僕たちの体勢はよろしくなかった」
「あっ、ですね………」
何故か赤面しつつ女は咳払いをする。
面倒な女に出会してしまった、と内心小言を溢しながら、公爵家の敷地内ということで身元を尋ねてみることにした。不審者であれば門番に引き渡すまで。
「もう一度聞きますけど……貴女はどちら様ですか?返答次第では僕は自分の身を守る必要がある」
「え、えっと、私は………」
女はキョロキョロと辺りを見渡して、自分の服装を見下ろした。ふんわりとした白いドレスの背中には小さな作り物の羽が生えている。右手首は怪我でもしたのか、包帯が巻かれていた。
「天使です」
「………は?」
「見ての通り、天使です」
再び三秒の沈黙。
僕は立ち上がって口元に手を当てる。
そして、大きな声で、自分が最も信頼している使用人の名を呼んだ。
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