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前編
「そんな話ってあるっ?」
蘭は目の前にいるわかりやすい恰好をしている女神っぽいなにかに向かって啖呵を切る。
「私、今死んだわよねぇ? あの殺人鬼の仕掛けた罠に嵌って、死んだわよねぇ? 悔しいけど仕方ないわ。私の負けだもの。で、心穏やかに天に召されるんだと思ったら、急に呼び止められた挙句、死に戻れって?」
「ええ、まぁ」
女神っぽいなにかはにっこりと笑って首を傾げる。
「んでもって、若かりし頃の蓮見五郎に会って、落とせ……ですって?」
「ええ、まぁ」
同じポーズを崩さず、同じように微笑みを浮かべる。
「冗談でしょっ」
ツン、とそっぽを向くと、背後から、
「世界を救える可能性があるの、あなただけなんですよねぇ」
と、今度は溜息交じりの声がする。蘭はくるりと振り返ると、
「終わりゆくのが定めなら、世界なんか滅びればいいんじゃないっ?」
なんの決め台詞かわからないような言葉を口にする。
「それは困るのよ。だからね、お願いします」
胸の前で手を合わせ、可愛く片目を瞑る女神っぽいなにか。目の前の光景をどう捉えればいいのかわからず、蘭は頭を掻いた。
スノードロップこと、蓮見五郎は、蘭が追っていた重要人物だ。国家の秘密機関に身を置く蘭としては、もっと早く五郎を捕まえたかったのだが、いつもするりと網を潜って逃げられてしまう。今日もそうだ。あと一歩のところまで追いつめたのに、結果的には裏をかかれた。負けたのだ。だったらその負けを潔く認めるしかないではないか。
「リベンジ」
静かに、女神が言った。
「……えっ?」
「リベンジですよぉ。したくありません? リベンジ」
うりうり、と肘で突かれ、目を泳がせる。
「そりゃ……、」
蘭は、負けず嫌いだ。幼い頃体の弱かった蘭は、奇跡的に命を取り留めることとなる。その経験があったからこそ、生きることの意味を考えるようになった。弱きものを守ること。それが蘭の出した答えであり、だからこそ男社会であるあの職場で、それも第一線で働いていたのだ。正義の名のもとに、悪人たちを捕まえる。小さい頃からの夢を叶えたのだ。
「あなたの正義感ってそんなに簡単なものだったのぉ? このままだと悪人のせいで世界が滅びるって分かってるのに、せっかくのリベンジの機会、みすみすポイと捨てちゃうみたいな真似、まさかできないでしょぉ?」
「うっ」
痛いところを突かれ、胸を押さえる。
「三十二歳。イロコイもないまま正義のためだけに生きてきたのよねぇ? あ、そっか! 経験ないから死に戻っても蓮見五郎を落とせる自信がない、ってこと?」
クスクス、と口元に手を当て、笑う。
「ちょっ、馬鹿にしないでよっ。恋愛はねぇ、私が必要ないと思ってただけで、こう見えても若い頃はすこぶるモテまくってたんですからねっ!」
ムキになって答える。
「じゃ、過去に戻って蓮見五郎を落とすことなんて簡単?」
「ええ、そんなの赤子の手をひねるより簡単な、」
「ふふふふ、」
「はっ」
嵌められた! と思った時にはもう遅かった。
「では、改めて命じます。篠宮蘭、あなたに一週間の時間を与えましょう。今から二十年前に死に戻り、蓮見五郎を落としなさい。あなたは……そうね、二十歳でどうかしら? 蓮見との年齢差もピッタリでしょ? さぁ、世界を救ってくるのです!」
ピッと蘭を指し、キリッとした表情で言ってのける。
「ちょ、本気なのぉ?」
「ええ、イチミリの冗談もありません。もし彼を落とせなければ、世界は滅ぶ。すべてはあなたにかかっているのです!」
グッと拳を握り、天に突き上げる。
「てか、過去に戻るってことは、私もいるのよね? そこに」
過去の自分と遭遇してしまったらどうするんだ? 一つの世界に二人の自分。おかしなことになる。
「もちろん、過去のあなたには遭遇しないように配慮します。それとあなたには帰る家も頼れる人もいない状態であることを忘れないでね」
無茶苦茶だ。
「……重すぎる話だわ」
ガックリと肩を落とす蘭に、女神は笑顔で、
「あらぁ、そんなことないわ。蓮見は一人暮らしよ? 家に上がり込んで、あなたの魅力でサクッとスパッと蓮見五郎を落としていらっしゃ~い!」
バン、と背中を叩かれた。
そして次の瞬間、蘭はボストンバッグ片手に、蓮見五郎の住む家の前に立っていたのである。
*****
「コードネームはスノードロップ。花言葉は『あなたの死を望みます』ですね」
少し緊張した表情で、やや早口にそう口にした。続けて、
「篠宮蘭です。あなたを落とすために来ました」
と、強い口調で言う。
ぎゅっと拳を握り締め、相手を睨み付ける。そう告げられた男は、表情をそのままに立っていたが、ピク、と一度だけこめかみのあたりが動いたのを、蘭は見逃さなかった。
「あなたのことは知ってます。蓮見さん……ですよね。年は現在二十一歳。私がどうやら二十歳らしいから、年齢差とか、悪くないと思うんだけど?」
喋り続ける蘭に、スノードロップこと、蓮見五郎はそのポーカーフェイスを崩さざるをえなくなっていた。
ここは誰にも知られていないはずの蓮見の住処。唐突に現れた女が、何故か誰も知らない中二病的個人情報をバンバン突き付けてくるのだ。蓮見としてはそれがどういうことなのか理解したい。新手のストーカーかもしれないと警戒を強める。
「お前、なに言ってんだ?」
「ですよね! 疑問を抱かれるのはごもっとも。でも私が真実を語ったところで、あなたは絶対に信じないでしょう!」
「は?」
地の底から出してるのか、と言うほど低いドスの利いた声で『は?』と言われ、さすがにたじろぐ蘭。相手はあの、スノードロップなのだ。真実を口にすれば、もっと恐ろしいことになりそうだった。
「とにかく! この一週間が勝負らしいので! どうぞよろしくお願いしますっ」
と言い、深々と頭を下げた。
「よろしくって、一体何のことだっ」
見れば、足元にはボストンバッグ。それが意図することは……、
「お世話になりますっ」
つまり、押しかけて来たのだ。
「冗談じゃない! 出ていけっ」
ドアを閉めようとする五郎の手を止め一呼吸置くと、蘭はまっすぐに目を見て、話し始める。
「あなたは、世界を滅ぼそうとしている」
「……は?」
突拍子もない話に気が抜ける。
「今から話すことは、とんでもなく変で、とんでもなく奇天烈な内容だけど、とりあえず聞いてほしいの」
真剣な眼差しを向けられ、ふん、と鼻を鳴らす。
「まず、あなたは将来、世界を滅ぼそうとします。詳しくは話せないけど、とある組織に入って危険なあるものを使って世界を震撼させる。実際、この国だけじゃなく、全世界の人間を恐怖に陥れる超危険人物になるのよ。スノードロップという通り名を、皆が知っている」
「はぁぁ?」
奇天烈にもほどがある、といった内容だった。そもそも世界を滅ぼそうなどと具体的に考えてはいないし、そんな力もない。しかし、蘭は真剣な顔で話を続けた。
「私はね、あなたを止めようとしてたの。どうにかしてこの手で……。だけど、結果的には失敗に終わった。死んだのよ」
「……お前、頭おかしいのか?」
五郎が半眼で蘭を見つめる。蘭は肩を竦め、
「そう思うのは当然よね。私だってこんな話、どうやって信じてもらえばいいのかわかんない。ここから先はもっと頭のおかしな発言になるけど、聞いてね」
前置きをすると、コホン、と咳払いをする。
「私は死んだ。そこですべてが終わるはずだった。でも、薄れる意識の向こう側で名を呼ばれた。光の中でその人は、こう言ったの」
手を胸の前で組み、それっぽい雰囲気を醸し出す。
「世界の運命はお前の手の中にある。今から過去に戻り蓮見五郎に会いなさい、って」
「……はぁ?」
「会って、落としなさい、と」
最初から最後まで、真剣そのものの顔で語り尽くした。だが、蓮見の顔はどんどん曇り始め、最後には何とも言えない呆れ顔で蘭を見ていた。
「ね? 信じないでしょ?」
ふぅ、と大きく息を吐き、
「でもいいわ! 私があなたを落とせばいいんだものっ」
開き直る。それが今の自分に与えられたミッションだというなら遂行するのみ!
「……お前、頭おかしいのか?」
真面目な顔でまたもやそう言われ、蘭が目を見開く。
「はぁ? そりゃ、そう思われても仕方ないかもしれないけど、話を聞きたがったのはあんたでしょうがっ?」
どうも調子が狂う。これがあの、世界を震撼させたスノードロップその人なのか。
「お前の目的が分からない」
「えええ? 今までの話、聞いてた? 私、説明したわよねぇ?」
手をバタバタさせながら詰め寄る蘭を押し退け、
「作り話にしてはバカげている、だが、誰も知り得ないことを何故か知っている。どちらにせよ現実味がなさ過ぎて判断できかねる。さっきの情報をどうやって知ったのか教えろ」
ぶっきらぼうに問う。
「だぁかぁらぁ、私はずっとあんたを追ってたの! 三十路を超えるまで恋人も作らず、結婚もせず、ずっとね! あんたのことなら誰より詳しいわよ!」
「……ストーカー」
「違うってば!」
自分が追っていたころの蓮見よりだいぶ若い目の前の青年は、これから先、世界を恐怖に陥れようとするような人物には到底見えなかった。多少やさぐれてはいるが、シャープな顔立ちの、クールビューティー。前世で目にしたときの、深い闇はまだ感じない。
「よく見たらいい男じゃない。なんであんなに歪んじゃうのかしらねぇ?」
ずけずけと言いたい放題口にしていると、五郎が電話を手に、
「出て行け。さもなきゃ通報する」
と脅し(?)をかけてきた。
「ちょ、待ってよ! この世界、私にはあんたしか知り合いいないんだからっ」
「知り合いじゃないだろ。完全にイカレてやがる」
「どこもおかしくなんかないわよっ」
叫ぶ蘭に、五郎が溜息を吐くと、なにかを考えるように一度天を見上げ、蘭の手を取った。
「な、ななななにっ?」
そのまま玄関から家の中に引きずり込み、壁に追いつめ押さえ付ける。
「落としに来たんだな? なら、好きにしていいってことだな?」
顔を近付け、迫る。そういうことに免疫のない蘭は完全にテンパってしまい、つい、いつもの癖で……相手の腕をねじり上げてしまった。
「いててててっ」
まさか若い女性にそんなことをされるとは思っていなかった五郎は、ものの見事に玄関の床にねじ伏せられていた。
「あ、やだごめんなさいいつもの癖で!」
蘭が慌てて拘束を解いた。
「くそっ、なんなんだお前はっ!」
心底悔しそうに言われ、蘭はちょっぴり気分が上がった。なにしろ前世?では五郎のいいように好き放題されていたのだ。それがどうだ。この世界では自分が優位に立っている!
「ああ、まさかあんたの吠え面が拝めるなんて……幸せ」
言い方は悪いが、真実である。
「この、不法侵入者が! とっとと出てけ!」
怒鳴られる。相当怒っているようだ。当たり前か。
「だから、ごめんって。でも、仕方ないじゃない。正当防衛だし」
「それはこっちの台詞だろう! いきなり家に来ておかしなこと口走るストーカーめ!」
埒が明かない。
大体、なぜ未来の五郎を止める手段が『落とす』なのか。他にも更生させる手段はありそうなものだ。それに、なぜ『一週間』なのか。
「ねぇ、今日から一週間のあいだになにか予定とかある?」
「は?」
「この一週間に、あなたに何があるって言うのかしら……?」
蘭は真面目に考え始めたのである。
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