酒は裏切らない、自分が不調じゃない限り

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酒は裏切らない、自分が不調じゃない限り

 酒を飲む人間は大きく二種類に分別できる。  酒を楽しみたいタイプか、酒で紛らわしたいタイプ。  酒場というより大人だけが集まる隠れ家のようなバーで働きはじめて、身につけた経験則はこれだけだった。  客の立場の時はかっこよく見えたバーテンダーと呼ばれる存在もただの人間の一人なのだろう。  憧れてバーテンダーになったわけではないが、もしかすると自分も今までよりもっとまともで善良なやつに。 「おい、飲み逃げ。一時間ほどあけるから留守を頼む」 「了解です。おやっさん」 「分かっているとは思うが……この前みたいに逃げ出しやがったら今度こそ警察に」 「そんなことしませんよ。ただ、ちょいと店にある安いワインの内容量が減っているかもしれませんがね」 「ほどほどにな。じゃあ行ってくる」  職場環境も良く、おれの肌に合っていた。  問題があるとすれば仕事中に両足がふらつく時があることぐらい、おっとこのワインはさすがに怒られるな。  接客の基本は客に酒を楽しんでもらえるように対応をすること、とても簡単でこの店の唯一のルール。  おれもよく知っているが酒は薬にも毒にもなる。  薬になった場合は放置、毒になった場合は面倒。  おやっさんも酒を毒にした連中を数えきれないほどに相手にしてきたとか……その中でも一番の問題児は飲み逃げをしたやつらしい。  まあ、その飲み逃げ野郎は口が上手くなんやかんやとこの店で働かせているんだとか。おやっさんも悪人顔のわりに甘い。 「同じ飲み逃げとして風上にもおけないからよ、いつか説教をしてやろうと思っているんだが。そのくそったれの飲み逃げが働いているところを見たことがないんだ。おやっさんの優しさも踏みにじるなんて」 「あの、失礼ですけれどその飲み逃げの従業員はあなたのことでは?」 「そんなわけないだろう、酔っ払っているのか」  とカウンター席に座る珍しいタイプの客に言う。  確かにおれも問題児ではあるがこの店の金を持ち逃げしようとした程度だ、格が違う。 「ところでおっ……客さんは珍しいですね。バーに来て酒を飲まないなんて」 「わたしもあなたみたいな従業員がいることが珍しいと思っていますよ。酒を飲みながら仕事をしていますし」 「このことはご内密に」 「そのおやっさんにはすでにバレてそうですがね」  浮かない顔をするだけでやっぱりおっさんは酒を頼みもしない……しばらくすると口を開いた。 「娘の話をしても良いでしょうか」 「お悩み相談も仕事内容に含まれていますので遠慮なくお客さんも吐き出してもらえれば」  ウォッカをラッパ飲みするおれなんかに話すわけないと勝手に思っていたんだがぁ、たどたどしくおっさんは話しはじめた。  よくある話だった。手塩にかけたかどうかは知らないが結婚できる年齢まで育てた娘が彼氏を紹介してきたんだとか。  嫁やこの世に誕生させたガキはいないが、おっさんの話はなんとなく共感できた。自分がこれまで大切にしてきた所有物にキズをつけられた感情に近いのだろう。 「大まかな内容は分かったが、お客さんは娘の彼氏くんを嫌っているのかい?」 「好き嫌いは関係ないよ……娘が選んできたのであれば善良な部分もあるんだと思っている」 「立派な父親ですな」 「そうかい? あなたならそれこそ嫌いそうだが」 「あー、いや。わりと好きなタイプのお客さんですね。お客さんは酒で紛らわすことなく良いことも悪いことも受けとめそうな人間ですから」  むしろ、お客さんを嫌っていたのは隣の席で眠るその娘の彼氏くんだと思いますがとそちらに目を向けた。  薄暗い店内だしぃ、おれみたいに提供した酒を飲みたそうに見つめてない限りは目の前のお客さんが娘の彼氏くんに睡眠薬を飲ませたのは分からないだろう。  これから、どうするつもりなのかもよく分からん。 「これは単純な好奇心なんですが……お隣の彼氏くんはお客さんが育てた娘になにか悪影響でも?」 「悪い虫を叩きつぶすのになにか理由がいりますか」 「なるほど。ところで娘さんの名前は」 「ナンパするつもりで?」 「いえいえ、同じ名前の可愛くて奇麗な女性と出会えた時に惚れないようにしようと思っただけですよ」  あの日の出来事を改めて考えてみると当時のおっさんが相談してきた理由は一種の口止めのようなものだったのかもしれない。  一般人を大きく逸脱していた殺意はさておき。  よくある親子に関する身の上話、全貌が分かってから気づかされた可能性の一つ。  わざわざバーに来ても酒を一滴も飲まないおっさんに嫁や大切に育てたであろう娘とかは本当にいたのだろうか。  酒が好きだったかもしれない彼氏くんに誘われて無理に付き合うつもりだったパターンもあるが……あれほどの殺意を抱いていた相手と。 「おのぉ……お義父さん。どうかしましたか」 「ああ、すまないね。わたしがまだセイジくんぐらいの年齢の時に同じようなことがあったのをふと思い出していたんだ」 「良かったら、ぼくにも聞かせてもらえません」  と、わたしの娘が連れてきたセイジくんが熱心に話を聞いてくれている。ぎこちなく酒を酌み交わす。 「それからニュースとかは」 「なかったよ。途中でやめたのか……完全犯罪成立中のどちらかなんだと思う」  セイジくんが青ざめた。わたしと違って、やはり純粋で性格の良い好青年のようだ。 「ちなみにですけど、そのご年配のお客さんの娘さんの名前はなんだったんですか?」 「セイジくんもよく知っている名前だよ」  返事をしようとしたセイジくんの全身に酒がまわってしまったようで唐突に眠ってしまった。 「男が寄ってこない名前だと思ったんだがな」  それでも一緒に暮らしてくれて、大きく育ってくれた娘が選んできた男なんだ……文句は言うまい。 「おーい、こっちだ。こっち」 「あっ……ごめんね、パパ。お待たせ。セイジさんは」 「寝かせておいてあげなさい。疲れていたんだよ」 「はーい」  そう言って、わたしの娘はセイジくんの隣に座った。  かと思ったら、わたしの隣に娘が移動をしてきた。 「サービス、サービス」 「たまには母さんにも顔を見せてあげたらどうだ」 「パパみたいにお酒の飲みかたを注意しなくなったらぁ考えてあげなくもないかな」  若い頃のわたしと同じように無茶苦茶な酒の飲みかたをしているが。 「はあー、幸せ」  まあ、今日ぐらいは良しとしておこう。酒を美味いと感じられるのであれば、セイジくんを選んだことは正解だったんだろうし。
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