一話

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一話

  時代は平安の中頃になるでしょうか。  都には、内大臣家の姫が噂の的になっていました。名前を晶葉(あきは)姫と言います。黒く、艷やかな髪は滝の如くで二重で切れ長な瞳は少しばかり薄いけど、黒檀のような美しさと評されていました。まあ、本朝三美人の一人に挙げられる程に晶葉姫はずば抜けた美貌を持っています。けど、性格は底抜けに明るく、さばさばしていて。根っから元気と言う見かけとは全く違った内面の持ち主でした。  おまけに、なよなよした殿方は大嫌いで父君や母君が持って来る縁談を片っ端から断っています。ちなみに、晶葉姫には妹と弟がいました。妹は伊都葉(いつは)姫、弟は宇津木(うつぎ)の少将と呼ばれています。伊都葉姫は三歳下で十五歳、宇津木の少将は四歳下で十四歳でした。  今日も、伊都葉姫と公達方から届く文を読んでいましたけど。 「……伊都葉、私のお眼鏡に(かな)う方はいないわねえ」 「ほんにそうですね」 「私、何だったらね。宮仕えでもしようかしらと思うわ」 「……姉様?!」 「こうやって、室内に閉じこもっていたってね。出逢いも何もあったもんじゃないわ!」  息巻いて、晶葉姫は言いました。伊都葉姫は「また、始まった」と頭を抱えます。 「伊都葉、母様はおなごと言う物は従順であれとか言うけど!私な納得がいかないのよ、殿方とは対等でいたいわ!」 「はあ」 「かの「枕草子」の清少納言とか言う人も殿方と対等に渡り合っていたと聞くわ、そう言う風なお付き合いがしたいのよね」  伊都葉姫はやれやれと、苦笑いします。時折、姉の晶葉姫はなかなかに今のご時世にはあり得ない事を言いますけど。理解できなくもないだけに、反論はしません。ただ、相づちや頷くだけに留めています。今日も晶葉姫が満足するまで、静かに聞くのでした。  伊都葉姫が自室に帰って行くと、晶葉姫は脇息に寄り掛かります。ああ、疲れたと思いながら、考えました。  実は晶葉姫には前世と言える不思議な記憶や知識があります。まず、前世で住んでいたのが今から千年近くも後の時代の日の本の国であり、非常に平和で科学技術や医学などが進んでいて。姫はその国に住む三十を幾つか超えた女性でありました。  女性は名を河野南都子(かわのなつこ)といって、独身です。某中小企業に勤めていて実家暮らしでした。父と二人だけで静かな暮らしをしていましたが、急病により南都子は倒れます。そのまま、病院に救急車で搬送されましたが。呆気なく、息を引き取ったと言うのが最期の記憶でした。  そして、気がついたら。平安時代に逆行転生して、内大臣家の晶葉姫になっていたのです。ちなみに、自身が転生したと分かったのは晶葉姫が六歳の年の秋頃でした。  晶葉姫は翌日も、女房の宰相の君に代筆で返事を書いてもらっています。いわゆる口述筆記と言う形式になりますね。 〈風が吹き はらりと散るか 落ち葉には いかほどにかと 問ふもあるらめ〉  意味は「風が吹き、落ち葉が散っていますが。あなたの気持ちはどれ程のものかと問うのも野暮な事です」と、なるでしょうか。要は「あなたはそんなに本気ではないでしょう?」と言う裏の意味にも受け取れます。チクチクとした嫌味と相手は感じるでしょうね。 「……姫様、とりあえずは。三位中将様に送りますね」 「そうしてね」 「では、一旦失礼致します」  気まずげにしながら、宰相の君は退出しました。晶葉姫はにんまりと笑います。  よしよし、このまま行けば。両親からも言われないようになるわ。そうしたら、私好みのマッチョできりっとした男性を探しに旅に出るわよ!  内心で息巻きながら、晶葉姫は忍び笑いをするのでした。  数日後、晶葉姫はいつものように公達方から届いた文を読んでいましたけど。代筆をよく担当している宰相の君が傍らにいます。  ふと、宰相の君は晶葉姫を見つめました。姫は何事?と思いながら、視線を合わせます。 「姫様、ちょっとよろしいでしょうか?」 「どうかしたの?」 「あの、ある筋から絶対にお返事を頂くように、と言付けられまして」 「……宰相、その文は手許にあるの?」 「ございます、こちらがそうです」  宰相の君は困り果てた表情をしながらも、懐から一枚のご料紙を取り出しました。秋頃にふさわしい薄紅色のご料紙です。透かし模様に、楓があしらわれていました。なかなか、見事なご料紙にちょっとだけ姫は見惚れます。けれど、意識を振り払い、受け取りました。広げて内容を確認します。 〈声もなく 焦がれる虫の 如くなる 秋も過ぎいき 朽ち果てし身は〉  ただならぬ歌が一首だけ、散らし書きで綴られていました。意味は「声も出さず、あなたに恋い焦がれる虫のようになっています。秋(飽き)も過ぎていき、朽ち果ててしまった私ですが」となるでしょうか。  裏の意味は「あなたは私に飽きてしまわれたのか、忘れ去られては悲しい限りだ」と受け取れますけど。しかも、文には奥ゆかしいながらに渋めの香りが焚きしめられています。  晶葉姫は送り主が誰か、すぐに気づきました。 「……宰相、これは。あの方ね?」 「ええ、姫様のおっしゃるようにあの朝霧の君からになります」 「はあ、しつこいわね」  晶葉姫はうんざりとした表情になります。朝霧の君は身分が若いながらに中納言の職にあり、将来有望な公達でした。年齢は姫より、三歳上で二十一歳の真面目な好青年です。けど、細身で色白の中性的な美男で晶葉姫の好みからは大きく外れていました。  それでも、朝霧の君は熱心に恋文を送り続けています。もう、かれこれ四年間も受け取りながら、お返事は数える程しかしていませんけど。  晶葉姫はよく、飽きないわねと思います。仕方なく、直筆でお返事を書くのでした。  十日程が経ち、姫の元に父君の内大臣が訪れます。傍らには母君も一緒でした。 「……晶葉、宰相から聞いたぞ。あの朝霧の君に返事を送ったそうだな?」 「お耳が早いですね、確かにお返事は書きました」 「そうか、なら安心だな。朝霧の君は致仕の大臣(ちしのおとど)の次男で出世頭だ。性格も真面目でなかなかに誠実な若者だし」  姫は内心で(全く好みじゃないけど)と、毒づきます。けど、都では朝霧の君のような色白で綺麗な殿方が好まれる傾向にありました。晶葉姫の好む逞しくて精悍な殿方は主流ではないのです。 「……晶葉、あなたもそろそろ伴侶となる方を決めなさい。でないと、後々困りますよ」 「はあ、母様がおっしゃるなら。やぶさかではないんですけど」 「あなたは昔から、逞しくて強い方が良いと言っていました。なら、外に出て探しに行きますか?」 「私は」 「晶葉、あなたの言い分はわたくしも理解できますよ。けど、理想と現実は差があって当たり前なの。そこは自覚なさいな」  母君は噛んで含めるように、ゆっくりと諭します。晶葉姫は困ったようにしながらも反論はしません。 「……分かりました、母様。朝霧の君との縁談はお受けします」 「すまんな、晶葉」 「父様?」 「儂は良かれと思って縁談を進めていたが、お前の好みなどは訊いていなかった。これからは言ってくれて構わんからな」 「ええ、これからは言わせてもらいますね」 「うむ、朝霧の君には儂から伝えておく。ではな、晶葉」  父君と母君は笑顔で寝殿に戻って行きました。姫は見送りながら、なんとはなしに前栽を眺めます。ひらひらと落ち葉が散る様に悲しさを感じるのでした。  神無月から霜月になり、晶葉姫と朝霧の君は結婚します。三日夜の(もちい)の儀や顕露(ところあらわし)の儀も済ませ、晴れて二人は夫婦になりました。  朝霧の君は晶葉姫をそれは大事に扱ってくれます。確かに、見目こそ頼りなげですけど。実は彼は馬術や弓矢に優れた一面がありました。それを聞いた姫は驚きを隠せませんでしたが。まあ、強い方なら良いかと彼女なりに納得したのです。  新年になり、晶葉姫は十九歳、朝霧の君は二十二歳になりました。結婚して早くも二月近くが経っています。 「雪が降り積もっているね、晶葉」 「本当にね、朝霧」 「今日は君が好きな唐菓子を持って来たよ、葩餅(はなびらもち)も」 「あら、ありがとう。一緒に食べましょうよ」 「分かった、宰相。用意を」 「……畏まりまして」  宰相の君は朝霧の君に手をつくと、すぐに用意をしに向かいます。見送ると晶葉姫は笑いかけました。 「朝霧、あなたも甘い物には目がないわね」 「君程ではないよ」 「ふうん、私にそんな事言っていいの?」 「晶葉?」 「……あなたが本当は妹の伊都葉みたいな娘が良いと宇津木に言っていたのは知っているわよ」 「え、それは。冗談であって本気で言ってはいないよ!」  慌てて朝霧の君は否定しますけど。晶葉姫は胡乱げに、睨みつけます。 「なら、本当の事を言いなさいな。あなた、私を嫌いなんでしょ?」 「……嫌いではない、ただね。最初は君をとんでもない我儘な姫だと思っていた、それこそ手がつけられないじゃじゃ馬だとね」 「ふうん、そんなこったろうとは思っていたわ。文をしつこく送ってはいたけど、あなたからは熱意が全く伝わって来なかったものね」 「……今は思っていないよ、本当にね。実際に会ってみたら、君がいかに朗らかな人か分かってさ。後で凄く反省したよ」  朝霧の君はそう言って、晶葉姫の手をおもむろに握ります。意外と見かけによらず、大きくてがっしりとした手に最初は驚きましたけど。今は頼りがいがある温かな手だと思えます。軽く握り返すとより強く、握ってきました。 「晶葉、これからは一緒の邸に暮らそう。二条の邸なら、ゆっくりと過ごせるから」 「そうね、考えておくわ」 「改めて、よろしく。北の方」 「ええ、こちらこそ。我が背の君」 「……やっぱり、ガラじゃないや」  ぽつりと朝霧の君は呟きます。笑いながら、晶葉姫は彼の肩にもたれ掛かりました。嫌がらず、好きなようにさせてくれます。朝霧の君は繋いでいた手を離しました。けど、そっと姫を抱きしめます。しばらくはそうしていたのでした。  ――終わり――
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