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第一章 処刑まであと数日(1)
悪いことをしてきたなんて、思っていなかった。
これまで付き合った彼女は全員どこかの時点で泣いて俺を責めたし、そうなっても面倒くさいなで捨てて終わらせてきた。ちょっといいなと思った女の子はだいたい食って、続くこともあったし続かないこともあったけれど、どっちでも特に気にしなかった。
相手の気持ちなんて考えたこともない。いいじゃん楽しもうよ。めいっぱい遊んで気持ちいいことしたい。それが人生ってもの。
誠実とか、正直とか、そんなの全部ばかばかしい。いまが楽しければそれでいい。
いつかバチが当たるなんて、言われたこともある。だから何? どうだっていいよ。真剣に考えるなんて俺のキャラじゃないし。
だけど、もしかしたら、その言葉は正しかったのかもしれない。
俺の前には、縦に長い変な帽子をかぶり、引きずりそうな裾のローブを着たじいさんがいる。
「妃殿下、今日こそ懺悔をなさってはいかがですか?」
と、じいさんが問うた相手は、俺だ。
この問いは、俺が目を覚ましてから五日に渡り繰り返されている。俺の答えも、いつも同じ。
「なんのことかわかりません」
じいさんはため息をつく。
「執行の日程が本決まりになろうといういまになっても、反省の言葉ひとつ聞かれぬとは。まことに残念な限りです。神の御前ですらかように強情な態度、恥ずかしいとお思いにはなりませぬか」
「いえ、ですから、人違いなんです。俺はあなたのいう『妃殿下』じゃありません」
「ごまかそうとしても無駄ですぞ。シレズ王国の王子にして、アデルハイト王国国王ヨナタン陛下の妃、リシェ・ミロスラフ様。それがあなたでしょうに」
「違うんです。違う……」
俺の声は、だんだん小さくなる。
「妃殿下。どうぞ最後の日までには己の悪行を悔い改め、穏やかな心持ちで神の御許へいらっしゃいますよう」
だから、もう。
なんの話なんだよ。
「のちほどヨナタン陛下が参ります。どうぞお言葉にお気をつけください」
じいさんは一礼して出ていった。残された俺は、吸い寄せられるように壁に掛けられた大きな姿見に目をやる。
そこに映っているのは、見知らぬ青年だった。
二十代前半ってところ。絵に描いたような白金色の巻き毛が背中まで垂れ、真っ白い額の下には濃い眉、水色に透き通った瞳、薄紅色に濡れたような唇。
すごく整った、美しい顔であることは間違いない。
鏡の中の青年は困ったように眉を寄せている。彼が着ているのは、水色の薄い布を幾重にも重ねたような凝った造りの服だ。二の腕は布の合わせ目で開いて、白い肌が見えている。下はかっちりしたズボン。
俺は呟く。
「誰だよ、お前……」
あのじいさんによると、俺は「シレズ王国の王子にして、アデルハイト王国国王ヨナタン陛下の妃」らしい。
そして。
死刑執行を待つ身、なのだそうだ。
俺の名前は樋口玲、二十八歳、日本人――の、はずだった。
じいさんが「リシェ」と呼んだいまの俺とは系統は違うが、それなりに見た目がよくて、高校の頃から女の子にはよくモテた。いろんな子と付き合ってみたかったから、それから十年あまり遊びまくった。
社会人になってからも変わらなかった。浮気とか、二股とか、別にって感じ。反省とかしたことない。ある意味、あのじいさんは正しい。
で、二十八になったある日のこと。
キャンプに出かけたんだ。大学時代の友達みんなで、酒飲んで、飯食って、近くにいた女の子グループに声をかけたりして。
そんな頃、急に空が曇り、雨が降り出した。それから、事故が起きた。
空に稲光が走り、雷鳴が轟いて、俺は耳元の空間がばりばり裂けたように感じた。どぉん! と、強い衝撃が来た。
そこから記憶がない。気がついたらここにいた。天蓋つきの豪華なベッド、高価そうな内装の部屋、にも関わらず、死刑執行寸前。
俺は死んだのか? 雷に打たれて?
それで、人生終了目前の他人の身体に入ったって?
冗談きついよ。理不尽すぎる。
ここではできることがない。召使たちはほとんど口を利かないし、喋る相手といえばあのじいさんだけだけど、じいさんが言うことといえば「懺悔しろ」だけ。何がどうなってこうなっているのかもわからない。
扉には外から鍵がかかっている。廊下には人の気配。たぶん見張り。
窓からの景色ははるか遠く、森の方まで見える。つまり、高いってこと。飛び降りて逃げるなんて到底無理。
妃とか言っている通り、ここは城みたいだ。身分の高い罪人を幽閉しておくための場所、なんだと思う。
まるでロンドン塔。
俺の手には、じいさんから渡された教典がある。これを読んで己の行いを恥じよってことらしい。
教典は、見たこともない文字で書かれている。でも、なぜか読めてしまう。
どうやら俺は、変な世界に迷い込んでしまったみたいだ。
助けて。
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