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第26話 ぬくもりが恋しくて
どれくらい時間が経っただろう。
無気力に、ただ呆然と為す術もないままひとりで過ごす冬の夜。
否応無しに体温が奪われる。
(さむい…)
寒い。身体も、心も。
家には帰りたくない。
自分が家賃から光熱費まで支払っているのに、この寒空の中飛び出す状況もいかがなものかと思うが。
(なんか、疲れた…)
悲しみが、全てを失わせる。
考える力も、正確な判断力も。
ブルッ
(トイレ行きたい…)
こんな時でも身体は正常な働きをする。
のそのそとブランコを降り、公園を出てコンビニのトイレを使い、夜の街をさまよい歩く。
(辛い…)
ずっと我慢してきたこと。
愛の無い同棲生活。彼の我儘も愛情だと自分に言い聞かせた。年下のフリーターで収入も自分より少なく不安定。
私が何でもやらなきゃ、稼いでるほうがお金も出して当たり前。
そんな生活を続け、何でもしてもらい感謝されるどころかまさかあんな暴挙に出るなんて。
心理的にも拘束されるモラハラ。
オレを捨てるのか、困ってたお前を助けてやった恩を忘れたのか。
今日どこ行ってたの?
仕事以外で外出しようものなら、
オレを置いて行くの?オレのこと身捨てたいんだ、
拗ねていじけて、相手を思い通りに動かそうとする典型的な子供の常套手段。
もう限界かな。
何度もそう思った。
でも、
ひとりになりたいと思うことはあっても、
一生一人で生きていくことが怖かった。
この人以外とは、もう誰とも付き合えないかもしれない。
偶然出会ったことも運命とし、多少のことは目をつぶったほうが楽だ。
バチが当たったのかな。
苦難から目を逸らし、嫌なことから逃げてばかりだったから。
思考がネガティブなほうにばかり偏っていく。
(もう死んだほうがマシかもしれない…)
半ば投げやりな気持ちで、
いっそお酒を飲んで路上で寝てたら、
この寒さなら凍死できるかな。
そしたらあの男も、反省してくれるのかな。
そんなことまで思い始めた。
「あれ? もしかして華未さんですか?」
背後から、暗い気持ちを一発で払拭する明るい声。
「やっぱり、今日はお仕事お休みですか」
クウンクウン
横にはつぶらな瞳の茶色いラブラドール。
心配そうな表情で見上げている。
「三澄さん…」
「どうしたんですか、何かあったんですか??」
涙を流した蒼白の顔色、ただ事ではない様子に光は駆け寄った。
「私もう…」
ガクッ
体力気力を消耗し、貧血を起こし華未はその場に倒れこんだ。
「華未さんっ」
ワンワンワンワン
薄れゆく意識の中、華未は温かいものに包まれるのを感じた。
それは上質なボアフリースの上着の質感だけでなく、優しく愛情深く、安心できるものだった。
シュンシュンシュン…
石油ストーブの上に置かれたやかんが、蒸気を吹き出している。
ふわふわの羽毛布団と毛布が軽くて温かい。
両足を広げてもはみ出ないくらい大きなベッド。
その傍らにはナナが背中を丸めて添い寝していた。
「ナナちゃん…」
目を覚ました華未が頭を撫でると、大きな目をあけてペロッ、と手を舐めた。
「ふふ、くすぐったい」
ワンッ
ナナの鳴き声を合図に、光がノックをして寝室に入ってきた。
「よかった、目が覚めましたか」
「ここは…」
「僕の家です。お身体が随分冷えていたので、うちがすぐ近くだったので一旦運びました。すみません、勝手なことをしてしまって。目が覚めるまではナナに一緒にいてもらいました。こういう時やっぱり僕は出ておかないとまずいでしょうから」
苦笑い照れ笑いを浮かべるその姿は一切邪気ややましい下心などは感じられず、男性に対して警戒心の強い華未も、光とは安心して一緒にいることができた。
ナナがいつもそばにいるのと、光が持つ中性的な雰囲気がそう感じさせるのかもしれない。
「ホットミルクです、身体起こせますか?」
「はい…」
「深呼吸してから、ふうふうしてゆっくり飲んでくださいね」
大きなマグカップに入った白いホットドリンク。
両手で抱えて持つと、ぬくもりが手の中に伝わる。
ゴクッ
「おいしい…」
はちみつのやさしい甘さがしみわたる。
なぜだろう。
寒空の下孤独に歩いていた時は悲しくて涙が出たのに、
今はほっとして泣けてくる。
さっきまで心に溜まっていたモヤッとした黒い塊のような気持ちが、
溶けて涙となって流れ出るようだった。
「何か辛いことがあったなら、もしよければ僕とナナに話してください。僕たちはあなたの力になりたい。この街に引っ越してきて最初のディナーで出会えたのも、ドッグカフェで出会えたのもきっと、偶然じゃないって。出会うべくして人は出会い、大切な人とは人生が重なり、支えあっていくんじゃないかって、僕は思うんですよ」
気持ちに寄り添うように、ゆっくり語りかける光の言葉に、華未は胸がいっぱいになった。
こんな世界もあるんだ…。
優しくて温かくて、
相手を思いやり、人として尊重し
背負っている苦しみを理解しようとする。
知り合ってまだ僅かな自分のために、
物理的に安心して過ごせる場所と
心身を落ち着かせる温かい飲み物と。
大切にしてもらい、うれしくて幸せで
心が満たされていくのを感じた。
ずっとずっと、求めていたものだった。
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