2/15
前へ
/32ページ
次へ
 その日は一度家に帰った。もう一度、新しい情報を入れず静かに自分のデザイン画と向き合いたかったからだ。小学校に向かうのは明日の朝にしようと決めた。  家では必要最低限の仕事しかしないから、ベッドの脇に小さなパソコンラックがあるだけだ。私はラックに置かれているノートパソコンを上の棚に移し、空いたスペースにデザイン画を広げた。  夕陽のために淡い色調に抑えていた部分に色鉛筆で赤い丸を描きこむ。紙の上のデザインは平面だから、夕陽は完全に作品に取り込まれ、固定される。もはやそれは、自由に動くことも、遠くから広く世界に光を届けることもなく、ただの赤い丸になる。 「これでいいんだろうか」  私は敢えて声にして呟いてみる。自分の手で今描いた赤い丸を隠したり、また出したりしてみる。赤い丸を隠すと、山より上の空の部分にはほとんど色がなく、モノクロというよりはセピア調の写真に近い印象を与える。  ステンドグラスではないガラス彫刻の世界では、色を使わず、真っ白いガラスに凹凸だけで絵を描くことも珍しくはない。白と透明だけの世界は、それはそれで静けさを際立たせ、美しい。でも、ステンドグラスの上半分だけ色が薄いというのは、ただ寝ぼけた印象を与えるだけかもしれない。  先生に疑問を投げかけられた途端、私は不安になっている。それはきっと私が、“これでいい”と一〇〇%思い切れていなかったからだろう。  新井さんに電話を掛けて相談してみようかと思い、ベッド脇で充電している携帯を手に持ちかけて、やっぱりやめる。  そのときなぜか唐突に、遼の写真を思い出す。遼は趣味だと言って写真を撮っていた。趣味で撮っている写真はすべてモノクロだった。今の時代、デジタルカメラで写真を撮れば、カラーで撮ってもモノクロに変えることなどいくらでもできる。でも遼は敢えて古いカメラにモノクロのフィルムを入れて、一枚一枚の写真を丁寧に撮り、自分で現像までしていた。  写しているのは主に建築物など人工物で、その無機的な対象物と遼の撮ったモノクロ写真の硬質な雰囲気がよく合っていた。 「ステンドグラスという色の世界で生きていこうと思っているくせに、写真はモノクロなんだね」  私が茶化すと、遼はいつもの軽い調子で「はは、そうですね」と笑ったが、そのあと続けた。 「でも、ステンドグラスだって、色と形の世界だし、モノクロ写真も形と色の濃淡の世界なんですよ」  遼はそう言ったあと、 “ほとんど色の残っていない古代遺跡の絵でも、最新技術を使うと色が分かるそうですよ”とテレビ番組の話をしたり、“白と黒の模様が描かれた円盤を回してじっと見ていると色が見えてくるんですよ”と科学技術館あたりで体験できそうな実験の話をしたり、とりとめもないことを話し続けた。その話の合間に、当時一緒に働いていた同僚が“あ、それ知っています”と口を挟んだり、他の色についての小ネタを差し込んできたりしたから、いつものように話の焦点がずれていき、モノクロ写真について遼と話をしたことさえ忘れかけていた。  でも今になって思う。もっと遼にちゃんと写真を見せてもらっておけばよかった、と。  過去の記憶のなかで思い出す遼の写真は、クールで静けさに満ちた、凛とした作品ばかりだったように思う。そしてそれは、確かに色を排除したモノクロでありながら、控えめな色を感じさせた。  もう一度あの写真を見たい。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加