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ただそう思ったところで、もう遼はいないし、遼の写真は身近にない。私はその代替品にするかのように、棚に立てている数少ない本からお気に入りの写真集を取り出す。
ステンドグラスを含むガラス工芸全般の作品集。昔、博物館で大規模な展示が行われたときのカタログだが、私はその展示には行っていない。展示が行われていたのは私が小学校低学年の頃だったから。私はこのカタログをたまたま足を運んだ古本屋で見つけ、一目ぼれして買った。
私が一番好きなガラス作家はベタだけれど、エミール・ガレだ。たとえ写真であっても、ガレの作品を見ると心が震える。有名な作品は全体的に色が入ったツボやランプなのだろうけれど、私は透明なカップやソーサーに控えめに絵柄がつけられた作品が好きだ。細く繊細な線で描かれた絵が、カップやソーサーのガラスの儚さをより強調し、切なさを感じさせる。
そう、もともと私がガラスで作品を作り始めたのは、ステンドグラスを作りたかったからではなく、ガレのような一流のガラス工芸品を作りたかったからだった。ただ今はもうすっかりステンドグラス作家の視点でガラスを見るようになった。ガレの作品を見ても、ここに光を透過させたら、どのような影ができるのだろう、などと考える。
次のページには、ルネ・ラリックの作品が二点大きく取り上げられている。一点は有名なトンボのジュエリー。もう一点は香水瓶だった。ラリックは宝飾作家のイメージが強いが、宝飾の世界だけで表現することに限界を感じ、途中から“ガラス作家”に転向している。そのガラス作家としての代表作が香水瓶だ。瓶自体は装飾のないシンプルな器だが、瓶の栓が孔雀の羽のように広がり、そこに模様が彫り込まれている。色はなく、あくまでガラスの厚みの違いだけで天使や女性や鳥や木々が表現されている。
この本には他に、故宮博物院の翠玉白菜の写真もある。この展覧会で翠玉白菜が見れたわけではないようだけれど、実物の四倍ほどに拡大された写真は見ごたえがあった。
私はこの本を開くたび、ガラス表現の可能性を強く感じる。ガラス作品と一言でくくれない表現の幅の広さ。でもそれを活かすためには、作り手にも凝り固まらない柔軟な発想力が求められる。その厳しさも痛感する。それはどんな表現手法を選んだところで、きっと突き当たる課題なのだろうけれど。
結局私は一晩色々なことを考えたようで、結局何も考えられなかった。
“これではダメかもしれない”という漠然とした思いだけ抱いて、あの小学校へ再び戻ることになった。
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