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 トリエンナーレ開幕まで一週間を切ったせいだろうか、学校に近づくと、二日前には感じられなかった熱気が校舎全体から漏れ出てきているのを感じ、驚いた。空いた教室の窓から人の声が聞こえ、校舎の出入り口から大きなパネルを運び込む人や、逆に校舎の裏側に木材やペンキを持って出て行く人が見えた。  音楽室は二日前と変わらない。ただ今日は雨は降っていないものの、雲が厚いため、晴天だった前回とは音楽室全体の空気感が違う。外的要因すべてを考えてデザインすることなど無理だけれど、夕陽が見えないかもしれない曇った空を見ると、やっぱり前回のデザインではダメな気がする。  デザインは、すっと浮かんで、形になったものの方が、あれこれ考え、いじくりまわした後にできるものより良いものになるように思う。一度袋小路に入り込んでしまうと、抜け出せなくなる。  そして、晴れでも曇りでも、朝でも夜でも、春でも冬でも見せられる作品にしたいなどと考えていくと、どっちつかずの八方美人な中途半端なものになってしまう。 「あー、分からなくなった」  今回は新井さんもいないし、音楽室には私一人なのに、敢えて声を出して言ってみる。声を出すことで、頭のなかのもやもやが少し散ってくれる気がして。  さらに気分を紛らわせようと、窓を開けて、身を乗り出し、外の空気を吸う。窓を開けると湖がそばに迫って見える。また散歩にでも行こうかと思う。そのとき、上の方から何か大きなものを移動させているような騒音が聞こえてくる。  二階……と思い、アデルさんのことを思い出した。  思った通り、二階の教室にアデルさんはいた。アデルさんの展示室は四年生の教室で、騒音を響かせているのは五年生の教室だった。アデルさんの部屋は静かだ。すでに展示の準備は終わっているのか、教室の中央に木のオブジェが静かに立っている。  木のオブジェはクリスマスツリーに似ている。材質は分からないが、針葉樹を模した二メートルほどの高さの木で、そこにモールのようなものが取りつけられている。クリスマスツリーは通常、長い、金色か銀色のモールがぐるぐると巻きつけられているが、アデルさんの木のオブジェは、一枝一枝に異なった色のモールが取りつけられ、枝とモールが一体になったような形だ。  モールの毛足が長いから、窓を開けていなくても、それは微かに動き、ちらちらと光を舞わす。  アデルさんは教室の片隅に置かれた椅子にじっと座っていた。まるでアデルさん自身もオブジェであるかのように。座った場所から高い木を見上げるアデルさんは、彫りの深い顔立ちも手伝い、映画のワンシーンのように絵になっている。  だから一瞬、声を掛けるのをためらったが、控えめな声で「こんにちは」と言うと、アデルさんは勢いよく立ち上がり、西洋人らしい大きなパフォーマンスで歓迎を示してくれた。 「絹子の展示は準備、終わりましたか?」  私は一瞬躊躇したが、「はい」とシンプルに答えた。 「そうですか。それは良かったです」 「アデルさんの展示もこれで完成ですか?」  私の問いには答えず、アデルさんは教室のなかを一通り見回す。そして一つ息を吐いてから、ゆっくり口を開いた。 「あなたも、アーティストですか?」 「アーティスト……?」  アーティストというのは、幅広い意味を持つ言葉だと思う。相手は何をもって、私をアーティストかと尋ねているのだろう。 「絹子のお手伝いですか? それとも、あなた自身も作品を作る一人ですか?」 「あ……まぁ、作品も作ります」  歯切れの悪い答えに、自己嫌悪感が芽生える。私も自分はアーティストなのだと、もっと堂々と定義し、名乗りたい。 「そうですか。それなら、YESですね」  私は頷く。 「それなら、あなたにとって、作品の完成とは何ですか?」  急に哲学的なことを問われ、たじろぐ。私が気安く口にした“完成”という言葉が、相手には思ったよりも強く響いてしまったということなのだろうか。 「完成というのは……」  作品が仕上がること。そこで作り手の役割が終わる場所のこと。でも…… 「作品の本当の完成はないかもしれませんね。いい作品ほど、進化していくものの気がします。……だから、ここでいう“完成”というのは、作り手が鑑賞者に制作をバトンタッチする、その段階のことでしょうか……」  私の返事に、アデルさんは満足そうに頷いた。私は自分の口から出てきた言葉に、自分で驚いていた。 「いい答えですね。あなたは素晴らしいアーティストです」  そう言うとアデルさんは窓の方へ歩き、カーテンを閉めた。今日は曇っているから、外から光は差さないが、それでも外からの光がなくなると、教室の中央に設置された木のオブジェは色をなくし、シルエットに近い印象になる。
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