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デザインが決まるまでは工房へ戻らなくてもいいと言われ、私は近くに泊まることにする。新井さんは予定通り今日帰るそうだが、特別急ぐ仕事もないから、夜遅く帰ることになっても構わないよと言った。
それで店を出ると二人で湖の周りを歩いた。
ヨーロッパの教会にあるステンドグラスのモチーフにはマリア様や天使が多いが、日本の教会以外の建物に飾られるステンドグラスは、花や木など自然にあるものがモチーフになっていることが多い。先生の作品の多くもそうだ。特に今回のように地域のイベント内で展示される作品の場合、その地域らしさの出るモチーフで作品を創れたら、より良い。そういう意味で、心惹かれるモチーフを求めて、散策を開始したのだった。幸いにもデジタル一眼を持ってきている。
「東、南、西と日の光は動いていって、一日になりますけど、その移り変わりは春、夏、秋という一年の流れにも通じますよね」
そう言ったのは、湖畔の一部に紅葉の木を何本か見つけたからだ。今は青々と茂っているが、当然秋になればきれいに赤く染まるだろう。
「そうだね。確かに東の窓の薔薇は春、南の窓の湖畔の風景は夏のようでもあったね」
紅葉の青い葉が風で揺れ、がさがさと音を立てる。
湖を挟んだ向こう側を見ると、青々とした木々の影が湖面に映っている。それが風で襞になり、抽象的な模様になる。
また手前の木々に目を戻すと、逆光になっている木に、差すように陽の光が降り注いでいる。木の幹は通常以上に暗く、茶色より黒に近くなり、逆に光を透かす葉は通常よりも何倍も明るく輝く。さらにそれが風で揺らぐと、明滅するライトのように豪華になる。光と影のコントラストが強い。そしてその風景こそが、ステンドグラスの世界観にとても近しいものだと感じる。
「紅葉……ですかね。ベタですけど。東の窓の赤いバラは小さくて、添え物のようでありながら、緑の中で凛と存在していましたけど、それくらいの存在感の赤か黄色の葉が、秋の光に輝いている……そして、湖面に影を落とす……」
言いながら、頭の中でイメージが少しずつ仕上がっていく。パズルのピースがはまっていくように、少しずつイメージは見える範囲が広くなり、そして、視界の靄が散っていくように、少しずつ解像度を高くしていく。
「なるほど、いいね」
新井さんもしばらく目をつむり、自分の頭の中に何かしら紅葉と湖の風景を描き出そうとしているようだった。
もし今、頭の中にあるイメージを絵に描いてみたら、私と新井さんの思い描いているものは全く違うだろう。それでも今は、同じようなものをイメージしていると思いながら、時間と空間を共有する。それが大事な気がした。
音楽室に戻ると、すでに西側の窓から陽が入るようになっている。まだ日暮れには大分時間があるが、日が入ると窓の印象はまた全然変わる。
東側と西側の窓は、南の窓と違い、目線より少し上にある高さ五十センチほどの小窓だ。だからこそ、三年前は作品を創らず、そのまま置いておかれたのだけれど、上下に開く実用的な窓だからこそ、素のままだと無骨にも感じられた。
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