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【自殺は重罪、自殺者は死神になり百万人の命を狩らなければ天国にいけない】  高校に入学したばかりの頃、図書室で彼女が見つけて一緒に読んだ本。彼女は瞳を丸く輝かせてこう言った。 『この本の著者って教会の神父様で神様と会話ができるんだって!凄いね!」  彼女は素直に信じるタイプらしい。でも僕は違う。死んだこともない人間が書いた本なんて嘘に決まってる。神様と会話ができる?そもそも神様なんている訳ない。そう思ってた。思ってた、のにな……。 自殺し、現在僕は死神だ。あの本に書いてあることは本当だった。神様は実在していたんだ。  自殺原因は、僕が人を殺めてしまったから。  もし、あの時、あの本を信じていれば自殺なんてしなかったのかな?いや、多分、あの状況は絶対的に無理だ。 ◆    砂を噛むような都会。ビルばかりの風景が山並みに変わる。中二の夏、僕は父の都合で長野県に引っ越した。転校先の中学でクラスに馴染めず浮いている僕に話しかけてきてくれた紺色のセーラー服。白いリボンが揺れた。 『ねぇ、合唱部に入らない?』  セミロングの黒髪をサイドに結んだ小柄で低身な娘。二重の大きな瞳が三日月に変わる。 『あっ……』  思わず息を飲んだ。それは、彼女の笑顔があまりに温かい陽だまりみたいだったからだ。  それが彼女、羽鳥才音(はとりさいね)との出会いだった。  才音と友達になりたい。僕は誘いに応じ合唱部に入部した。自分はテノール、才音はソプラノパート。他に同じパートの女子は七人いる。でも彼女の声は他の六人とは違う異次元にいた。澄き通るハイトーンが真っ直ぐに伸びて僕の鼓膜を遊んで揺らしてから入ってくる。心地よい歌声。  中二、中三、もっともっと才音を知りたい。誰よりも近くなりたい。僕は必死に勉学に挑み彼女と同じ高校に進学した。部活は勿論、合唱部。  夕暮れ迫る土手沿いの帰り道、僕は足を止めて才音に言った。 『将来は歌手になればいいのに』 『えっ、私が?』 彼女は少しだけ頬を染めて微笑む。 『なれるかな?』 『絶対になれるよ!』 僕は何度も頷く。 『だって、そんな綺麗な歌声を聴いたことないもん』 『綺麗?』 『うん、凄く!』 彼女は、はにかむように笑った。 『有り難う、実は歌手になるのが夢なんだぁ。親友の(ひびき)が言うなら頑張ってみる』 『うん』  親友か……。綺麗なのは声だけじゃなくて、才音の全てだよ。本当は、そう付け足したかったけど僕は言葉を飲んだ。だって、友達として君をみていない僕の気持ちがバレてしまうから。  才音、僕は中二から高一になる今までずっと君に片想いしてる。そんな気持ちを秘めたまま、あの日がやってきた。  部活終わり、顧問の高岡先生に才音だけが残れと言われたんだ。 『先に帰ってていいよ』 『うん』  彼女に言われて正門を出た僕だけど、嫌な予感が(よぎ)った。以前から高岡先生が才音を見る目に異常を感じていたからだ。  あの目はオスがメスを捉える視線。僕は引き返し昇降口に走る。上靴に履き替えると廊下を走った。部室前、何かにつまずいて転んでしまう。 『いてっ』 バットだ。野球部の部員が落としていったのだろう。身体を起こしバットを拾い上げた時、部室から太く低い声が聞こえた。 『大人しくしてればすぐに終わるから』  扉は少しだけ開いている。僕は片目を覗かせた。 『やっ、やめて下さい』  震えながら首を振り、弱く抵抗する才音を押し倒す高岡先生。  瞬間、爪先から火柱があがり脳天に突き抜けた。全身が燃えるように熱い。手に持ったバットに力を込め、僕は勢いよく扉をスライドした。 『汚い手で才音に触るなっ!!』 その後は記憶が飛んで分からない。ただ、気がつくと、目の前は血まみれだった。血の池の中、うつ伏せに倒れている高岡先生。 『いやあああーっ!!』その横で才音は壁に爪をたて狂ったように泣いていた。  絶叫を聞きつけて誰かが高岡先生に駆け寄る姿は、ただぼんやりとしたスローモーションで、僕は古いサビれた映画館で観賞するたった一人の観客だった。甲高い悲鳴と声が聞こえる。 『ダメだ、死んでいる!』  その声は、僕に恐怖と絶望を与え逃避を呼んだ。今の逃げる場所、それは消えること。死が僕を手招きで誘う。部室は六階。窓の外を見た。蝉の鳴き声が鼓膜をつんざいてうるさい。僕は、バットを投げ捨てて、その蝉の中へ身を投げたんだ。 ◆  命のカマを片手に僕はデスリストを確認。今日は町の総合病院に狩る命がある。  僕が死神になって、どのぐらいの月日が経過しただろう?狩る命は十五人目だ。  死神にはルールがあり、狩る命のエリアが決められている。百万人まではほど遠い。でも狩らなきゃ天国に行く道が開かないんだ。いや、地獄かもしれないけど、とにかく天国に行かないと苦しみからは逃れられないし生まれ変わることもできない。  病院内、確か消える命は502号室の個室。時刻は九時二十分三十六秒。病室の扉前に降りると、僕はカマを振り上げる。すると扉がスライドした。 「えっ?」  思わず声をあげてしまう。僕ら死神は狩る魂の名前を瞬時に知ることができる。慌ててデスリストに視線を落とす。リストには【石井智子、四十九歳、末期の乳癌、肺転移で病死】と表記されている。  その石井智子が笑顔で病室から出てきたのだ。どういうことだ?死ぬどころかピンピンして廊下を歩いている。彼女は荷物を持つ男性に振り向いた。 「まさか生きて退院できるなんて思ってなかった」 男性は涙ぐんでいる。 「本当に、みんな彼女の歌のおかげだよ」  はっ?歌?石井智子の後を浮遊しながら着いてゆく。会話からして、どうやら男性は彼女の夫だ。二人は車に乗り込んだ。 僕も後を着いてゆく。夫婦の会話で、これから歌の彼女にお礼をしに行くと聞いたからだ。   車がパーキングエリアに駐車される。二人は大通りを歩き細い道で曲がると、すぐに止まった。 「なんだ、この長蛇の列は?」 目を見張る。  だが、この道には見覚えがある。この道の先には……。  僕は列の先頭まで移動した。木造二階建て。懐かしい一軒家。列は才音の家まで続いていた。  屋根から下降して室内に入る。すると髪の長い女性がソファーに座り、対面席にいる男性に向かって歌を唄っていた。綺麗なソプラノ。流せる涙なんてもってないけど、カァーッと目頭が熱くなる。何年か振りの顔。彼女は今、何歳だろう?少し大人びている。 「才音」 震えた声で名を呼ぶ。当然だが、彼女に死神の声は聞こえない。  暫くすると、あの石井夫妻が部屋に表れた。 「有り難うございました!」 二人はフローリングに正座すると頭を深く下げる。 「本当に本当に、何と感謝して良いか言葉が見つかりません」 智子が顔を上げて片手で口を塞ぐ。頬に涙が落ちた。 「まさか、余命宣告された末期の癌がアナタの歌で治るなんて……」 夫が言葉を繋げる。 「信じてなかったんです。噂を聞いてワラをも掴む気持ちできました。だが、妻の癌は本当に治った。今は感謝しかありません」  前方に差し出される白い封筒。才音は首を傾げた。 「それは何ですか?」 智子が言う。 「全然足りませんが、お礼の気持ちです」 「お金や品物は受け取りません」 「で、でもタダという訳には」 「いいえ、私は商売で歌っている訳ではありません。無償でなければ意味がない。次の方が待っていますからお引き取り下さい」  才音は無表情で言い放つ。夫婦は「すみません」そう言うとすごすごと部屋を出て行った。  才音の歌が亡くす予定の命を救っている?まさか彼女の歌にそんな効力があるなんて。次は女性だ。僕には命のロウソクが見える。女性のロウソクは短く今にも消えそうに細く揺れていた。  才音は深く息を吸い込むとハイトーンな歌声を発した。 【もう一度、あの瞬間に戻りたい】そのフレーズを三回繰り返す。彼女のオリジナルだろうか?やけに心に染みる。刹那、才音の頭の上に命のロウソクが見えた。  歌が終わり女性が部屋を去ってゆく。気のせいだろうか?少しだけロウソクが短くなったような気がする。だが、暫くすると気のせいなんかじゃない確信に青冷めた。  彼女が歌うたび、ロウソクが短くなってゆくのだ。暫く観察する僕。歌うと、彼女の寿命が一日ずつ削られていた。 「やめろ!才音、歌っちゃダメだ!」  僕は必死で彼女に呼びかける。だが、どんなに必死に叫んでも声は届かない。  平日、才音は市役所に勤務していた。歌うのは土日、朝八時から二十三時まで。余命僅かな命の列は絶えない。噂はネットにより全国に広まり海外からも来る人がいた。  命のロウソクは段々と減ってゆく。炎も頼りない。 「やめろ!お願いだからやめてくれーーっ!!」 僕は必死に叫び続けた。才音は何も知らずに歌っている。 「このままじゃ、僕がお前の命を狩ることになっちゃうんだよっ!!」  長い時が経過。ロウソクはもう原型がない。灯火はもう消えかけている。後、一回歌えば才音は死んでしまうだろう。  最後、部屋に入ってきたのは老婆だった。僕は老婆をキツく睨み怒号した。 「婆さんになるまで生きたんだから、もう死んでもいいだろ!才音はまだ二十代だぞ!頼むから歌わせるなっ!」  老婆は両手を合わせて目を閉じている。才音は老婆を見つめながら呟いた。 「アナタで百万人です」 「百万人?」 僕は伏せていた顔を上げる。もう、そんなに……。  才音は深呼吸すると口を開く。 「やめろ……」  顔を小刻みに振る。 「頼むからやめてくれ!」  彼女の命だけは狩りたくない! 「やめてくれーーっ!!!」 「もう一度、あの瞬間に……」  迷うことなく歌い始める才音。歌が終わると老婆は笑顔で退出し、彼女はソファーからフローリングに前のめりに倒れた。  消えゆくロウソク。今、心はどしゃ降りの雨の中。いやだ、狩りたくない。だけど僕は死神。死神は命を狩らなきゃならない。僕はカマを高く上げ風を切り裂いた。振り下ろしたカマの先端が震えている。  すると背後から声がした。 「響……」  振り返らなくても分かってる。後ろにいるのは本体から抜けた才音の魂だ。 「なんで?」 僕は振り向くことなく彼女に尋ねる。 「命を削ってまで他人を助けたの?」  こんな質問しても無駄なのは分かってる。彼女は何も知らずに歌っていたのだから。だが、次の言葉で僕は振り返った。 「死んで死神になったアナタに会いたかったから」 「なっ……」 「響、昔、二人で読んだ本を覚えてる?」 「本?」 「ほら、自殺者は死神になり百万人の命を狩らなければ天国にいけないって本」 「ああ、図書室の……」 「私ね、あの本を書いた神父さんに東京まで会いにいったの」 ああ、そうか。才音はあの本を信じていたよな。でも……。 「神父さんに?なぜ?」 「彼が神様と会話ができるからよ。でね、神父さんを介して神様にお願いしたの」 「お願い?」 「アナタの罪を許して下さいって。私、響には死神になって欲しくなかった」  僕は顔を傾ける。 「神様はなんて答えたの?」 「罪が許されるには、死神自身が百万人の命を狩ることのみ。だが、どうしてもと言うなら特例を与えよう。君が命を犠牲に無償で百万人の命を救うというなら願いを三つだけ叶えよう」 「願い?」 「うん、だから私は神様にお願いしたの。歌で人を助ける力を下さいって」  一つめは歌で命を救う力。二つめは、僕の死神解除。三つめは?ああ……頭が混乱して分からない。 「なんて……」 僕は茫然と彼女を眺める。 「君はバカなことを」 「あはっ」 才音は薄く笑んだ。 「だって、トロいアナタが百万人の命を狩るより、私が百万人を救った方が早いと思ったんだもん」 「なんだよ、それ」 もう、脱力感しかない。 「それより、ほら」 才音は手を差し出した。 「もう君は死神じゃないんだよ。一緒に行こう」  ああ、そうか。三つめは天国。やっと天国に行けるんだ。だけど、その前に……。僕は彼女の手を掴んで胸に引き寄せる。ずっとこうして抱きしめたかったんだ。すると、しっかりと閉じ込めた腕の中からくぐもった声が聞こえた。 「響……」 「君が好きだ」 「えっ?」 「好きだって言った」  きっと天国に行ったら今の記憶は消えてしまうだろう。だからこそ、僕は自分に刻印を刻みたい。 「生まれ変わったら、また僕と出会って欲しい」  砂の数の中から僕は一粒を、君を見つけてみせる。 「今度は君と恋愛がしたいんだ」  必ず……。  
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