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「……かみ、さま?」
「えっ」
目を開けると、女の子が泣いていた。
ダイゴは中学生になってからも音楽は頑張っているが、絵は苦手だ。だから、色の名前をあまりしらない。それでも、目の前の女の子の髪の色が、道端の草のみどりでも、絵の具のみどりでもなくて、不思議に奥深い色だとそのとき、思った。
女の子は、ながい翠色の髪を震わせて、くちに手を当て、ぽろぽろ泣いている。
「……あ、ありがとう、ございます……かみさま」
涙でいっぱいの、髪とおなじ色のふかい翠色の目を、女の子はぐいっとぬぐった。その髪が、こちらに向かって、激しくたなびきはじめた。
「きて、くださった……歌って、くださるのですね。よかった……よかった……!」
「な、なに、えっ」
言うまもなく、ふわっとした感覚。ダイゴは目を瞬かせ、女の子とおなじようにこすり。
絶叫した。
「うわああああああああっ!」
女の子の背後に見えるのは、ダイゴの家、二十階建てのマンションの部屋よりも、ずっと、ずっと、何倍も遠い地面。そこは森だった。だが、緑ではない。氷の細工のような、真っ白な森が、女の子の背後にひろがっている。
遠くには白い霞で隠された地平線、そして、どよんと曇った空。
砂色の岩のようなものでできた、塔のような、城のような場所。その最上端は槍のようなかたちになっている。その突端は、三十センチほどのまるい台だ。
そこから、ふたりは、落ちたのだ。
「ちょ、えっ、なんで、なに」
ダイゴはとっさになにかを掴もうと手を伸ばしたが、なにも手に触れない。目の前の女の子以外、どちらを見ても、はるかな地平線。
女の子は、風圧にかき乱される髪を片手で抑えながら、わらった。
「あっ、かみさま、跳ぶのははじめてですか」
「と、とぶって、おちるおちる、おちるううう」
「だいじょうぶ、あたしの手、握ってください」
そういって、女の子は手を差し出した。ダイゴは強い風圧を受けながら、その手をにぎる。風切り音がひどいが、女の子の声はふしぎに届いた。フルートを鳴らしたみたいな声だ、と、こんなときでもダイゴは連想した。
連想したが、地面は、容赦なく迫る。
ダイゴの意識が遠のきかけた。目をつむろうとしたが、身体が言うことをきかない。目は、しろく広がる森から、離れない。
巨大な純白の木々が、ぐんぐん、迫ってくる。もう目の前だった。このままいけば、激突する。
そのとき。
「あすとらいだ、そうりおん……そるば、ざいお、あすとれいお」
女の子が目を閉じ、微笑みを浮かべながら、透きとおるような声で、歌いはじめた。
えっ、う、う、歌ってる、この子、こんな、ときに……!
「ありすとら、りお、るお、ざいお……」
と、風が、止まった。
女の子の髪が、ふわっと、浮いている。
風景もとまっている。
ダイゴはまわりを見回した。止まっているのは、風景でも風でもなく、女の子とダイゴのふたりであった。
空中でふたりは、手をつないだまま、静止していた。
そのままゆっくり、ゆっくりと下降して、やがて地面についた。
下草も、花も、しろい。
木立ほどに純白ではなかったが、わずかな緑をおびた、澄みとおった白。
女の子とダイゴの身体は、うまい具合に反転し、足を下にしてふわりと着地した。
「……かみさま、お怪我、ないですか」
女の子は笑ってダイゴに話しかけたが、答えがない。気絶していた。たったまま、目を見開き、ぽかんとした表情。
「……かみ、さま? あれ? かみさま?」
女の子がダイゴの頬を、ぴたぴたと叩く。
「……むう。眠ってしまわれた。ええと、それじゃあ……」
ものも言わぬダイゴを置いて、女の子はどこかへ立ち去り、しばらくしてからなにかを持って戻ってきた。
おおきな木の葉。それもやはり、真っ白だ。皿のように弛められたそのうえに、清潔そうな水がたっぷりとたたえられている。
女の子はくちをつけ、水を含んだ。頬がふくれる。
顔をはなし、ダイゴに、近寄る。
流れ込む冷たい水の感触が、ダイゴの意識を戻させた。
一度目を閉じ、あけると、まつ毛が触れる距離に女の子の顔があった。深緑の瞳が笑っている。
「……ほ。あ。ひ、ひゃああああ」
間抜けな声を出しながら、ダイゴはとびすさった。
「お目覚めになられましたか、かみさま」
「な、な」
女の子は笑顔をおさめ、まじめな顔になり、膝をついてあたまを下げた。
「あたしは、リティ・リティ。白い森の、墓守りです」
「……」
ダイゴは改めて、まじまじと、目の前の女の子をみた。
青と緑が混じったような、深い海のような、懐かしいような、翠色。その長い髪が、背中のまんなかまで伸びて、無造作に跳ねている。
陽に焼けたような、すこしあかい肌。身につけているのは……教科書で見た、弥生時代といったか、そのころの服装のイラストと似た、薄いベージュの質素なもの。
首元には、うすく蒼く輝く、ペンダント。
女の子……リティ・リティと名乗った彼女は、すこし首をかしげて、ダイゴを見ている。大きく、すこし目尻のあがった目が、まっすぐこちらに向けられている。
年の頃は、たぶん、中学二年生の自分とおなじくらいと、見当をつけた。
「……ここ、どこ……?」
ようやく意識を取り戻しつつあるダイゴは、ちいさく、声をだした。
「……僕、ばあちゃんからもらった、音楽、聴いてた……ばあちゃんの部屋で、カセットテープ、ばあちゃんの、機械に、かけて……それがなんで、こんなところに……」
「……おんがく!」
リティ・リティが目を輝かせた。
「どんな音楽ですか! どんな、歌ですか!?」
肩をつかまれ、ダイゴはおもわず、ひゃっと声をだした。
「ど、どんなって……」
「とこしえの灯火の歌……そうなんですね! かみさま!」
なおも強くつかまれ、ついダイゴは、リティ・リティを突き放した。きゃっ、という声をあげて、彼女はよろめいた。
「……ちょ、ちょっと、まってよ。君、誰なの、ここはどこ、どうして僕は、こんなところにいるの……?」
その質問に、リティ・リティは、不思議そうな顔を浮かべた。
「……かみさま、こちらの世界、はじめてですか?」
「そ、その、かみさま、っていうのもやめてよ……僕は普通の人間だよ。ただの中学生。ダイゴって名前だよ」
「だいご、さま……。わかりました。では、あたしはリティとお呼びください。きっと急に儀式をとりおこなったから、びっくりしておられるのですね」
リティ・リティはそういって、ふふっと笑った。健康そうな唇から歯がのぞく。
その表情をみたとたん、胸がぽんっと、おかしなふうに爆ぜたのは、きっとこの訳のわからない事態のせいだろうと、ダイゴは無理やり納得した。
◇◇◇
ごうん、ごうん、という低い音が、巨大な工房を囲む壁に反響している。
空調がきいているから、瘴気だらけでマスクなしでは暮らせない外部に比べれば視界がよい。それでも霞んでみえるのは、巨大な装置の開発にともなう油の蒸気がたちこめているからだ。
「黒竜王さま、そろそろ、上がってきます」
リンドルが耳元で囁くと、ジズは憂鬱そうな表情をうかべて頷いた。銀の髪がゆれる。
黒竜王という厳しい称号に似合わず、色白のなめらかな肌と柔らかな髪質が少女を連想させる。が、彼自身はそれを嫌っていた。はやく髭を生やしたかったが、先月十四歳となり、父王の逝去にともなって急遽即位した現在も、うぶ毛すら目立たない。
と、地響き。ずずず、という、重い石を引きずるような音とともに、工房の地下から巨大なものがせり上がってきた。技術者たちが焼き菓子に群がる黒蟻のように立ち働く。
黄金の、彫像。
背丈の三倍ほどもある頭部。太い首。見開いた目には硝子の玉がはめられており、作業灯をうけて輝いている。
像はやがて、せり出し廊下に立つふたりの正面に、分厚い胸の部分を示すようにして停止した。ごごん、と鈍い音。
「……なんとも、不恰好なものですな」
リンドルが嘆息しながら肩をすくめた。金髪を頭の左右でとぐろのように巻き、同じ色の長いくちひげを左右に垂らした、四十代の男性としては珍妙な風体。が、皇嗣付きの侍従長から丞相に就任しても、変えない。
「前王さまご病気のおりから、こそこそと。評議会の女狐……おっと失礼、カトエーレ議長らしいといえば、らしいですな」
「……だが、<王の歌>で動かす以上は、おれが乗らなければ動かせない。議長はどうする気だ……だいたい、本当にこいつで、白い森を焼くつもりなのか」
「帝国を覆っている瘴気の原因は、白い森。評議会はそう主張しています。わたくしは、前王さまと同じく、その考えにはくみしませんが」
ふん、と顎をあげて、リンドルは巨像を睨みつけた。
「せっかく白い森の先住民族たちとも縁ができたというのに。もう少しで<王の歌>と<神代の歌>のつながりにも、迫ることができたのですぞ」
ジズも、俯いた。前王の死の原因は明らかになっていない。倒れてすぐにジズは駆けつけたが、政情安定を理由に、評議会は王の身柄を確保してしまった。次に父の顔をみることがかなったのは、葬儀の場だったのである。
若い皇嗣にできることは、少なかった。
太古の知識の尊重、自然への敬慕、多民族の調和。そういった帝国のよき伝統は、野心をかかえる評議会、わけても商人から身を起こして議長にすわったカトエーレの、革新的で耳あたりのよい扇動で、ゆっくりと覆されようとしていた。
評議会の狙いは、白い森の<神代の歌>だった。
この国の王家に伝わり、すべての動力の根源となっている、<王の歌>。だが、その発動には王の許可と、副作用としての瘴気の発生をともなう。
評議会は、白い森をその手におさめ、そこに無尽蔵に眠るとされる膨大なちから、<神代の歌>を手中にしようとしていた。
そのために、森を白く染め、瘴気を発することで帝国に困窮をもたらす、あやしき先住民を殲滅しなければならないと、常に主張していた。
くだらない……。
ジズが憂鬱な想いとともにしずんでいると、ふいに、目の前の巨像がわずかに振動した。ぶううん、という唸り声。
巨像の胸が、中央から割れた。胸板が分厚い扉のようにひらいてゆく。
「……黒竜王さま!」
リンドルが危機を察知し、手を伸ばす。が、胸のなかから伸びてきたなにかに弾かれた。顎をうたれ、転倒する。
ジズは腰の短剣を引き抜いて構えたが、その腕に、なにかが巻き付く。金属のような太い繊維を編み込んだ、鞭だった。短剣ごと縛られた腕が、ひかれる。
巨像の胸のなかは暗く、工房からははっきり見えない。が、その奥で、鞭をたぐってジズを引きずり寄せる影があった。リンドルがジズの背にすがりつく。
そのとき、うぉぉん……という地響きのような音と共に、巨像の腕が、動いた。身体とおなじほどもある拳が、ジズとリンドルのほうへ向かってくる。
「……う、うごいた……!」
リンドルは驚愕の表情でことばをはっしたが、巨像の指に弾かれ、壁に背を打ち付けて昏倒した。
巨像の腕はジズをつかみ、みずからの胸のなかに放り込んだ。胸の扉がぐぐぐっと軋みつつ、閉じた。
巨像の右脚が、浮いた。工房の設備にかまわず踏み出し、ずずん、と、踏み下ろす。逃げ惑う技術者たち。動力索がぶちぶちと千切れ、火花をちらしてのたうつ。切断されたパイプから蒸気が吹き出し、工房を埋める。
工房のそとは、帝国の大門である。その両端の見張り台の兵士たちは、工房からの轟音に振り向き、驚愕した。
工房の壁が、崩壊した。
中から蒸気が溢れ出てくる。巨大ななにかが歩み出てくる。やがてそれは、人型の像……黄金の巨像であることがみてとれるようになった。
警報が鳴り響く。無数の技術者が像にとりつく。兵士が投石器などを利用して、巨像に綱をかけようとする。が、像はすべてを軽々と払いのけてしまった。
ずずん……ずずん……と、重い音を響かせながら、巨像は鉄製の大門へ進み、静止した。恐る恐るちかづく、兵士たち。
が、像の目が徐々にひかりを帯び、やがて激しく唸りをあげはじめたから、全員が、転ぶように逃げた。
次の瞬間、巨像の両の目から凄まじい閃光がはしり、大門を直撃した。轟音と爆煙。視界が戻ると、溶けた鉄と石の瓦礫がみてとれた。
巨像は、帝国の境界をこえ、白い森の方向へ歩きだした。
その、胸のなか。
ごうん、ごうん、という断続する低い音。音のたびに、床が揺れる。目を覚ましたが、視界は暗かった。ジズは左右に目を走らせる。
暗く、まるい天井の部屋。正面には映像が写っている。窓ではない。なにかのちからで、外部の風景を映し出していた。
映像のまえで、こちらに背を向けて、なにかの作業をしている、少女。顔はみえない。帝国の兵士の制服を着ている。短く刈り込んだ赤毛の髪に、ちいさな白い花の装飾がおかれている。
「……おい……」
声をかけると、少女はびくっと身体をゆすり、手元の鞭をとって、振り返った。
「うごくな!」
ジズは両のてのひらを相手に向け、攻撃の意思がないことを示した。
「……おまえは、だれだ。ここは……<黄金王>の操縦席、か」
「わかってるなら黙ってて。あなたがいないとこの子は動かない。わたしが<浄化の歌>を歌うまで、付きあってもらう」
少女は一息にいって、赤みがかった瞳をジズに向けた。ジズと同い年くらいと思えるその顔は、ほほに涙を乗せていた。
「王子……黒竜王さま。悪いけど、協力してもらう。あたしは……あの森を、あたしのおじいちゃんを殺したあの森を、焼かなきゃいけない」
◇◇◇
「もう。ちゃんと歌ってください!」
真っ白な森の木々より少し高い、切り立った崖。そこにリティ・リティとダイゴは並んでいる。はるか下には清流、右手には大きな滝。
風でも吹いたらまた落ちるのではないかとダイゴはびくびくしていたが、リティ・リティは落ち着きはらっている。落ちたなら、また、飛べばいいということなのだろう。
さきほど、森の中を歩きながら、リティ・リティはいくつかのことを説明した。
この白い森には、<墓>とよばれる、古代の遺跡がたくさん眠っていること。彼女はその<墓>を管理する一族の生き残りであること。<墓>は、さだめられた歌、<神代の歌>をうたうことでさまざまな奇跡を起こすこと。白い森の住人たちはそのちからを利用して暮らし、あるいは外敵から森と自分たちを護ってきたこと。
そして、いまこの白い森は、隣接する帝国の侵入により焼かれようとしていて、それを防げるのは、伝説の<とこしえの灯火のうた>によって呼び覚まされる、白い森の<盾>、究極の防御機能だけだと伝承されていること。
その歌をうたえるのは、異世界からやってきた神だけだということ。
「……だから、僕は、ちがうってばあ……」
ダイゴは、とにかく元の世界に戻してくれ、と、なんどもリティ・リティに抗議したのだが、彼女は笑って受け流した。
「大丈夫です。ちゃんと歌がうたえるようになれば、奇跡も起こせるし、元の世界とも自由に行き来できますよ。まずは、練習です!」
歌の練習をしろというのだ。呼び出されたばかりで歌に慣れていないから奇跡を起こせないと、理解しているらしい。ダイゴは、ついにあきらめた。
それでさきほどからこの崖で、まずはちからを使うことに慣れようということで、滝の流れを止めるという歌を教わっている。
「もう一度あたしがやってみますね……えりすとる、そしえりお、ざいん!」
みじかい歌。それでも、地の声がふわっと高いリティ・リティが口ずさむと、まるで空気に色がつき、白い森ぜんたいが瞬時、艶やかに染められたように感じられた。
滝は、さあっという音をたて、水のながれを止めた。削れた岩肌が濡れて見える。どういう理屈か、流れ込む水がどこへ行ったのか、ダイゴにはまったく見当がつかない。
「……こんな感じです。さあ、もういっかい!」
リティ・リティは深い緑の髪をひらめかせ、ダイゴの背をぽんと叩いた。かみさま、と呼ぶわりには気軽に触りすぎだよ、と唇を尖らせる。
ダイゴは、元の世界では趣味で音楽をやっている。父親から譲り受けた古いノートパソコンに、デジタル音楽の編集ソフトをいれて遊んでいる程度だが、歌うことが大好きだったし、年上のいとこがバンドをやっている関係で、小さい頃からいろいろ楽器にも触れている。
が、しらない言葉の歌を、奇妙で不思議なリズムにのせて歌えといわれると、おもったような声が出なかった。照れくさいような、少し馬鹿らしいとおもう気持ちもある。
流れが戻った滝。リティ・リティが頷いた。すう、と吸い込んで、声をだす。
「……えりすとる、そしえりお、ざ、いん……」
ざざっ、と、わずかに水が反応した。ふたりは目を見開いた。が、水流がわずかに細くなっただけだった。すぐに元に戻り、リティ・リティはため息をついた。
「かみさま、もっと、気持ちを込めて。歌は、<墓>たちに、愛を伝えるためのものだと言われています。ずっとむかしのひとたちは、愛することで、愛を歌うことで、いろいろな奇跡を起こしたと。だから、気持ちが足りないと……」
「できないよっ!」
ふん、とリティ・リティと逆のほうをむき、ダイゴは、むくれた。
「急にこんなところに連れてこられて、へんな歌を歌えっていわれて、気持ちこめろったって、できるわけないじゃん、そんなの!」
「……」
「だいたい、知らないよ、こんな森、僕にはなんの関係もないし! 元の世界に戻れるっていうから練習しようと思っただけで。知らないよっ」
一息で言い切って、ふう、と息をつく。リティ・リティの反応をしばらく待つ。大きな声で怒鳴られるか、笑って、手を引っ張られると予想していた。
なにも起きない。
そろっと、ゆっくり、リティ・リティのほうへ振り返る。
じっと、ダイゴを見つめていた。
怒っていない。笑ってもいない。涙も浮かんでいない。ただ、見つめていた。
「……え……と」
ダイゴがなにか声をかけようとすると、リティ・リティは、目を逸らした。遠くの空をみる。
「……そう、ですよね。かみさまだって、急にあたしたちの森を助けてくれって言われたって、困りますよね」
「……リティ……」
「あたし、かみさまは、あたしたちのことみんな好きでいてくれてるって、思い込んじゃってて……」
そこまで言ったときに、リティ・リティの目から、おおきなしずくがぽろぽろ溢れてきた。ぐしっと、それを乱暴にぬぐう。ダイゴのほうをみて、無理やり、わらった。
「……帰れる儀式、あたし、知ってるんです、ほんとは」
「えっ……」
「でも、やっぱり、あたし、かみさまに……」
大粒のしずくが、笑ったままのリティ・リティの頬をつたって、いくつもいくつも落ちていった。が、がまんできない。顔がこどものように歪む。
「うああ。うああああん」
とうとう、口を大きく開けて、空を見上げて、泣き出してしまった。
ダイゴは凍りついている。こんなときになにをどうすればいいのか、泣いている女の子になにをしてあげればいいのか、知識がない。
この子はどうして、泣いてるんだ。えっ、僕が悪いの。どうして、なんで。なにか、わるいこと言ったかな。僕は悪くない。なんにもしてない。悪くない。そんなことがぐるぐると、頭のなかを巡っている。
と、そのとき。
ぶううん、と、羽虫のような音が空から降ってきた。
影が、さっとふたりの上を流れる。
『……リティ・リティだな! 墓守りの!』
頭の上。上空で、紅い巨大なトンボのようなものが飛んでいる。そのトンボから、羽音にまけないくらいの大きな声が響いた。
リティ・リティは涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いもせず、ぽかんと空を見上げている。ダイゴも手の甲をかざしながら、同じ方を見る。
「……あ、あの声! リンドル!」
リティ・リティは素っ頓狂な声を出した。
『おお、覚えてたか、いかにもわたしはリンドル、帝国の丞相だ』
巨大なトンボは、地上の二人の声も拾えるようだった。リティ・リティは眉を怒らせ、叫んだ。
「なにしにきた! また森の木を切りにきたのか! 痛い目にあわすぞ!」
『いやまて、あれは誤解だ、わたしたちは白い森の伐採調査をしようと……と、とにかく今はそれどころではない、ちからを貸してくれ!』
「意味がわかんない! ちゃんと言え!」
『帝国の巨大兵器が暴走した。もうすぐ、この白い森にやってくる。狙いはわからないが、おそらく、森が焼かれてしまう』
森が焼ける。その言葉に、リティ・リティは凍りついた。
「おまえら……やっぱり、はじめから森を焼く気だったんだな!」
『だから! わたしたちではない! いやいや、帝国の兵器だが、我々はそんなつもりはなかった、いや、もう、とにかく、時間がない! 協力してくれ!』
そのとき、ずずん、という地響きが聞こえた。
同時にばりばり、めきめきと、木が切り割かれ、倒されるような音。
リティ・リティとダイゴの正面には、山の峰がある。その峰の向こうから音が響いていた。
『しまった。もう来てしまった……!』
峰のむこうの音が、大きくなる。ずずん、ずずんと、近づいてくる。木々が揺れるのが見えた。鳥たちがぎゃあぎゃあと飛び立ち、森がざわめいた。
峰の横、切り立った岩の陰から、黄金の頭が、のっそりと、のぞいた。
硝子の玉のようなふたつの巨大な目が、陽の光をうけて、ぎらりと輝く。
それをみたとたん、ダイゴの足は、しぜんと逆方向に走り出していた。
リティ・リティは振り返って、叫んだ。
「あっ、かみさま……逃げた!」
◇◇◇
ジズはだまって少女の背を見つめていた。
「……えりすとら、くうれりお、さびおす……」
正面の映像と、手元の操作盤のようなものを触りながら、少女は歌っていた。
ジズは、少女が操る自在にうごく鞭のようなもので、後ろ手に縛られてしまっていた。鞭を動かしているのもまた、少女の歌だった。
「……それは、<神代の歌>か。なぜ、君が知っている。どうして、<黄金王>を動かせる。君はなにものだ」
ジズが少女の背に言葉を投げるが、今度はわずかに振り返っただけで、少女はうごかない。それでも少しの間のあと、こたえを返した。
「……乱暴にしてごめんなさい。白い森を焼いて、浄化して、緑の森に戻したら、どんな罰でも受ける。おじいちゃんの夢のためなら、なんでもする」
「……おじいちゃん……?」
「……あたしの名前は、ボナ・ダゴンド。王さまにも一度、おじいちゃんといっしょに、会ったことがある」
ジズは記憶をさぐるように目を動かしたが、やがて、ああ、と頷いた。
「ダゴンド……ダゴンド博士の、身内か」
ジズが、数年前に白い森の探索に入ったきり戻らない、帝国の古代史研究機関の教授の名前をあげると、ボナの背中がぴくっと動いた。
「……おじいちゃんは、白い森をむかしの緑の森に戻そうとがんばってた。<浄化の歌>、だれもころさずに森を焼いて、緑に戻す奇跡の歌、それをやっとみつけたところで、行方不明になった……」
ボナは、きっと後ろを振り向き、ジズを睨んだ。
「きっと……あなたたちが、おじいちゃんをころしたんだ! 白い森の、悪いちからを利用するために! 緑の森に戻させないために……!」
「……だれが、君にそう教えた?」
「……カトエーレ議長……立派なひと。道を踏み外したこの国をただそうとしている。泣くことしかできなかったあたしを、救ってくれた」
ジズは、事件の構図を理解して、ううと唸り、黙った。
評議会の腹黒い議長、カトエーレが黒幕だ。行方不明の博士の孫娘を利用して、王族たるジズがみずから白い森に攻撃をしかけたと、描こうとしている。
ダゴンド博士は白い森の<神代の歌>に通じ、先住民とも親しくつきあい、帝国の<王の歌>の改良と発展に尽くした、功労者中の功労者だ。
ジズの父たる先王も篤く処遇した。ふたりの夢は、帝国と白い森が協力して古代のちからを取り戻し、瘴気のないゆたかな大地で、すべての民が手をとって安寧のなかに暮らすことだった。
だが、先王を失い、博士も行方不明のいま、ボナのように誤った情報を信ずるものも少なくない。ジズは唇を噛んだ。
「……ひとつだけ、言っておく。<浄化の歌>は、白い森を緑に戻すためのものじゃない。森を……いや、帝国の多くを含めて、焼き尽くすための兵器だ。君の祖父がみつけたものではない。評議会がつくったものだ。この<黄金王>で、世界を攻略するため……」
「うそつき!」
ボナが叫んで、振り返り、なにかの部品をジズになげつけた。泣いている。
「カトエーレさんが間違いをいうはずがない! この歌は、おじいちゃんがみつけた、だいじな歌だ! ……ほら、もう、白い森の中心部についた、嘘かどうか、試してみればいい……!」
そういい、息を吸い込む。胸に手をあて、声をだす。
「……りいどる、りりるとる、りぐれお……」
うううぉぉぉぉん……。
<黄金王>が、呼応するように、震え出した。わずかに室内の温度が上がったようだった。きゅいん、きゅいんと、金属を削るような音。低いうねりが、ゆっくりと高まってゆく。
と、ジズが叫ぶ。
「おい、誰かいる……ひとがいるぞ!」
ボナの目の前の映像の真ん中に、大きなあかいトンボ。帝国の飛翔機械だった。崖の上に着陸している。横には、リンドル。ジズの忠臣、丞相リンドルと、その隣に、見知らぬ緑の髪の少女。
「……っ!」
ボナは、声をのんだ。歌を止める。しかし、<黄金王>は、唸りつづけた。
「……とまらない……えっ、とまれ……とまれ……っ!」
めちゃくちゃに操作盤をたたくボナ。が、<黄金王>は、反応しない。みずからの意思でそうするように、ひときわ大きな咆哮をあげた。
その様子を崖の上から見ているのは、リンドルとリティ・リティ。
「……まずい。まずいぞ」
リンドルは頭の左右の金髪のとぐろを揺らし、髭をぴんとひっぱりながら、目を見開いている。
「あれは……<浄化の歌>……なんてことだ、大地ごと焼き尽くすつもりか」
リティ・リティは、リンドルの背中を、蹴った。つんのめるリンドル。崖から転落しそうになり、あわあわと戻ってくる。
「とめてよ! はやく!」
リティ・リティが叫ぶが、リンドルも叫び返す。
「ああなったら止まらん! 逃げるぞ! おまえも乗せてやる、飛翔機に乗れ!」
リティ・リティの腕を掴まんばかりにするが、緑の髪を閃かせて、彼女は後ろのほうへ走り出した。
「おいっ、どこへいく!」
「かみさま、さがさないと……!」
リティ・リティは、先ほど森の奥へ走って行ったダイゴを追いかけるつもりだった。
と、そのとき。
ず、ず、ずずずずずず……。
地鳴り。だが、熱風をともなっていた。
黄金の巨像の両腕から、すさまじい炎が吹き出している。
膨大な熱が、ふたりが立つ崖の周囲を覆う。木々が焼け、倒れる。滝が瞬時に蒸発し、岩に亀裂がはいり、崩壊した。
崖が崩れる。
転がり、ずり落ちるふたり。
リティ・リティは、飛翔の歌をうたおうとした。が、熱風を吸い込み、声がでない。目をみひらき、喉をおさえる。ひゅう、という小さな音しかでない。
リンドルが横を滑り落ちていき、姿がみえなくなった。
彼女の横にあった巨大な岩が熱により破砕し、頭よりもおおきな破片が無数に降りかかってきた。
リティ・リティはぎゅっと目をつぶり、白い森のなかまたちへの別れのうたを、こころのなかだけで歌った。
岩が、彼女をおしつぶそうとした、その瞬間。
「……とおくできこえる、きみのこえ……いのりのなかで、よんでいる……ぼくも、こたえる、めをつぶり、このうたで、このことばで……」
炎から生じる爆音がかき消される。
かわって、凄まじい轟音。水の音。
崩れた滝のあたりから、濁流が押し寄せてきた。崖を下り、流れ込む。
水はあたりの炎を瞬時に消し去った。折れた樹々を巻き込みながら、炎の中心にあった<黄金像>の足元にせまる。みるみる水嵩を増し、やがてその腰までの水流となって、巨体を押し流した。
リティ・リティは、空気の珠に、つつまれている。
ふわりと、水面に、浮いている。
きょとんとした顔で周囲をみる。遠くでは、おなじように透明な珠に包まれたリンドルが、上下さかさまになってわたわたしているのが見えた。
「……ぼくは、きみが、だいすきだ……!」
声は、上空から聞こえた。
リティ・リティは空をみあげ、ぽかんとした表情をつくり、やがて、ぽろぽろ涙をこぼしはじめた。
「かみ……さま」
ダイゴが、ひときわ強くひかる珠のなかで、両手を大きく広げて、歌っていた。その声は、周囲の轟音をこえて、いま水に沈むこの白い森の空ぜんたいを覆っていた。
やがて、ダイゴはくちをつぐんだ。
下を見る。リティ・リティと、目があう。
自分の両手を見る。空をみあげる。左右をみる。と、奇跡が終了した。
「わああああ!」
上空から落下する、ダイゴ。
リティ・リティは、珠をやぶり、飛んだ。
「れいりお、しずすとら、ふれいあ!」
中空で、リティ・リティの手が、ダイゴの腕をつかんだ。くるんと身体がまわり、ふたりは、抱き合うかたちになった。
そのまま、くるくると、上空で静止したまま、たゆたっている。
「……かみさま、ありがとう、ございます……」
ダイゴの胸に顔を押し付け、リティ・リティは、震えている。その背に恐る恐る手を回して、ダイゴは、照れ笑いをつくった。
「……ごめん。とっさに、あんな歌しか出なかった。僕の、初めてつくった曲。へへ、あんなのでも、いいんだね……」
「……きもち、が、すべてです……うたは、きもちです……かみさま!」
ぎゅう、っと、背に回した腕をしめつけ、リティ・リティは叫んだ。
「だいすき! かみさま!」
水の上、ぷかぷかと流れる、作動不能となった<黄金王>。
その肩の上で、ジズとボナは並んで、呆然と、遠くのリティ・リティたちを眺めている。
「……あれが、白い森の、墓守か……」
ジズが呟くと、ボナは小さく抱えた膝に顔を埋め、ひときわ大きな嗚咽を漏らした。
<第一章 完>
*その後のストーリー展開のイメージ
リティ・リティは黒竜王ジズとボナを墓守の長に会わせる。長はボナと祖父と思われる人物が数年前訪ねてきて泉の邑にゆくといって消えたことを思い出す。ボナは長たちと泉の邑へ向かい、リティ・リティとダイゴはジズらを帝国へ送るために出発する。が、ジズらは途中で帝国の騎士団に捕まってしまう。帝国へ連行され、評議会議長カトエーレの元に突き出されるリティ・リティ。だが意外に優しい対応を受ける。なぜ白い森を滅ぼす? リティ・リティが問うと、カトエーレは、滅ぼすためではない、世界を護るためだ、だがそのためならなんでもやる、と言う。その言葉どおり、翌朝、カトエーレはジズの御前で、白い森の先住民と結託して帝国を滅ぼそうとした罪により廃王とする、と宣言した。しかも、ダイゴがそのことに証言したのだ。リティ・リティは混乱する。が、ダイゴは寸前で言葉を取り消し、怒ったカトエーレの手のものに殴られかかる。かばうリティ・リティ。殴られ気絶する。ダイゴは怒り、リティ・リティに習った歌を歌う。相手をころばせる程度の歌だが、ダイゴが秘めた力により、それは宮殿全体を破壊した。ダイゴの力に着目したカトエーレの腹心がダイゴを攫い、力を独占するため白い森へ向かう。崩壊により大怪我をしたカトエーレは、リティ・リティたちとダイゴを追う中、過去を暴露する。カトエーレはボナの祖父、レオの弟子であり、ダイゴの祖母ハヅキはレオの恋人だったという。レオは研究により世界が崩壊しつつあること、白い森の力でそれを食い止めていること、だがもう限界であることを知る。レオは滅びの運命を受け入れるべきと主張して、白い森の力の根源、終焉の門とともに自らを隠した。ハヅキは古代の力を利用して太古の世界に戻り、門を再起動する力を持つ者、この世界と太古の混血の者をこの世界に送るといい、消えた。カトエーレは権力を手にいれることで白い森に迫ることを選んだ。そうして、ダイゴが、かみさまとして送られてきたのだ。その頃、泉の邑ではボナが祖父の痕跡を見つけ、それをきっかけとして泉の民と乱闘となっていた。ボナは歌の力で墓守たちとともに戦うが、崖から落ちる。そこへ祖父が現れて彼女を救い、カトエーレが語ったのと同じことを説明した。そして終焉の門は自分の住む小屋の地下にあると。そこへ同時に到着した、ダイゴを連れたカトエーレの腹心と、リティ・リティたち。
白い森とこの世界の秘密をかけた、最後の戦いがはじまった。
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