《幸せ》

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《幸せ》

 客を捌き終えて一息吐いたところ、リンがどこかへ居なくなってしまった。看板に『休憩』という札をぶら下げて室内へと入っていけば……リンは簡素なエプロンでなにかを作っていた様子であった。  ふんわりと香るトマトの香りにレガンの腹が鳴く。リンはその音に驚いたかと思えばふふっと綻んだ。 「お腹空いているでしょ? 今ね、トマト缶があったからペスカトーレ作っているんだ。ここは本当に魚介類が多いんだね。冷蔵庫にいっぱい魚介類がたくさんあるの初めて見た!」  ペスカトーレとは魚介にトマト缶を入れたパスタである。そういえば、そこまで家事はしないがおすそ分けや金が払えない客からは物々交換をして凌いでいたなとレガンはふと思った。  魚介類も捌くのならできるので焼いて終わりというのがレガンの料理である。だから凝った料理は作ったことがなかった。  リンがふつふつと揺れるパスタの火を止めてざるに濾して麺だけをソースに入れて混ぜる。ふんわりと香るトマト缶とコンソメに魚介類の香りがさらに空腹感を抱かせた。 「よし、できるよ。お皿に盛るから待ってて!」 「あ、うん! ありがとな」  机に座り待っているとペスカトーレとアサリのスープが運ばれてきた。すると今度はリンのお手製の洗濯機へ駆け寄り、洗って乾かしていたレガンの作業着を手早く確認する。  まるで彼女ができたような、新婚夫婦のような光景にレガンはにやけが止まらなかった。 「うん! 乾いているし平気だね、ってレガン? どうしてそんなににやにやしえいるの?」  嬉しそうな顔をして作業着を畳んで置いてから席に着くリンにレガンは白状するように「嬉しくてさ……」なんて言い出した。  フォークでくるくるとパスタを回し、スプーンですくって丁寧に食すリンは豪快に食べるレガンへ首を傾げる。 「ご飯作ったこと? それとも作業着が乾いたこと?」 「どっちも……って言うより、なんか、その……リンのおかげで幸せになったなって」  赤面しながら慌ててパスタを食し詰まらせて水を飲むレガンにリンも顔を真っ赤にさせた。あたふたとしてしまいトマトソースをせっかくの洋服に付着させてしまう。  リンが切なげな顔になった。 「どうしよう……。着替え、無いんだよね。気に入っている服なのに……」  洗面所へ行って濡れたタオルで赤チェックのワンピースを拭うがなかなか取れない。するとレガンは立ち上がり「俺の作業着、着な」にっこりと笑った。 「今日はもう店じまいにしようと思っていたんだ。洋服とかエプロン買いに行こうって話しただろ?」 「そういう話もあったけれど……、でも、――いいの?」  澄んだ黒目の大きな瞳にレガンは心に刺さって悶えそうになるのを堪え、「平気だよ」そう告げた。  するとリンは嬉しそうな表情を見せてから、パスタとアサリのスープを食し終えて着替えに行ったのだ。
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