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日がゆっくり雲間に沈んで、やがて辺りは暗くなる。それなのに、僕はなかなか立ちあがることができなかった。今日はもう来ないだろう。もしかしたら明日も。あさっても、しあさっても、ずっと先も。
立ちあがったら、それきりになる。なんだかそんな気がして、踏ん切りがつかないままボンヤリした数分後、フッと前に影が差した。
「速水くんでしょ?」
一瞬だけ柚葉かと思った。でも違っていた。
星良高校の制服。名前を呼ばれたのに、その子の名前は思いだせない。短く切りそろえられた髪。臙脂色のリボンが夕暮れでもよくわかる。
「覚えてない? 同じクラスの久世なるみ。しおり届けてくれたって、先生から訊いて」
僕の視線があまりにも虚ろだったからだろう。まるで弁明するように、その子は自己紹介をした。
「久世さんのだったんだ」
持ち主に届いたならよかった。
それで、わざわざ声をかけてくれたのか。そう思った矢先、「違うの」と久世さんは言った。
「私のじゃないんだけど、でもお礼を言いたくて」
私のじゃないのに、お礼を言いたい?
久世さんの意図がわからなくて、首をかしげそうになる。
「同じ図書委員だったんだ。このしおりを大事にしてた」
そう言って、久世さんはしおりを取りだした。銀色で華奢な飾りがあって、青い紐が付いている。間違いなく、僕があの日届けたものだった。
「しおりの持ち主はどうしてるの?」
転校してもういないとか、そういう話だろうか。久世さんはゆっくり首を振る。
瞳が夕闇のなかで光って、うっすら濡れてるようだった。
「少し前に亡くなったんだ。交通事故だった。このしおりは、だから遺品。それでも届けてもらえてよかった」
それじゃあまたねと言って、久世さんは背を向けた。その背中を眺めながら、柚葉の言葉を思いだす。
物の記憶を見ることができる。
柚葉が見ることができるのは、遺品の記憶なんじゃないか。
久世さんが行ってしまうと、僕はベンチから立ちあがった。ひとつめの落とし物、くーるんのことを確かめたいと思ったから。
公園の東側にある赤い屋根の家へ行き、後先考えず玄関のチャイムを押した。その時点で何も考えていなかった。ただ、今感じたことを確かめたい一心だった。
チャイムを鳴らして数秒後、ひとりの女のひとが出た。
「あの、数日前に茶色いくまのぬいぐるみを届けたんですけど」
そう言うと、女のひとは怪訝な顔をした。心臓の鼓動が跳ねあがる。
「もしかしたら、その……ここじゃなかったかもって、思いまして……」
だんだんしどろもどろになって、同時に冷や汗が吹きだした。いきなり来て、何を訊いているんだろう。
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