君が忘れたあの場所で

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「あなたが届けてくれたの?」  その声は思ったほどとげとげしくなかった。声につられて顔をあげる。四十代くらいの女のひとと目があった。 「あれは、心菜のよ。間違いない。大切にしてたのになくしてしまって……あのくまを見たときは、心菜が戻ってきてくれたのかと思った」 「あの、それで、心菜ちゃんは……」  うっかり名前を呼んでしまう。  女の子の名前も柚葉は言いあてていた。 「もうすぐ四十九日になるわ」  やはり亡くなっていた。  目の前が暗くなる。 「でも、どうしてあのくまが心菜のだってわかったの?」 「偶然、この家の前で遊んでいるところを見たことがあったので……」  恐れていた質問を前に、口から出てきたのはそんな言葉だった。いくらなんでも無理すぎる。  そう思ったけど、女のひとはそこまで不審に思わなかったようで、「そうだったの」とつぶやいた。 「心菜、あのくまといつも一緒だったから。だいぶくたびれていたでしょう? でも、戻ってきてよかった」  最後のほうでその人は声をふるわせた。  泣くのをこらえているような声だった。突然訪ねた非礼を詫びて、あわててその場を離れることにした。  僕がここに来る前に感じたことは正しかった。柚葉には遺品の記憶が見えるのだ。でも、だとしたら、なんでそんな力があるんだろう。彼女にこのまま会えなければ、それも永遠にわからない。そして、僕は柚葉のことをほとんど何も知らなかった。  一週間ほど空白の日々が続いた。もう二度と会うこともない。そう観念した夕方、何の前触れもなく柚葉は目の前に現れた。 「届け物をするのは、今日で最後にしようと思うんだ」  最初、願望が見せる幻かと思った。でもそうではなくて、柚葉は当たり前にそこにいた。今までどうしてたのとか、なんで来なかったのかとか、いろいろ訊くことはできたけど、何も言えずに口をつぐむ。  柚葉とこうやって会えるのも、今日で最後なんだろう。二度と会えないと思ったからこそ、彼女の突然の出現にとまどってる自分がいた。でも、戸惑いを押しあげるようにふつふつと喜びが湧いてくる。たとえ今日が最後でも。 「届けたいものはあるの?」 「これ」  柚葉が取りだしたのは、キーホルダーだった。カクテルグラスだろうか。青色のとがった石が先端に付いている。日に透かすとキラキラ光って、まばゆい反射に少し見とれた。  このキーホルダーの持ち主も死んでいるんだろうか。そう思うと、黒い染みのような重いざらつきを胸に感じた。 「これの記憶も見えるの?」 「うん、今日は少しだけ遠くに行くことになると思う」  彼女はそう言って、うながすように僕の腕を持ちあげた。予想よりも冷たい手。立ちあがって向かった先は、市内の駅だった。 「電車に乗るの?」 「そう、今日で最後だから」  柚葉は決まった台詞のように「今日で最後」をくり返す。小銭が手元にあってよかった。僕が改札をくぐると、柚葉もあとから付いてくる。  今日で最後なら訊きたいことを吞みこんでる場合じゃない。シートに落ちつくと、気になったことを口にする。 「柚葉が見ることができるのは、遺品の記憶なんだよね」  柚葉がとなりで少しだけ身を固くするのがわかった。 「どうしてそう思ったの?」 「くーるんもしおりの持ち主も、亡くなってるってわかったから」  ひとりめは偶然だとしても、ふたり続くと必然的に可能性は高くなる。  電車のなかは空いていて、乗客の姿はまばらだった。柚葉が小さくため息をつく。気づいてはいけないことだったかもしれない。でも、もし事実なら知っておきたい気持ちもあった。 「わかるようになったのは、少し前なんだ。自分でもそんな能力が備わってるとは思わなかった」  規則的に電車が揺れる。その震動とともに彼女の言葉が運ばれる。 「見ないふりだってできたのに、もうそれができなくなった。遺品の記憶が見えるのは後悔してるからだって、自分でそうわかったから」 「後悔してる?」  無意識にそうくりかえす。  彼女がうなずくと同時に電車が停車した。 「ここだ」と柚葉が立ちあがって、その先を訊くことはできなかった。  電車に乗ってるあいだに日が落ちたのか、辺りは暗くなっていた。十月になると、さすがに日も短くなってくる。彼女について歩きながら、僕はてっきり誰かの家を目指してるんだと思ってた。くーるんのときと同じように。でも、たどり着いたのは市街地にある公園だった。
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