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3.天使レンジの誘惑
やがてミカエルが巡回を終えて店を出ていくと、天使は途端に、はあああと盛大にため息をついた。
「あーあ、ミカエル様ったら、もう行っちゃった。つまんないの」
彼女は天使寮から選抜された『ヘブンイレブン』スタッフの第一期生だ。この仕事の募集が開始されるや、真っ先に応募した一人である。
優しそうな顔をして、実は口うるさいばかりの寮母マリアBBAの元にいるぐらいなら、イケメンのミカエル様の近くで働きたい、というのが本音のところだった。
期待に違わず、下界での暮らしはなかなか刺激的だった。煩雑なマニュアルを覚えるのは大変だったが、慣れれば何とかなる。何より三日に一度、ミカエルが巡回のために顔を見せてくれるのは、この上なくおいしいご褒美だ。
ただひとつ厄介なのは、客にちょくちょく絡まれることだった。
特に男性客を中心に「お姉さん、可愛いねえ。天使みたい」などとにやけた声で言われるたびに、表向きはマニュアルどおりにっこり笑って流しつつ、心の中で「みたいじゃなくてガチの天使なんだよ、このボケが」と毒づくのにも、いいかげん嫌気が差してきた。
それでも仕事は嫌いではなかったが、 “天使レンジ” の扱いはいささか面倒だった。
目玉商品だけに客の需要も高い。ということは、それだけ小まめなメンテナンスが必要とされる。天界の神の息を吹き込んだ紙はしょっちゅう在庫が切れるし、レンジの中も度々拭かなければならない。
それなのに人間ばかりが、癒しと祝福にあふれた品を手にして、満足そうな顔つきで店を出ていくのだ。反面、身を粉にして働く天使には、おこぼれの欠片もない。
「なんか、人間だけずっるい……そうだ!」
ある日の夜、ぼんやりとカウンターに立っていた天使の心にふと魔が差した。
幸い、深夜シフトで客もいないし、今日はミカエルの巡回日ではない。
天使はカウンターを出て、窓際に置かれた天使レンジに近づいた。
偶然にもさっき補充したばかりの紙の束の下の方から、しわのない飛び切りきれいな一枚をそっと抜き出す。
「やっぱ書くならコレだよね……『ミカエル様に会えなくて寂しい』――ひゃあ、書いちゃったぁ! うっそぉ」
誰もいないのをいいことに一人でひとしきり騒いだ天使は、丸っこい字で書かれた紙をレンジに入れて、そうっとボタンを押した。
聞き慣れた、ぶぅんという音に胸をときめかせながら待つこと数分……。
「きゃああ!」
突如、雷の落ちたような凄まじい音が響き渡り、店全体がぐらぐらと揺れた。
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