4.vs ルシファー

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4.vs ルシファー

慌てて飛びのいたレンジから、黒い煙がもくもくと立ち昇った。煙は消えるどころか、あっという間に店の中に充満していく。 「――ほう。天使自ら “天使レンジ” を使うとは、勇気のあることだ」 背後から浴びせられた凍りつくような冷たい声に、天使は、ひっと声を洩らして縮み上がった。しまった、抜き打ちの巡回かと恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのはミカエルではなかった。真っ黒なスーツに身を固め、黒い翼と尖ったツノを持った…… 「る、堕天使(ルシファー)様……!」 煙で暗くなった店内でもはっきり判る蠟のような白い顔で、ルシファーはにたりと口の端を上げた。 「 “天使レンジ” はあくまで下界専用、天界の者は決して使ってはいけないという掟だったはずですがねえ。はてさて、我が親愛なる大天使ミカエルどのは何を教えていたのやら……」 天使は思わず唇を噛んだ。天界での研修の時に、確かにそう聞いたはずだ。だがその時は、前に立つミカエルに見惚れるのに忙しく、肝心の研修内容などほとんど右から左だったのは否定できない。 「あ、あの……私、忘れていて……」 困り果てた天使の顔を見るルシファーの口元が、ますます愉快そうに歪む。 「せっかく派遣された天使がこのざまとは、ミカエルどのともあろうものが、手抜かりの極み……いや、もしかしたら、これは彼からのかもしれませんねえ」 「心づけ? どういう意味?」 ルシファーは、おやおやというように首を傾げた。 「なに、考えれば判ることでしょう。あなたは天界の掟を破った。理由はどうあれ破戒行為に手を染めたということは、即ち私の支配下に置かれることになる。あなたの浅はかな行いがミカエルどのの指導不足によるものならば、それは彼から私へ貢がれたも同然ということですよ、可愛い天使どの」 天使の背筋が、今度こそ凍りついた。ルシファーは音もなく近づくと、尖った爪の光る手を天使に向けて伸ばした。 「いやあああああ!」 天使が悲鳴を上げた途端、唐突に「ちんちろりーん」と軽やかな音がした。入口のドアが開いて、若い男が入ってくる。客だ。どうやら人間には店の中に漂う煙が見えないらしく、そのまままっすぐレジへ向かっていく。 「あれ、お店の人いないの?」 レジを覗き込んだ客が、ルシファーの小さく洩らした舌打ちが聞こえたのか、こちらを振り返った。 「あ、いたいた。おねーさん、煙草ちょうだい」 「え……?」 すると男性は、面白くなさそうに口を尖らせた。 「ねえ、そろそろ覚えてよ。俺、毎日この店で煙草買ってるじゃない。おねーさんが可愛いから来てあげてるんだよ」 ――思い出した。毎日来ては、何かとちょっかいをかけてくるウザ客だ。 だが動こうにも、天使の体は凍ったように強張ったままだった。 「ほら、早くしてよ。いつもの88番ね」 その瞬間、ルシファーの顔が醜く歪んだ。 それを見た天使ははっと我に返ると、ルシファーを突き飛ばすような勢いでカウンタ―の中へ駆け込むや、レジの奧の棚から両手で持てるだけの煙草を掴み取った。 「はい、お待たせしました! 88番の煙草ですね!」 大声で叫びながら、カウンターの上に煙草を山のように積み上げる。 「こちら88番の煙草になります! 88番! お間違えないでしょうか!」 天使はことさらに数字を連呼した。研修の防犯訓練で、8は数字の中でもひときわ強力なパワーを持つ、と教えられたことを思い出したのだ。 「くうっ……!」 ルシファーは歯噛みしたものの、人間の前では迂闊に手を出せない。血走った目で天使を睨みつけると、そのまま足音も荒く店を出ていった。 ――切り抜けた……! カウンターに手をついて思わず大きく息を吐いた天使に、男性客が当惑したように声をかけた。 「あれ、どうしたの? ――ねえ、さっきの人、何か変じゃない? 全身黒ずくめでさ、頭にツノとかつけてなかった? ハロウィンの仮装にはまだ早いよねえ」 「あ……あの、ちょっと絡まれて……」 男性客は驚いたように目を見開いた。 「何それ、ヤバいじゃん。夜のコンビニは、気をつけないと変な奴も来るからさあ。おねーさんみたいな可愛い子は用心しないと」 いつもなら心の中で「変なのはオメーの方だよ!」と毒づくところだが、今日はそれどころではない。天使はカウンターの上の大量の煙草をビニール袋へぎゅう詰めにすると、目を白黒させている男性の手へ押し付けた。ついでに日頃はミカエルにしか見せないような、とっておきの笑顔を浮かべるのも忘れない。 「さっき助けてくれたから……私からのお礼です」 男性は慌てたように手を振った。 「いいよいいよ、そんなの。俺全然、状況判ってなかったし。何かしゃべってるのかな、ぐらいにしか思ってなかったからさ。そんなのでお礼とかされたら困っちゃうよ」 ――馴れ馴れしくてウザい奴だと思ってたけど、意外といい人なのかもしれない。 天使は首を振って、もう一度にこりと微笑んだ。今度は本物の笑顔だ。 「いいんです。だって、お客様は神様だから」 (了)
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