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side.峯川斗有
「はい、わかりました。大丈夫ですよ。……え?……あはは。恋人はおりませんのでご心配なく。はい、では20時に」
相手の声が完全に切れたのを確認してから、スマホを耳元から離した。
「ちっ」
大きく舌打ちする俺を見て、隣を歩いていた会社の後輩、吉野は「またですかぁ」と呟いた。
「あ?」
「電話。K社の青柳部長でしょ?いっつも峯川先輩にセクハラまがいの質問してますよね」
「聞こえてたか?」
「聞きたくて聞いたわけじゃないですよ。どうせ『恋人が待ってる時間に呼び出して悪いねぇ』とか言ってんでしょ。いつまでも昭和だと思ってるんですかね、あの部長」
「……あの人はあれが挨拶だからな。もう慣れた」
「は~、先輩ってばまだ若いのにオトナっすね」
俺なら訴えてやるっす、という吉野に「そんな勇気も金もないだろ」と返しながらスマホをしまった。
学生時代、運動部でがっつり活動してきた俺は上下関係には多少耐久があると自負している。社会人でも似たようなもんだ。もともと年上だろうが年下だろうが人見知りもしない自分は、営業職が肌にあってる。
ちら、と時計を見て、俺は吉野に言った。
「1時間、時間できたな。会社戻るか、どうする?」
「ラッシュ時ですし、わざわざ電車使うのもめんどいっすよね」
「だな。適当にコーヒーでも…どっか入るか」
「了解っす~」
20時のアポまで、近くの喫茶店にでも入ろうかと決めて歩き出した。吉野が「でも」と話を続ける。
「先輩、今日代休だったのに良かったんすか?こんな会社のためになるか甚だ疑問な飲み会のためにわざわざ出社して。しかも遅刻されるし」
「仕方ないだろ。まだお前ひとりに任せるわけにいかねーし」
「そりゃ俺はただただありがたいっすけど~。ほら、青柳部長じゃないけど、先輩、恋人とか大丈夫かなって思って」
「………」
ちら、と覗きこむようにこちらを見る吉野の瞳には完全なる好奇心が丸見えだ。
俺は鼻で笑って返して、ついでに吉野の額をコツいた。
「バカか。俺の心配より自分の心配しろよ。彼女と破局寸前なんだろ?お前」
「げぇ。それ今、言いますか?てゆーか聞いてくれます?」
「聞かせたいんだろうが」
吉野の彼女自慢はいつものことだ。大体喧嘩して3日もすれば仲直りの繰り返し。
チャラさはあるけど意外と真面目で一途な青年なんだと知ってるのは社内でも俺くらいか。
「そんなに深刻なのか?」
「やべーっすマジで今回は。過去イチやばくて」
「1時間しかねーけどその話、終わるんだろうな?」
無理!という吉野を見て笑った。
堂々と恋人の話ができる吉野のことをいつも少しだけ羨ましい。
そしてーー
(桜橋はまだ……授業中だな)
自分の恋人が今どこでなにをしているのか考えてしまう俺も、吉野と同じく一途な人間なんだと思う。
桜橋と付き合ってもうすぐ1年ーー。
高校生のときから桜橋陸人は俺の憧れだった。いや、俺だけではない。容姿も性格も良く、勉強も運動も常に一軍クラスにいたあいつを慕う生徒はたくさんいた。
運動部のことばかりで成績は全然だった俺には遠い存在だった。
接点はクラスメイトというくらいで、特別仲が良かったわけではないあいつと、たまたま再会できた同窓会で距離が近づいたときは内心めちゃめちゃ嬉しかった。
今でも、そうだ。
まさか付き合えるとは思っていなかったし、そんな関係が1年続くとも思わなかった。
必要以上に気持ちが舞い上がりそうになったときは必死で余裕なふりをした。依存しすぎないように、負担にならないように。
あいつに抱かれたあとは、特に、だ。
今日も、そう。
早く離れないと離れられなくなってしまう。
そんな自分を知りたくなかったし見たくなかった。
だから、今日あいつに「本当に好きなの?」と聞かれ心臓が跳び跳ねた。
だって、なんて答えればいい?
「お前が本当に好きだ」「愛してる」?
そんなこと言ったら迷惑だろ。俺のキャラでもないし。第一、本当に離れたくなくなる。
(………なんでそんなこと、聞くんだ)
桜橋の部屋を出たあとはいつも、夢から覚めて現実に戻ったような感覚になる。
1年も過ぎればとっくに慣れると思っていたのに。
目について入った喫茶店で、吉野の女の話を聞きながら俺は、頭の片隅でいつも桜橋のことを考えている。
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