第1章 七の女王

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 部活動入部式が始まった。一年生の教室がある廊下には、上級生たちが溢れ、一人でも多くの部員を確保しようと勧誘活動に勤しんでいる。  合唱部に入ると決めている優から「一緒に行こう」と誘われたが、七音にはやることがある。適当に誤魔化して、彼を先に音楽室に向かわせた。 (このチャンスを逃したら終わり。あの人を探すんだ)  効率よく、機敏に部活動巡りをするのだ。冊子を眺めて、何度も回る順番をシミレーションした。大丈夫。そう自分に言いきかせてから、足を踏み出す。  すると、背後が騒がしくなった。振り返ってみると、七音のクラスの前にたくさんの人だかりができていた。 「おい! 七の女王を出せ」 「出せって言われても。……今さっき、出ていっちゃいましたよ」  クラスメイトの言葉に、勧誘にきた人込みから「探せ」とか、「捕まえろ」とか、物騒な言葉が飛び出した。 (え! そ、そうか。そうだった!)  七音は指名手配犯が逃げるように、部活動一覧の冊子で顔を隠しながら、トイレに駆け込んだ。  七音が人探しをしている事情など関係なく、各部活動からの勧誘は続くはずだ。 (どうしよう……。困ったな。でも、この機会を逃したら。もうないかも知れないんだ。僕はあの人に「ありがとう」するんだから)  しばしの間、深呼吸を繰り返した後、「よし」と頷く。それから冊子で顔を隠し、できるだけ目立たないようにと、静かに廊下の隅を歩いていった。  廊下には和装の文芸部。ガーデニングのエプロンの園芸部……。さまざまな部員たちが、あちこちで声を上げていた。彼らの周囲に集まる人だかりを避けるように、七音はそっと階段を上っていった。  二階に上がるのは、入学してすぐに学校案内をされた時以来だ。周囲の人と、できるだけ視線を合わせないようにしながらも、注意深く人の顔を観察していく。  人、人、人。たくさんの人に、なんだか目の前がクラクラとしてきた。昨晩。あまり眠れなかった。入部届を書くのに、ずいぶんと時間がかかったのだ。  七音はポケットに入っている入部届を、服の上から撫でる。 (部活は決めた。いいんだよね。これでいいんだ)  散々悩んで決めたこと。この選択の結末がどうなるかは、今の七音にはわからない。 「あんたは写真部がいいよ。ただ黙々と撮っているだけでいいし。品評会なんて、黙っていたって平気なんだから」  昨晩。部活動の冊子を見ていた姉の奏はそう言った。母親も「そうね」と同意していた。家族が推すのだ。その選択は間違いがないということ。七音もそう思った。 (写真部は、二階の奥にある視聴覚室で活動しているって書いてあったはず)  そんなことを思いながら、足を踏み出した瞬間。ふとある男と視線が合った。その男は丸い眼鏡。そして今日は騎士の甲冑をまとっていた。 (あ!)  急いで目を逸らすが遅い。甲冑の男——演劇部長の鎌田は「七の女王だ!」と叫んだ。鎌田の声に、周囲にいた他の生徒たちも一斉に七音を見る。こうなってしまうと、一歩も動くことができなくなってしまった。 「あれが?」 「女王か」  ヒソヒソと囁かれている声に、膝が震えた。こんなにも大勢の人に注目されるのは怖かったのだ。動けなくなってしまった七音の腕を鎌田が掴み上げた。 「捕まえたぞ! 探したんだから。君は娘役に適任だ。さあ、僕たちと一緒に演劇をやろうじゃないか」  するとすぐ隣から男が顔を出す。 「なにを言う。美術部だ! 一緒に絵を描こう。絵を描くのは楽しいぞ。優劣などない。君の気持ちをキャンバスに描く。これだけでいいのだ! そうだな。君だったら、モデルにも適任かもしれない。モデルになってくれ。七の女王を題材に絵を描いてみたいものだな」 「横取りする気か? ずるいぞ。高崎!」 「うるさい。抜け駆けしようとするお前のほうがずるいぞ。鎌田!」  七音を挟んで、二人は諍いを起こし始める。 「前々から貴様のことは気に食わなかったのだ。このコスプレヲタク!」 「はあ? 言ったな! 女の裸ばっかり追いかけているクセに」  もしかしたら、二人の間には以前からの因縁があるのかもしれない。あっという間に取っ組み合いの喧嘩に発展していく。七音は膝がガクガクと震えて動くことができなかった。  二人の口論はヒートアップしていくばかりだ。あまりの騒ぎ、周囲の者たちが止めに入ろうとするが、それを振り切った鎌田が高崎に掴みかかった。  高崎はそれを払うと、腕を振り上げる。鎌田は、姿勢を低くすると、軽々とそれを避けた。そのおかげで、高崎の拳は、当たり所がなく、そこにいた七音にぶつかりそうになった。  七音は思わず体を小さくした。しかし。それは七音には届かない。そろそろと顔をあげてみると、高崎の腕をがっちりと掴んでいる男が隣に立っていたのだ。  窓から差し込む光で、彼の顔はよく見えなかったが。その後ろ姿は——。 「女王が欲しいのはわかるが、女王を傷つけてどうするんですか。とても紳士的振る舞いとは思えないですよ! 先輩方」  華奢で。しかし、その背中は見覚えのある背中。 (あの時の——!)
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