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「なんだ。お前たち。来るのが遅いぞ! おれ様は『昨晩』からここで待機していたのだ! 貴様らのような軟弱な奴らとは違うぞ。悪いな。お前たち。今年の七の女王は合唱部がいただいた!」
一体、なにが起こったのか。七音にはさっぱり理解できなかった。
「昨晩だと!? お、お前。筋金入りの馬鹿だな!」
「徹夜だなんて、そんな奴、聞いたことがないぞ。守衛の見回りはどうした!」
「そんなものは適当にあしらえば良い」
獅子王は「ふん」と鼻で笑う。目の前のいる男たちはみなが地団太を踏んでいるようだ。七音はまるで狐につままれたような気持ちになった。
「くそー! そんなの卑怯じゃないか!! 合唱部は一昨年も七の女王を手に入れているんだぞ! 卑怯だ、卑怯! おい。そこの——名前、なんていうんだかわからんけれど。ともかく。お前だ。獅子王にお姫様抱っこされているお前! 僕たちの部に入れ! 演劇部だぞ! いいのか? 本当に君は、合唱部でいいのかー!?」
貴族格好をした男は、演技がかった声を張り上げて、必死に七音に手を伸ばしてくる。しかし、隣にいた柔道着を来た男が、その手を跳ね退けた。
「なにを言う! キミ! 是非、おれたち柔道部に来てくれ。おれたちはなかなか勝利に恵まれないのだ。今年こそは、なんとか上位大会にすすみたい。頼む、頼むから、おれたちの柔道部に来てくれ!」
すると、その隣にいた茶髪を長く伸ばした男が「ちょっと、待て待て」と口を挟んだ。
「柔道なんかやるかよ。ボケ! 今時、流行らないだろう? 七の女王! 是非、我がサッカー部へ。女子高生にモテモテになること間違いなしだぞ?」
(七の女王ってなに?)
目を瞬かせていると、不意に獅子王が七音を見た。鼻先が触れそうな近い距離で、その漆黒の瞳に見つめられると、それに吸い込まれてしまいそうだった。七音は息を飲んで彼の瞳を見返した。
すると獅子王は、険しい表情を和らげてから微笑を浮かべた。
「怖い思いをさせたな。すまなかった。昔から、この梅沢高等学校には言い伝えがあってな。一年七組七番の生徒を獲得した部活動は、その年、素晴らしい成績を収めると言われている。だから毎年、争奪戦になる。こんなものに巻き込まれて、不運だと嘆くかも知れないが、お前は選ばれし七の女王に違いない。そのお前を獲得したのがおれ様というわけだ。つまり——お前は合唱部に入る。それが一番妥当な選択だということだ。大丈夫だ。絶対に後悔はさせない。なぜなら……おれ様が部長だからな!」
強引な言いぐさだった。まるで七音の意志など関係ない。たまたま、一年七組七番になっただけなのに。初日から妙なことに巻き込まれたということだ。
(こんなはずじゃないのに……)
ただ黙ってこの席に座っていたかった。会話のいらいない部活に所属して。そして——。
(あの人を探したかっただけなのに……)
気持ちが折れてしまいそうになる。不安に支配されて、心が張り裂けそうになった。ふと獅子王に視線を戻すと、彼はじっと七音を見つめているばかり。心の中を見透かされないようにと、慌てて視線を逸らす。すると、「名前は?」と問われた。
彼に名乗る義理はないことはわかっている。けれど。獅子王のそのまっすぐな瞳に見つめられると、なぜかそうしなくてはいけない、という気持ちになる。
「し……し、しの……」
しかし、上手くいかないに決まっている。こんなにクラスメイトたちも、先輩たちも、みんなが七音を注目しているのだ。七音は怖くて、怖くて仕方がなかった。
(こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃ……)
言葉に詰まり、困った顔をして見せるが、獅子王はじっと七音を見つめていた。それから、七音をそっと床に下ろすと、その大きな手で七音の頭を撫でた。
獅子王の瞳は七音の不安な気持ちをすっかりと包み込んでくれるように、静かにそこにあった。その色は深い深い海の底みたいに見える。そして、その中には確かに希望の光が浮かんでいた。
(この人は。初めてなのに。僕の言葉を聞いてくれようとしているんだ)
そんな獅子王の気持ちがわかった途端、七音の緊張が和らいだ。七音が小さく頷いて見せると、獅子王は口元を緩めて微笑を見せた。
「し、篠原……七音。な、なな……な、七つの音……て、か、書いて『かずね』です」
獅子王は「七つの音か」と言って高らかに笑った。
「良い名だ! 我が合唱部にふさわしい! よろしく頼むぞ。七音」
七音は瞬きを繰り返した。言葉がうまく出ないのに。歌えるのだろうか。困惑していると、教室の扉が開いて、鬼のような形相の教師が顔を出した。
「お前らー! 新入生の教室に勝手に入るな!! だから七組の担任、嫌だったんだよー!」
教師の登場に、七の女王を奪われた上級生たちは肩を落として去っていく。獅子王はもう一度、七音の頭を撫でた。
「合唱部は離れにある音楽棟で活動している。いいな。お前の意志で決めろ。おれはお前を歓迎する」
彼は笑みを浮かべると、教室から姿を消した。
「篠原。さっさと座れ。式が始まるだろうが」
はったと気がつくと、立っているのは自分だけ。他のクラスメイトたちは着座し、興味本位の視線で、七音を見つめているばかりだ。
七音は慌てて自分の席に座った。前途多難な船出だった。
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