第1章 七の女王

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(やっぱり、7はいいことがない。7は嫌い。出席番号変えてもらえないのかな)  翌朝。憂鬱な気持ちを引きずったまま、昇降口から一年生の廊下に入った瞬間。七音は足を止めた。廊下にいる生徒たちが、七音を見て、ヒソヒソと囁き合っているのだ。 (帰ろうか。やっぱり。やっぱり。僕には……)  思わず、一歩、二歩と足が後退していく。しかし、後ろにいた人に背中がぶつかってしまった。 「す、す、すみませ……」  頭を下げて振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた生徒が一人立っていた。彼は「おはよう! 一緒に行こう~」と七音の腕を取った。 「あ、あ……あの……?」 「あ? おれ? おれは鯨岡(ゆう)。同じ7組だよ。よろしくね」  七音は「うんうん」と首を縦に振った。優は「それにしても、昨日のアレは面白かったね」と七音の肩を軽く叩いた。  七音にしてみれば、昨日の出来事は愉快なものではない。とても笑えないものだ。しかし、周囲からみれば「愉快な余興の一つ」くらいの話なのだろう。七音は押し黙って俯いた。 「いやあ、でもさ。やっぱ、かっこよかったよね~。獅子王先輩って!」 「あ、あの人の、こと。し、知って……る?」 「知ってるよ。獅子王(たすく)。合唱界では有名人だから。知らない奴はモグリだって言われちゃうくらいだよ。おれね。絶対に梅沢高校の合唱部に入ろうって決めてるんだ。だから、初日からあの先輩を拝めるなんて、本当に幸せ! 神だね。神。尊い! もう。本当、お前のおかげだよ!」 「あ、それから!」と優は急に立ち止まると、七音に顔を近づけてきた。 「獅子王先輩からスカウトされたんだから。お前は幸せ者だ! 一緒に合唱部で頑張ろう! よろしく~!」  優は「あははは」と笑いながら七音の背を叩くと、先に教室に入っていった。 (そんなこと、言われても……。まだ。決めてない。合唱部なんて。歌なんて。僕。歌えるわけ、ない……)  七音はじっとその場に立ち尽くす。昨日の獅子王の瞳を思い出した。 「待っている。お前の意志でこい」  ——運命に流されて、自分自身を見失ってはならない。自分自身のことは自分で決めろ。  彼はそう言いたいのだろう。その言葉は、ある意味冷たいようにも聞こえるが、そうではない。彼は七音をしっかりと一人の人間として認め、そして信じてくれているようにも思えた。七音をじっと見据えていたあの瞳の奥には、温かく、そしてキラキラと輝くものが見て取れたのだから。 (優しい人……、なのかも知れない。見た目は怖そうだったけど。あの人は、きっと。悪い人ではない) 「ち、違う。僕は……。あの人を」  七音は何度も首を振るが、どうしても獅子王を思考から排除することはできなかった。 (どうしよう。このままじゃ、あの人のこと。忘れてしまうかもしれない)  本当ならば、とても悲しいことであるはずなのに、獅子王を思い出すだけで、七音の心臓はドキドキと音を立てるのだ。 (どうしちゃったんだろう。なに、これ。僕、変になっちゃったみたいだ)  そんなことをしていると、始業のチャイムが鳴りだす。七音は慌てて、教室に足を踏み入れた。  クラスメイトたちは、相変わらず七音に興味関心の目を向けていた。不躾なその視線は、中学校の頃と変わらない視線だった。 「お前はいつも黙っているからな。聞いてないんだろうけど」  高梨たちはそう言って笑った。「耳も聞こえていないんじゃないか」と何度も言われた。けれど。聞こえている。心は何度も傷ついている。けれど。それをどう表現したらいいのかわからなかった。だから、ただ黙って、そこにいた。本当は逃げ出したくて、耳を塞いでいた。あの日々が続くのか。そう思うと心がくじけそうになった。  けれど。あの時の自分とは違うのだ。生まれて初めて七音は、自分の意志でここにいるのだから。拳をぎゅっと握りしめる。  先に座っていた鯨岡優が七音に手を振っていた。クラスメイトからそんなことをされことはない。七音は戸惑い、それから軽く手を振り返すと、彼は満足げに笑みを見せてから前を向いた。 (ちょっと、違うのかもしれない。この学校は。中学校の頃とは、違う……。合唱部のことも、ちゃんと考えてみよう。もしかしたら、なにかきっと。いいことがあるのかもしれない)  七音は荷物をロッカーにしまいながら、小さく頷いた。すると「また、お前か」と声がかかる。はったとして振り返ると、担任の藤田が教卓のところに立っていた。七音は慌てて頭を下げてから自分の席に座った。 (うう。悪目立ちばっかりじゃない。どうしたらいいんだよ……)  一度そういう目で見られてしまうと、汚名返上は難しそうだ。一瞬でも「中学校とは違う」と思った自分がバカみたいに見えた。七音はため息を吐いてから、自分の席に腰を下ろした。
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