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第1章 七の女王
からだの中にある内臓が、ぐちゃぐちゃになってしまったかのように気持ちが悪かった。きっと、いつもあるべき場所ではないところにいってしまったに違いないと篠原七音は思った。
そばのベンチに手をかけるが、からだを支えることは難しいようだ。七音は膝を地面につけて、その場に座り込んでしまった。
目の前の景色がぐるぐると回りだして、まるで遊園地の回転遊具に乗せられているような感覚に陥る。口元を抑えて「うう」と唸り声をあげてみるが、そんなことをしてもよくなる気配はなかった。
昨晩。うっかり机のところで寝てしまったのが悪かったのだろう。夏から秋へ。季節が移ろう時期は、いつも体調を崩しやすいというのに。
(まずい。まずいよ……。テストに遅刻だ……)
この桜並木の先には、七音の通う市立第三中学校と、県立梅沢附属中学校がある。なぜこんな近くに中学校が並んでいるのかは不明だが、そのおかげで、通学時間になると、この狭い桜並木は、両校の生徒が混在し、人でいっぱいになる。
とこが今は、七音はひとりぼっちだった。もうすっかり登校時間を過ぎてしまっている証拠だった。
(頑張れ。頑張れ……)
七音は、なんとか自分に言いきかせながら、足に力を入れようと試みる。しかし、思うようではない。今度はバランスを崩してしまい、後ろにひっくり返りそうになった。
(転ぶ……っ!)
覚悟を決めて、衝撃に備えようと、からだを丸めて力を入れる。それから目をぎゅっと瞑った。だが、その衝撃が七音を襲うことはなかった。
不思議に思い、そろそろと瞼を持ち上げてみる。眩暈に襲われて、視線が定まらなかったが、顔を上げてなんとか自分がおかれている状況を確認しようとすると、頭上に、逆さまの顔が見えた。色素の薄い鳶色の長い前髪が、朝日に反射して、キラキラと輝いて見えた。
「大丈夫か? お前」
よく通る明るい声が聞こえる。
「あ……、あ、あ……」
「無理してしゃべるな。具合悪そうじゃん。顔が真っ青だぞ。お前、三中生だろう? そんなに学校行きたいのかね。まあ、ここまで来たら家帰るよりも学校に行ったほうが早いか。——ほら。連れて行ってやるから」
男はにっこりと笑みを見せた。形のいい唇が弧を描く。彼の背後に広がる秋晴れの空が眩しくて、思わず目をぎゅっと瞑る。すると、からだがふわりと浮いた。驚いて目を開けてみると、自分は男に背負われていた。
「あ、あの……」
「大丈夫です」と言いかけて、それはやめることにする。遠慮をしているほど、余裕があるわけでもない。男は、細身で頼りなさそうに見えていたが、その背中は広かった。
男は七音を気遣ってくれているのだろう。ただ黙って、そっとそっと静かに歩みを進める。思わず彼の背に頬を寄せてみると、その温かさに心が落ち着いた。気持ちの悪さが治ったわけではないけれど。心がほっこりと温かくなって、救われた気持ちになったのだ。
辺りは静寂だった。一歩、一歩と歩みを進めていく男の足音と、自分の心臓の音だけが聞こえている。まるでこの時間が永遠に続きそうに思えた。
しかし。そんな時間はすぐに終止符が打たれる。七音を背負ったまま、男が昇降口に足を踏み入れると、二階の職員室から見ていたのか、教師が飛び出してきたのだ。
「どうした」、「大丈夫か」と教師たちが騒ぐ中、男は教師に七音を預けると、「そこでうずくまっていましたよ」とだけ言って姿を消した。
今度は教師に支えられた七音。
「あれは隣の附属中の生徒だな。名前、聞いたのか?」
教師は男を見送ってから七音を見下ろした。
(名前……。聞かなかったな)
首を横に振って見せると、教師は「体調が悪いせいだ」と思ってくれたようだ。そのまま保健室に連れていかれると、テストは改めて受けるように言い渡され、家族が呼ばれたのだった。
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