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慌ただしく駆け込んでくる足音がした。
ステンカラーコートに肩掛け鞄の男性が、鼻の頭を赤くして弾んだ息を整えている。辺りを見回して目当てのブースを探しているようだ。確認しながらこちらへ近づいてくる。肩で息をする彼の真剣な横顔に、私は鼓動が逸るのを抑えきれず、目が離せなかった。
この人だ、と思った。
私はこの人を待ってたんだって。
こんな簡単に わかるものなんだ
一歩ずつ彼が歩くたびに、確信が体の内側から湧き上がった。彼の足が目の前で止まり、私と広瀬くんの顔を交互に見比べて遠慮がちに尋ねた。
「あの、波音さん、ですか」
「…はい」
「よかった。カイです。遅くなってすみません」
額に汗を滲ませて彼が安堵の笑みを浮かべた。
「でも、遅すぎたかな」
カイさんは空っぽの机の上と、広瀬くんの手元をちらっと見ている。咄嗟に上手く説明できなくて言葉を探してると、広瀬くんが取りなしてくれた。
「あっ、俺は彼女の同級生で。他の人のを見に来てたまたま会っただけなんです」
広瀬くんは本を閉じて私に返した。
「俺は頭数に入ってないし、また今度でいいですよ。これはあなたの分だから」
「広瀬くん…」
「じゃ、俺帰るね。次の委員会で全部聞かせろよ」
最後にいたずらっぽく笑うと、広瀬くんは会場をあとにした。
「ありがとう!」
カイさんの言葉に笑顔で片手を挙げて。
「何か申し訳なかったな。横取りしたみたいで」
「ううん。来てくれてありがとう」
カイさんがまた笑顔になった。それは、コメントを紡ぐ行間から溢れる優しさと重なった。
「今日はもう会えないのかと思ってました。彼が買おうかって言ってくれて嬉しかったけど、気づいたんです。私は、これをカイさんに渡したかったんだって」
「俺も、この話を書いた人にどうしても会いたくなって。離島から思いきって出てきました」
お互いに知らないことがたくさんある。私たちはまだ自分の本名すら伝えていない。ネットでの出会いは運命かもしれないけれど、この先の人生も彼と共に過ごしたいのなら、自分たちの手で切り開いていこう。
私は久しぶりに心が弾むのを感じた。
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