爽姉(さやねえ)上京〜めぐり愛、爽と繭

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入学式の行われる会場は新設大学には似つかわしくない、古びた蔓の絡まるビザンチン様式のとんがり屋根の教会で ドーム天井一杯に張り巡らされたステンドグラスがやわらかな春の陽射しを受けて、目に眩しいほどの色とりどりの鮮やかな光を放っていた。 多摩総合芸術大学はその年にできたばかりで、奥多摩山脈の裾野の丘陵地に帯状にキャンパスや校舎が並ぶ。 総合大学といっても芸術音楽系学部が半分以上を占める、実質、芸音大学といってもいいような大学。なのでそれなりに女子の数も多い。 新入生の総数は1000名余り。男子と女子の割合は7:3ほど。教会の内部はさほど大きくはなく、ヨーロッパの小都市にはどこでも見られそうなこじんまりとした造り。一階が男子学生の会場。そして一階のフロアをぐるりと取り囲むように設けられた二階の女子席。 その二階に上がるなり「女子なの?」と言わんばかりの、係員のお兄さんの冷めたい視線に爽は一瞬ムッとする。 「ずっと女やで、生まれた時から」 聞こえるか聞こえない程度の声でそう言ってみる。 ショートカットヘアにラングラーのブルージーンズ。足元はホワイトがグレーに変わりつつあるアディダスのバスケットシューズ。 その上に背中一面にお気に入りの虎の刺繍が入ったスタジャン。 入学式に不釣り合いなのは百も承知。けど何かを狙って来た訳じゃないし。これが彩香の今現在の正装、というかこれしか持ち合わせてはいない。 「あのーもう席が空いてなくて、一階の空いているところを探してもらえますか?」 そんなお兄さんの声には一瞥もくれず、私は辺りを目を細めて見回す。確かにもう満席状態。まつげのやたら長い、メイクにこれでもかというほどに力を入れた女子が周りを埋め尽くす。そしてむせ返るようなさまざまな香水がまざりあった匂い。 「やっぱりここは東京なんやな」 にわかに気づかされる我が身の大阪ローカル色に少し身構える。自分のあまりの女子力のなさに柄にもなく少し心が折れそうになる。そんなものは大阪にとっくに捨ててきたはずなのに。 東京という街は本当にわからない。道を聞いてもみんな何事もなかったかのような顔をして目の前をとおり過ぎていくし、だいいち笑ってる人と怒ってる人、そしてそうでない普通の人。その区別さえ良くわからない。目を凝らしてよく見ればわかるんだろうけど爽の眼にはみんな同じように見えて仕方ない。 この大学でもそれは変わらない。おそらく新設の大学で東京の地元の学生が多いということもあるのだろう。 視線は痛いほど感じるのに目は合わさない。顔を向けてもそれを微妙に外してくる。 お前はこの街にふさわしい人間なのか。まるでこぞって値踏みをされているかのよう。 「なんでやねん」 今日の朝、東京駅に降り立ってからその言葉何度呟いただろう。 ここはやっぱり大東京、淘汰される人間だけが昇っていける社会。そこへ私はやってきた、夢をかなえるために、ギターだけを携えて。 「えーそれでは次は多摩市議会議長の佐藤様に・・・」 気がつけばまだ壇上では私たちの存在など忘れたかのように、どこかのお偉い大人たちのスピーチが終わることなく延々と続いていた。 「もうええやろ」 誰に言うこともなく爽はそう呟き席を蹴った。 外に出ると、石畳が敷かれた中庭が目の前に広がる。子供の背丈ほどのレンガ造りの苔むした塀がぐるりと周りを取り囲む。振り返ってよくよく見上げるとまるでディズニー映画のアニメにでてくるような人の温かみを感じるような建物の姿に何かほっとする。  大学のなかに足を踏み入れた時から漂っていた新しい建物特有の塗り立ての塗料やシンナーの匂い、そんなものがここでは全然しない。漂っているのはどこか懐かしい朽ちていくものだけが持つ芳醇な香り。 この教会が移築されたものなのか、それともここに元からあったものなのか。どちらにしてもこの大学を建てた人の何かしらの想いを感じてしまう。 新しいものと朽ちていくものの融合。古いものを温め新しきを知る。これも今の東京の姿なんだろうか。 中庭のベンチに腰をおろしこれでもかというほどに思いっきり手足を伸ばしてみる。縮こまっていた爽の浪速女の細胞が目覚めたように「しゃー!!」と頭のてっぺんから変な声が出た 奥多摩の木々の間から抜け出てくる春の息吹も思いっきり吸い込んでみる。 頬っぺたをパンパンには膨らませて酸素が脳の隅々にまでいきわたるのを待つ そして東京に来てから今までずっと溜まっていた物を吐き出すように叫んだ。 「東京なんや!ここは紛れもなくうちが憧れてた東京なんや!!」 私は東京にいる。 人は私なんか見向きもされない気にもとめてもらえない。 タクシーの運転手にさえ気にもされず空気扱いにされた。 自分が居るか居ないのかさえここでは分からない。 けど私は東京に確かに足を地につけている。 「紛れもない大東京にいるんや」 「そうよ、ここは紛れもなく東京よ」 春の乾いた空気のなかに弾むようなメゾソプラノの声が背中に響く。 えっ、と思った時にはもう振り返る必要はなかった。 もう渡良瀬繭は隣に座り、頬と頬がくっつくぐらいの近さにまで爽との距離を詰めていた。 「東京なんだよね、どこもかしこも。嫌になるくらい東京なんだよね」 彼女はそれだけ言って春の光のシャワーを浴びるように青空に向かって目を閉じた。季節外れの、まるで触れれば溶けていきそうな淡雪のような肌が目の前にあった。 時を止められたみたいで一瞬言葉が出ない爽。その横顔を口をあんぐりしながら見つめた。そんな彼女があまりにも眩し過ぎたせいか、爽も釣られるように空を仰ぎ一緒に目を閉じた。 辺りに漂う春の盛りの桜香と彼女から甘くほんのり匂うバラの香りに柄にもなく爽の心は躍った。 私は確かに東京にいる、その時そう思った それが渡良瀬繭と爽との初めての出会い。 「ずっと見てたのよあの時、あなたのことを」 後に渡良瀬繭はそう言った。 「開始から30分も遅れて入ってきたくせに、席がないって大声で叫んでる そんな声は聞こえないけど雰囲気で分かった。呆れて手を広げ首を振る係員。 じゃあここでいい、足で床を踏みつけるようにして爽はそう言った。  その言葉だけは離れていてもはっきりわかったの。 そしてあんたは荷物を置いてちょうどホールの真ん中の通路に体育座りで座り込む。 周りの視線が集中しても何も悪びれることなく前を向いてた。 その眼はキラキラというよりぎらぎら。 でもわたしの周りでは見たこともないような輝きだった。 この人と友達になろう、その時私はそう思ったの。 あの眼のなかにあの瞳のなかに入れたら、 もしかしたら私はここで生きていけるかもしれない。 気持ち悪いよね。 でも私はほんとうにその時そう思ったのよ。」 渡良瀬繭が爽の前でこれほど饒舌に喋り切ったのは後にも先にもその時だけだった。 会場では整然と執り行われている入学式。 人通りが途絶えたキャンパス。 時折遠くで聞こえるJR青梅線の電車のゴトゴト音とシジュウカラのいびつな鳴き声が爽にはまるで心地よいBGMのように聞こえていた。 「下宿一緒に探しに行かない?」 知り合って、まだ5分も経っていない同士の会話じゃなかった。 「なんでわかるんですか?住むとこ決まってないやなんて」 「ボストンバッグとギター背負って入学式に出る女の子が東京に住んでるなんて信じられる? それにあんた・・大阪弁やで 」 悪戯っぽく笑ったその笑顔に爽は一緒になって微笑んでみたけど、瞳のなかの彼女は笑っていないのを爽は何故かその時から知っていた。 果たして渡良瀬繭って何者なのか。爽にとってそのことに気を取られ心を奪われたそれからの2年間だったと言っていい。 そして彼女は入学から2年後の春、誰にも心を開くことなく、男に騙され私は東京に負けたと言い残して故郷の越後妻有へと帰っていくことになる。 ──山音爽──  夢はギター1本抱えて歌で一身独立すること。 無駄に背が高くてチャラチャラしてる東京タワーより ちゃんと地に根を張ったようにどしっと無骨にそびえる通天閣のように生きたいが口癖。男前で頼りがいのある性格の反面、子供っぽさもあってそこを後輩からいじられることも度々で、その愛すべき性格から爽姉(さやねえ)と親しみを込めて呼ばれることが多い。
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