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──繭さんへ。
来る人来る人がみんな、まゆさんは今日はいないのって尋ねます。
だから部室の壁に新潟県の地図を作って貼りました。
いちいち説明するのはめんどくさいんで、
ここにまゆさんは今いるよって言う為です。
まゆさん、
越後妻有ってどんなところですか?
そして貴女はいつまでそこにいるつもりですか?
山音爽
──爽へ。
越後妻有、一言で言うとな~んにもないところ。爽たち都会っ子には想像がつかないくらい、何にもないところ。
山があって、大きな川が流れてる。山は越後三山と言って、八ヶ岳、中岳、駒ケ岳から成ってる。そんな山並みを、私たちは、それぞれの頭文字をとって、は・な・こ、さんって呼んでる。敬意と親しみをこめてね。川は信濃川。広くてきれいだけど、私には特にこれと言って思い出は何もない。信濃川には悪いけどね、フフッ。
信号は押しボタン式のが一つあるけど、私の子供のころからずっと青のまま。恐らくこの信号は赤を知らずに一生を終えるだろうねって、みんなそう言ってる。町にはスーパーなんか勿論ない。毎日の買い物はみんな佐藤さんちへいくの。
日の出屋さんて、ちゃんとした偉そうな名前があるんだけど、なぜかみんなそうは呼ばない。食料品、衣料品、たいていのものは佐藤さんちで間に合う。
その気になればガソリンだって変えちゃう。取り寄せだけどね。
ただセーターとかブラウスとか買うのは勇気がいるよ。
私は買うけどね、ここで。
ほら、爽にあげたレインボーカラーのスヌーピーのセーター、あれはここで買ったやつ。風の噂では、何故か今、部室のクッションカバーになってるらしけいけど。
まぁ、それは許すとして、とにかく自慢じゃないけど、なんもない、わが故郷、越後妻有は。
こんな、なんもないところに生まれ育った私だから東京のネオンがすこしばかり眩しすぎたのは仕方がなかったのかもしれない。
やられたらやり返す、騙されたら騙して返す、そんな人の営みが普通なのよね、東京というところは。やり返すことのできない新潟越後の農耕民族の悲しいサガ。
あやつはそんなところを目ざとく私に目を付けていたのかもね。
今にして思えばだけど。
爽たちは東京に負けたわけじゃないと言ってくれたけど、やっぱり負けたのよ、東京に渡良瀬繭は。それを今思い知らされてる。
爽も知っている通り私の父は去年天国に逝った。
父は母よりも誰よりも私に優しかった。母は地元越後の人で父は東京から来た人。いわばよそ者。それこそ農耕民族への遠慮が彼をそうさせたのかも知れない。母が叱って父が見守る、そんな他の家庭とは少し様子の違う構図が私の家にはあった。
母の厳しさと父のやさしさ、その中に私の幸せがあった。
そんな母が今、私ににこやかな笑顔を向けている。東京で男に貢いでお金まで騙されて帰ってきた、この愚かで、どうしようもない私に
「何もしてやれんかったね、母ちゃんは。」
私の顔を見るなり温めていた言葉を吐き出すように彼女はそう言った。
怒られると思っていた?そうじゃない。怒って欲しかったのよ。
(( なして帰ってくるんじゃ、まゆ!こんうつけもんが!!))
そう言って、2年間、都会に染まった私の薄皮を剥ぐように怒って欲しかった。
土下座してでもいいから、あなたの胸に飛び込みたかった、私の覚悟はどうすればいいん、母ちゃん。
ねぇ、さやか。 今、私の家にはそんな、いつもの母ちゃんはいないよ。
上州から越後三山を越えてくる空っ風をものともせず、凍えた大地に立ち、大根を引き抜いてたあの母ちゃんはいない。
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