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3.その日、運命を燃やす
わたしは銀色の本を処分することを渋った。それこそものすごく。
しかし普段わたしのわがままを笑顔でうんうん聞いてくれる塚原くんが、一歩も譲らないというふうに処分を勧めるので――わたしたちはとうとう、銀色の本を近所の河川敷で燃やしてしまうことにしたのだ。
売るにしても捨てるにしても、この本にはわたしたちの個人情報が書かれすぎている。シュレッダーにかけるなり焼くなりするしかない、と言ったのは塚原くんだった。
わたしは銀色の本を、塚原くんは秋にさんまを焼くのに使った七輪を抱えて、ふたりで河川敷までの道を歩いた。
風の強い日だった。塚原くんはいやに機嫌よく、風に煽られてコートがはためくのを笑っていた。わたしは銀色の本のことを思うとどうもそんな気にはなれず、あまり会話をしなかったように思う。
凍えるような風の吹き付ける河原には人がほとんどおらず、背の高い草がたくさん立ち枯れていて、いかにも寂しげに見えた。わたしがそうやって黄昏れている間にも塚原くんはてきぱきと固形燃料やらライターやらの準備をすませ、「ん」とわたしへ手を差し出した。本を渡せということらしい。
わたしは首を横に振って、自分で銀色の本を七輪へ入れた。美しい銀の表紙が炎に舐められ、あっという間に火がついたそのとき――風が吹いて、ばららら、と本がめくれていく。そこには今ちょうど、文字が書き込まれていくところだった。
<ごめんね>
ああ、とわたしは呻く。本は最期、わたしになにか伝えようとしているようだった。
<役に立ちたくて、やりすぎてしまった>
<君の判断力を奪って、夢から遠ざけるつもりなんてなかった。ただ>
文字はまるで息継ぎをするように一拍置いて、こう続ける。
<本屋の棚から見上げるだけだった君に、なにかできたらと思って>
<ずっと、君を好いていました。君の本になれて、すごく嬉しかった>
わたしは堪らなくなって、燃えゆく本を炎から引き離すために七輪に手を突っ込もうとした。しかしすぐに塚原くんの手が伸びてきて、優しく、しかし有無を言わせぬ力強さでわたしを抑え込んだ。
「だめだよ。やけどしちゃう」
「でも――……」
わたしはぼろぼろ涙をこぼしながら、ここ数年間わたしに寄り添ってくれた本が燃えていくのを見ていた。
<ありがとう>
「ごめん、ごめんね……」
<謝らないで。君のことが、本当に>
あとはもう、炎と灰とで読めなかったのだが――
「……本当に、大好きだよ」
あまりに自然に、塚原くんの声が本の言葉を引き継いで。
わたしは驚いてそちらを見ようとしたのだけれど。
ごう、と風が吹いて、とっさに目を閉じてしまったものだから。
いつの間にか、わたしの手を握ってくれていた手が離されていたことにも、目を開けるまで気付けなかったのだ。
「……塚原くん?」
河川敷には、私のほかには誰もいなかった。
ただ、燃やした本の灰だけが、いつか曾祖母の葬儀で見た遺骨のような、静謐な白さをもってそこに落ちていた。
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