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前回、前ページで「袖振り合うも多生の縁」という言葉を書かせていただきました。
これについて、堀井ゆめ様から「他生」かと思っていたというコメントを頂戴いたしました(ありがとうございます)。
調べてみました。広辞苑にはありませんでした。故事ことわざ辞典(新文学書房発行)には、「他生」とあり、参考として「多生」がありました。解説には『この地に生を同じにするだけでも因縁なのに、たまたますれ違って袖がふれたとなれば、前世からの因縁の妙にうたれる』とありました。
ネットで調べましたら、「多生」と書かれていることもあり、「他生」と書かれていることもありました。どちらが正しいとか誤りであるとは明確に書かれてはおりませんでした。
他生はこの世から見て過去および未来の生をいう言葉だそうで、多生は何度も生まれ変わることであるとか。確かに、どちらとも言えない気がしてきました。
ただ、ここでの「多少」は誤用だそうで、「多少の縁」は、せっかくの出会いだから大事にしようという意味だそうです。
それで、その「故事ことわざ辞典」の同じページに『袖の下に回る子は打たれぬ』という言葉がありました。
意味は、『逃げる子なら追いかけても打つが、すがりついてくる子はとても打てない。叱れない。尾をふる犬は打てぬ』と書かれていました。
時々、我が子を虐待して食事を与えない、怪我をさせるとか、それ以上のことをする親が捕まったということがニュースになります。
それこそ、小さなお子さんが「多少」のいたずらをすることもあり、それを叱るのは「しつけ」ということは分かります。でも怪我をさせる、ひどいやけどを負わすとか、それ以上のことも。
とても信じられないです。怖いですね。
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