1人が本棚に入れています
本棚に追加
一の井戸は炊事用
二の井戸は洗濯や洗顔や、掃除用。つまり不浄のものを流す水。
タミは井戸に水を汲みに来るたびに井戸を覗く。
富士の山の地下をめぐってくるというその水は
夏は冷たく、冬も、そう、冬もやはり冷たいという。
そして青かった。空を映すから青いのか、
地の底が青いから青いのか。
紡績工場の仕事は朝6時から、夕方6時まで。
夜8時までの仕事も月に何度か割り当てられる。
女工のタミは云われるままに働いていた。不満は?
否不満を持つ余裕などなかった。とにかく朝起きれば二の井戸の水で顔を洗い、便所で用をすませ
麦飯にたくあんふた切れの朝食をぼそぼそと腹に入れ
寝間着にしている下着の上に作業服を着て、機械の前に立った。
私語禁止の張り紙はあったが、私語などできるわけもない。
工場はごうごうガタガタと音が大きく、周りに誰がいてもそこは穴ぐらのようで下へ落ちていく気分だったし
しゃかしゃかと自分の手の動きを機械に合わせるしかなかった。
機械は無慈悲だった。タミを叱咤するばかりだ。
むろん、何か考えるゆとりもなかった。
時々工場長の怒号が飛んだが
自分が怒られているのか同僚が怒られているのかもわからなかった。
生まれたのは山あいにある川根だった。
生家は農作業とお茶の栽培をしていたが、貧しく
6人兄弟の長女のタミはいやおうなく工場で働くことが決められていた。
高等小学校を卒業と同時にここへやってきて
まだ3か月。
でももう30年もいるような、果てしなく苦しい日常であった。
最初のコメントを投稿しよう!