Episode 1 ― ドキドキとムラムラ

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Episode 1 ― ドキドキとムラムラ

モデルの仕事を"もう一つの仕事"として、Krone芸能プロダクションと正式に契約してから早数ヶ月。 きっかけは、俺がモデルの"MAO"として、初めて出たあのCMだった。あの時は緊張でドキドキしっぱなしだったし、本当に"これだけ"だと思っていた。 これだけ……と思っていたCMなのに、その依頼主であり広告主でもあるブランド側と、その専属デザイナーが俺を気に入ってくれたらしい。そういう過程もあってか、蒼蒔さんからも、七種さんからも『専属でお願いしたい』と言われた。 とはいっても、俺には本業である医者の仕事がある。確かに、慣れない事をやった大変さはあったけど、楽しかったのも事実だった。そういった事も含めて、青葉くんに相談した。 『そうやって悩んでるって事は、少しは"やってもいいかな~"って思ってるんでしょ?』 『まぁ……そうなる。でもやっぱり俺は医者だから、医者の仕事は続けたい』 『だろうね。灯里さんにとって医者って仕事は、俺にとっての役者の仕事と同じ。そもそも灯里さんが医者を辞めたら、困る人が急増するよ』 俺が辞める辞めないに関わらず、新患を受け入れられていない時点で、既に困っている患者が居る。医者の数を上回ると言っても過言ではないくらい、患者数は年々増え続けている。 そしてその医者はというと、どの分野の医者も、どこかの病院に勤めた後、個人で開業する人が多い。一般的にいう所の定年まで、同じ病院に勤務する人が少ないのだ。 『そう思ってる事、蒼蒔さんに話してみたらいいと思う』 『ん〜、やっぱり……その方が早いか』 青葉くんと話をして思考を整理すると、蒼蒔さんと話をしようと決めた。まぁどちらにせよ、仕事を引き受けるかどうかの返答もしないとダメではあった。 なので、蒼蒔さんとの話し合いの時に、幾つか条件を出した。 『本業を優先させたいので、撮影は休みである週末か祝日のみを希望。team EVEでの仕事しか引き受けない』 後は最初に提示した"情報漏洩"について。特に病院の事は漏れては困る。これは病院側というよりは、患者やその家族に、好奇の目などの迷惑が掛からない様にしたいから。 故に、team EVEでの仕事しかしたくないのは、俗に言う"身バレ防止"の為だ。 こんな我儘な条件提示にも関わらず、快く……いや、寧ろ満面の笑みで蒼蒔さんは歓迎してくれた。そして、七種さんを含めたteam EVEの皆も喜んで迎え入れてくれた。 そんなこんなで引き受けたモデルの仕事だが、基本的にteam EVEが受けた仕事の中から、俺に合う仕事を蒼蒔さんが選んでくれている。 その中でもメインになっているのが、七種さんも俺も契約させられた、例のCMの海外の某大手ブランド。青葉くんが元々、年間契約をしていたブランドだ。 撮影の相手は青葉くん。カメラマンは七種さん。team EVEの皆も、とても気さくで明るくて話しやすかった。そういった、周りの理解と協力があってこそ、大変だけど楽しく撮影をする事が出来た。それは、少し慣れて来た今でもそう思っている。 そんな蒼蒔さんや皆の為にも、俺は"やるからには全力を尽くしたい!"という気持ちで、いつも撮影に挑んでいる。それを青葉くんに言ったら『その考えが既にプロ』と笑われた。 でも実際にやってみると、指示通りのポーズをしたり動きをするのは大変で、全力を尽くすという以前に、モデルとしての勉強が必要だと思った。 まずは……と、青葉くんが載っている物しか見ていなかった雑誌を、今では青葉くんが載っていない雑誌にも目を通す様になった。なんなら、女性向けの雑誌にも目を通す様になった。 基本的なポーズや立ち方、歩き方や座り方などは、蒼蒔さんが教えてくれた。たまに見るドラマだったり、映画を観ている時でも、意識して役者の動きを見る様になった。 それを、昼休憩の時に一緒になった関谷に話すと『どっちが本業か解らないな』と笑われた。俺が『どっちもだよ』と返すと、呆気に取られながらも『灯里らしい』と、妙な納得をされた。 『身体がしんどくなったら、休み増やせよ』 『既に増やして貰ったし、宿直もない。いくら俺でもこれ以上、我儘は言えない』 『ホント……そういうとこなんだよな〜』 関谷の言いたい事は解る。でも自分で考えて決めた事だ。両方やるからには、多少の無理は承知の上だ。それでも最近は……。 『あ、実は……たまに、体調悪いって嘘吐いてサボってる』 周りに聴こえない様にそう呟くと、関谷は爆笑し始めた。抑え気味ではあったが、周りに居たスタッフが"何だろう"といった顔をしていた。何がおかしいのか解らなくて、俺は『何か変な事言ったか?』と訊いた。 『変じゃないけど、灯里の口から、そんな言葉が出る日が来るなんて、考えた事もなかったから』 『そうか、こういう事は言わなくていい事だよな』 『そう。普通は馬鹿正直に言わない』 『心配させてると思ったから……』 言ってるうちに段々恥ずかしくなってきて、とうとう語尾を濁らせてしまった。そんな俺に『斜め上な素直さがお前らしいよ』と、ご満悦といった感じで関谷は優しく笑った。 その話を、夕食を食べながら青葉くんに話すと、『関谷先生の言う通り、灯里さんらしいね』と、青葉くんにも笑われた。俺は(笑う程の事なのか?)と考えた。 サボってるなんて言ったら、普通は怒られるか、呆れられるかのどちらかだろう。確かに、そんな事を馬鹿正直に話す人も少ないだろう。いや、ほぼいない。 『でもさ、関谷先生も安心したんじゃない?』 『まぁ、それならそれでいいや』 『ところで、今週末の撮影は大丈夫そう?』 『あ、あれか……』 今度の撮影は、例のブランドの撮影が入っている。掲載される雑誌の"クリスマス特集"に参加するらしい。 もう九月も後半に差し掛かっている。本来なら、とっくに終わっていないとダメな撮影らしいが、七種さんと青葉くんのスケジュールの都合もあって、七種さんが『ギリギリになる』と、蒼蒔さんに話していた。 コンセプトはクリスマスだが、七種さんから貰ったイメージは、大まかに"デート"だった。細かいオーダーとして"友達とデート"と"恋人とデート"という物。 恋人とデートは解るけど、友達とデートというのが解らない。それを、若い女性看護師、数名に言ったら『あぁ、友達同士でもデートって言いますよ~』『特に若い子達はSNSでも使ってますね』と教えてくれた。 (でもそれ"若い女の子達"じゃないのか?それにそれは、男の子同士でも言うのか?) タイミングよく現れた、怜くんと蓮くにも訊いてみた。 『ぼ、ボクは、と、友達がいないから、わ、解らないですけど、SNSでたまに、見掛けます』 『大学の友達が、面白半分でSNSに載せたりしてますね。顔文字や絵文字で、泣き顔使ったりして……ノリですよね』 (なるほど?) 一ノ瀬せ……縁人さんに頼んで、寺子屋に行かせて貰う様になっても、若い子達の文化やノリに未だ着いていけない。だが、よく解らないが、そういう物らしい。 (つまりあれか……?青葉くんと友達っぽいノリでデートしろって事か?) とまぁ、ここまでは自分なりに理解した。だけど、自分の中で問題が発生した。 (恋人とデートはヤバい……それを意識するときっと、素が出ちゃう気がする……青葉くんにあんな事を言っておきながら、自分が出来てないってどうなんだ?) 例のCMの時、俺は青葉くんに『俺しか知らない本條青葉を見せる。だけど俺にしか見せない本條青葉は見せないで欲しい』という無茶苦茶なお願いをした。だがそのお願いを、青葉くんはいとも簡単にやってのけた。 俺がモデルの契約をする事になった時、今度は青葉くんにそれを言われて笑った。これまで何回か撮影をした。俺が素を出す出さない以前の問題で、俺は"MAO"を演じ切るのに精一杯だった。 (今回もMAOで居れば良いだけなんだろうけど……でも、七種さん"ラストはちょっとセクシーな感じでお願いします"って言ってたんだよな……絶対、意識しちゃうじゃん!ていうか、撮影がもう明日に迫ってるし……) 家にある雑誌は何回も見返した。男性向きのAVも観た。でもどれもピンと来なかった。 午前の診察が終わって食堂に行く前に、普段あまり人が来ない裏庭に出た。そして、ポケットから猫缶を取り出した。すると、生垣の隙間から一匹の野良猫が現れた。 数年前、一人になりたいと思って来たこの裏庭に、いつの間にか来る様になった野良猫。目と目が合った瞬間、逃げられると思ったのに、逃げる事もなく寄って来てくれた。 当たり前だけど、衛生上の問題で病院では飼えない。でも猫好きの俺にとって、やけに懐いてくれるこの野良猫が可愛くて、誰にも内緒でコッソリ餌をあげていた。お陰で休みの日の気掛かりが出来てしまった。 「ゆっくり食べないとダメだよ」と、言葉なんて通じないと解っても、毎回言ってしまう。でも不思議とこの野良猫は、俺の言葉に合わせる様に、短く鳴いたり、俺の顔を見返してくる。 食べてるのに頭を撫でても嫌がらない。たまに「何?」と言いたげに、こっちを見る時もあるけど。そういう所も可愛くて、何かにつけてはこの裏庭に来て、この野良猫を相手に愚痴ったりしていた時もあった。 猫は気紛れと言うけど、俺は猫のそんな所も好きだった。何より、俺もよく"動物に例えなら猫"と言われてきたからか、他の動物よりも親近感があった。 暫くして食べ終わった野良猫は、俺の傍に来て「ご馳走様」とばかりに鳴いた。 「明日から休みで来れないけど、いい子にしてるんだよ」 再び手を伸ばすと、今度はするりと躱す。俺が(残念)と思っていると、大きく伸びをしてから甘える様に擦り寄って来た。そして、身繕いを始める。その一連の動きを見て思った。 身体の柔らかさを誇張するかの様なしなやかさ。時折見せる仕草は愛らしい。ちょっとあざとい様な……それでいて、何かを見透かす様な視線は猫特有な気がする。 猫は中国語でマオ……maoと言う。それの表記を変えてゲームのHNにMaoとつけた。そしてモデル名を考える時に、全く何も浮かばなくて、安直にもMAOと表記を変えてつけた。 (これだ!どうせ何も浮かばないなら、猫その物を意識すればいいんじゃないか?いや、それで良いのか?ん~、解らない……) そんな事を考えていたら、生垣の向こうから人の声が聴こえてきた。俺は(ヤバい……あ、ていうか時間)と、慌ててポケットからスマホを出して時間を確認すると、野良猫に「ありがとう。また月曜日ね」と言って、その場を後にして食堂へと向かった。 昼ご飯を食べながら、行儀が悪いと思いつつ……スマホで猫の動画を探した。そしてそのうちの幾つかを、昼ご飯が食べ終わるまで観ていた。 午後の診察も終えて帰宅すると、休みだった青葉くんが出迎えてくれた。どうやらご飯を作っておいてくれた様だ。 最近、時間が増えたからなのか、こうして夜ご飯を作っておいてくれる。しかも飲み込みが早いから上達も早い。教えた料理以外まで作れる様になって、料理のレパートリーも増えている。 「今日も美味しそう」 「家にある物で作れそうな物を調べてたら、色々出て来たんだよね。その中でも特に、美味しそうな物をチョイスしてみた」 上達への一番の近道は、興味……好奇心なんだと思わせる。勿論、好きだとかやる気がある前提だけど。 「あっという間に、青葉くんの方が料理上手だな」 「そんな事ない!灯里さんの料理が世界……いや、宇宙一なんだからね!」 「んふっ……規模が大き過ぎる」 「じゃあ世界一!」 今日は何をしていたかなど、青葉くんの話を聴きながら、二人で食べた。夕食を食べ終えると、俺は風呂に入った。 バスタブに浸かって、あの野良猫の動きをやってみる。でも、自分では出来ているのか解らない。かといって、青葉くんには見せたくないと思った。 (そもそも、お手本にしたのが野良猫って……どうなんだよ……) それに、病院に来ている野良猫に餌をあげている事も、どうして裏庭に行ってるのかも話さないといけなくなる。青葉くんなら誰にも言わないだろうし、茶化したり馬鹿にしたりもしないだろう。でも何となく言わないでおきたかった。 解らなくて悩むくらいなら、プロである青葉くんに、素直に訊けばいいのだ。青葉くんじゃなくても、蒼蒔さんに訊いても良かったのだ。いつもならそうしている。なのに今回は、そんな気になれなかった。 俺はバスルームから出ると、洗面所で髪を乾かして、水を飲む為にキッチンに向かった。 「出たんだ。いつもより早いね」 「明日の事を考えると、長風呂も良くないでしょう」 「ねぇ、スイーツ食べる?」 「だと思って、歯磨きは後でする事にした」 青葉くんがお湯を沸かしてる間に、冷蔵庫からケーキが入った箱を取り出した。いつもの様に、お互いに食べたいケーキを選んで皿に移す。ケーキの横にフォークを、添える感じで置く。 お湯が沸くタイミングで今度は俺が、ティーポットにノンカフェインの紅茶とお湯を注ぎ入れた。俺はケーキとカップをトレイに乗せた。そしてそれらを、キッチンテーブルの上に置いた。 「いただきます」と二人でハモると、ほぼ同時に食べ始める。青葉くんのお墨付きだけあって、いつ食べてもこの店のスイーツは美味しいと思う。 「緊張してる?」 「実は、いつもの撮影より緊張してる」 「そうなの?いつもと変わらないと思うけど?」 「青葉くんは慣れてるからでしょう」 幾度となく、恋愛物のドラマや映画に出て経験してきている青葉くんにとったら、イメージであるデートなど容易くクリア出来るだろう。何回か行った撮影でもそれは実感していた。 でも俺は違う。毎回、撮影の度にドキドキして、緊張感が身体を支配する。しかも今回のイメージはかなり悩んだ。いや、現在進行形で悩んでいる。思い付いた事がちゃんと出来るのかと、ドキドキが止まらず、既に緊張感でいっぱいだった。 「まぁ、慣れはあるかもだけど……そんなに緊張してる灯里さんも珍しいね」 「何となく……いつもと違う感じがしたから……」 そんな会話をしていたら、青葉くんのスマホが鳴った。どうやらLINEが届いたようだ。青葉くんが「ちょっとごめん。こんな時間に誰だろ……?」と言いながら、スマホを弄り出した。 時間的に考えて、野崎さんか七種さんな気がした。明日の撮影の事で、何か連絡する事が出来たのかも知れない。俺は緊張感を誤魔化す様に、目の前のケーキを食べ進めた。 スマホを置いた青葉くんが「話の途中でごめんね」と言って、ケーキを食べ始めた。 「仕事の連絡でしょう?明日の撮影の事?」 「うん……まぁ、仕事の連絡だった」 青葉くんにしては、煮え切らない様な言い方だった。それが少し引っ掛かったが、俺に関係ない話なら、青葉くんから話すまでは何も言わない方がいい。 (でも何か隠した……?いや、気の所為かな) 「そんなに緊張してて、寝れる〜?」 「ん〜、寝れるか解らないけど……ちゃんと寝ないと、肌の調子悪くなる事だけは解る」 「それは智夏さんに怒られるね」 「怒られるのは嫌だからそろそろ片付けて、早く寝ないとね」 俺がそう言うと、青葉くんが「えっ、いくらなんでも早くない?」と驚いた。時計を見ると夜の十一時ちょい。いつもは、日付けが変わった後に寝室に行く事が多いから、確かに少し早いかも知れない。 「じゃあ……ちょっとゲームでもやる?」 「皆に見付かると大変だから、Switchでやろ」 「そうだね」 ケーキを食べ終えてお茶を飲み干すと、二人で食器類を片付けて歯磨きをした。キッチンやリビングの照明を消して、Switchと水を持って寝室に行った。 二人で何のゲームをやるか決めて始めたものの、何となく落ち着かない。 「灯里さん、眠かったらゲームやめて寝てもいいよ」 「うん……眠い訳じゃないけど集中出来ないから、横で青葉くんの見てるね」 「了解。頑張るから見てて」と言うと、青葉くんは俺の頭を撫でて、ゲームを再開し始めた。 (やってるのがゲームなのに、真剣な顔してるの格好良い……) そう思いながら見てた所為か、ちょっとそんな気分になってしまった。俺は気持ちを切り替えようと、明日の撮影の事でも考えようとした。なのに……。何回か行った撮影でも、青葉くんを見ていたら、そんな気分になった事を思い出してしまった。 (明日の事を考えると、緊張してドキドキするのに、青葉くん見てたら違う意味でドキドキしてくるとか……) 「んふっ、そんな目で見られたら襲いたくなるじゃん」 「あ、いや……そんなつもりじゃないんだけど……今日も仕事だったし、明日は撮影あるし……」 「その言い方だと、本当はヤりたいって聴こえるよ?」 「そりゃあだって……青葉くんと一緒に居るし。でも、撮影はキッチリやりたいから、終わるまで我慢する」 俺がそう言うと、青葉くんが「俺は毎回、我慢してるよ」と言った。そう言う割りに、いつも平然としている様に見えた。だから「え、そうなの?」と訊くと、青葉くんは「だってさ〜」と前置きをして言う。 「相手はMAOさん!って思ってても、中身は灯里さんなんだよな~て思うと、いつもとは違う表情してる灯里さんもイイ!って思っちゃって……油断すると勃っちゃうよね」 「勃った事ないでしょう」 「仕事中に勃たせる訳にいかないじゃん。それに、そんな状態になったら、七種さんに何言われるか……」 そんな状態になったら……確かに、七種さんに何を言われるか解らない。そして、それに対して言い返す青葉くん……。先の展開が容易く想像出来る。 「恒例の兄弟喧嘩だよね」 「関谷先生と灯里さんみたいでしょ?」 「まぁ……傍から見ればそう見えるんだろうな」 実際、関谷とは兄弟の様に育ってきた。俺の母親が生きていたら、ただの幼馴染みだったかも知れない。それでも、今と大差なかったんじゃないかと思う。 血は繋がってなくても、兄弟の様に仲が良い。そうなれば、時に喧嘩もするだろう。だけど、何だかんだ言いながらも、お互いが一番の良きライバルで、良き理解者なのだ。 (青葉くんに頭撫でて貰うの気持ちいい……安心する……) 「……って、灯里さん聴い……寝ちゃってる。子供みたいな寝顔も可愛い。じゃあ、俺も寝るか……」 「聴いてないんだけど」 それは……午前の撮影を無事に終えて、昼休憩が終わった後。散々頭を悩ませた"恋人とデート"なる撮影が待ち構えている、その直前の事。 午前はナチュラルなメンズメイクだった。服もメンズ服の衣装がメインだった。それを午後はガラリと変える。女性っぽいメイクと、中性的な衣装がメインになる。 メイクが終わってウィッグをセットし直す。最初の衣装に着替えてスタジオに入る瞬間、心の中で(やってやる!)と、気合いを入れて中にはいった。すると……。 中央に置かれたモニターの近くに、青葉くんと一緒に蒼蒔さんと縁人さんが居た。三人で仲良く談笑している様だった。二人が来る事も、来てる事も知らなかった俺は、緊張と驚きで心臓が口から出るかと思った。 「言ったら余計、緊張すると思って黙ってた」 「本番前に言っても変わらないって……」 二人に挨拶をすると、セットの前で青葉くんと小声で、そんな遣り取りをしていた。 昨夜、仕事の連絡だと言っていた時、何かを隠している様に感じたのは、気の所為ではなかった。二人が来る事を隠していたのだ。青葉くんの言う通り、昨夜の時点で言われたら、余計に緊張して、寝不足になっていたかも知れない。 「いや……いつ言われても変わらなかったかな」 「でも灯里さん、めちゃくちゃ寝付き良いから、言っても大丈夫だったかもね」 青葉くんがそう言ったタイミングで、七種さんが「それじゃあ始めるぞ〜」と、皆に聴こえる様に大きな声で言った。 午前の友達とデートは"外で遊ぶ"って感じで、屋外で撮影したけど、午後は外ではなくスタジオの中。これから撮る恋人とデートは、俗にいう"お家デート"的な感じだ。と思っていたら、スタジオの中には、椅子とソファしか置かれてなかった。 (セクシーなのは最後だけだと思ってたんだけど?) すると照明が落とされて、ただの布だと思っていた所に、古い映画が映し出された。 「これスクリーンだったのか。あ、この映画『ローマの休日』じゃん」 「七種さんのチョイスかな……椅子とソファどっちにする?」 「とりあえず椅子かな。でもこういう王道チョイスも、七種さんっぽいけどな」 二人で椅子に座りながら、小声で他愛のない会話をする。映画の中の会話が聴き取れるから、俺達の会話は誰にも聞こえていないのだろう。そして誰も何も言わない。でも、シャッターを切る音だけは聴こえてくる。 「当時は女性たちの間で、こういうファッションが流行ったんだよね?」 「そうだと思うよ。映画自体が流行ったし……きっと、この髪型も流行ったよ」 「あ~、そうかも」 流行りとはそういうものだろう。いつの時代にも、洋服や髪型に流行りはある。そうした流れの中で、淘汰された物があれば、再び日の目を見る物もある。 「例えば……俺が今、こういう服を着たらどうなるんだろ?」 「う~ん……MAOさんが着たら、オシャレかもだけど……また流行るかは微妙だよね。こういう服を、現代風にした服なら流行るかも知れないけど」 「難しいね。そろそろソファで観ない?この体勢疲れてきた」 そう言って、今度はソファに並んで座ろうとした。すると七種さんが「ストップ。二人ともちょっとごめん」と言う。青葉くんと顔を見合わせて首を傾げると、何人かのスタッフが、ローテーブルとポップコーンとジュースを運んで来た。 「ごめん……やっぱり、何もないのも不自然過ぎた。それ、二人で好きな様に飲み食いしていいから」 七種さんはそう言うと、再び「始めるぞ〜」と声を掛けた。それを合図に、撮影は再開された。俺は青葉くんに「映画館で観てる気分でって事かな?」と訊いた。 「ん~、七種さんって"いかにも"ってな事が好きだったりするし……ありえなくはないね」 「ふはっ……いかにも過ぎて笑えて来た……あはは……」 「またツボってる。あ〜でもダメだ、釣られて笑っちゃう……」 撮影中にも関わらず、二人で大笑いしてしまった。力が抜けて、癖で青葉くんに寄り掛かってしまい、慌てて離れようとしたけど、青葉くんが「大丈夫だよ」と言って肩を抱いてきた。 (そうだった。恋人って前提だった) そう思った俺はされるがまま、青葉くんに凭れ掛かってスクリーンを見ていた。暫くそのままでいると、不意に「はい、OK!じゃあ……ちょっと休憩にしよう」という、七種さんの掛け声が聴こえた。 「灯里さん、写真チェック」 「う、ん……」 撮影自体も慣れないが、この写真チェックも慣れない。雑誌や、テレビ等で見るのは平気なのにだ。 (この違いは何だろうな……?) 「灯里!」 「蒼蒔さん、えっと……」 「大丈夫、ちゃんと自然に出来てた」 俺よりもこのポジションに相応しいと思われる蒼蒔さんに、そう言って貰えるとホッとする。でも、撮ってるのはあくまでも七種さんだ。ホッとするにはまだ早い。 「えっ、ダメなの?」という、青葉くんの声が聴こえて来て、俺はビクッとした。 「そら、こんな馬鹿笑いしとお写真は使えんやろ」 「何がそんなに面白かったのか知らないけど、楽しそうなのは伝わる。でも普通に考えて、これは使えねぇだろバカ」 そこまで聴いて(そりゃあそうだ。流石に素が出過ぎてる)と思った。それと同時に(全部がダメな訳じゃなくて良かった)と少し安心した。 「あ、二人は着替えて来て。次でラストだから」 七種さんに言われて、俺は智夏さんと一緒にメイク室に向かった。俺が「俺だけですか?」と訊くと、智夏さんが「今日の青葉くんは、もう一人がやるから」と言った。 (そういえば午前の時もそうだったな……あれ?) 「今更ですけど……俺が撮影に入る時は、智夏さんが俺の専属という事ですか?」 「そうだよ。実質、俺がMAOさんの専属。でもMAOさんが参加してない時は、俺が青葉くんの専属だね」 「青葉くんに付いた方が良いんじゃないんですか?」 「どういう意味か解らないけど、俺はMAOさんの専属で嬉しいよ。めっちゃ弄り甲斐あるから、凄いやり甲斐ある〜!」 それこそ、どういう意味なのか解らないが、楽しそうなので何よりだと思った。 (この顔が役に立ってるって事でいっか) 自分のこの顔が今でも好きになれない。でも、この顔で良かったと思った事も少なからずある。主に、商店街にある昔ながらの個人商店の様な店では……。 暫くすると「よし、メイクは完璧」と言って、智夏さんがウィッグを直し始めた。確かに鏡に映った自分は、さっきとはまた別人の様になっていた。しかも今度はちょっと濃いというか、派手というか……こういう時の適切な語彙が浮かばない。 俺が(こういう時の表現方法っていうか、専門用語的な物も覚えた方が良さそうだな)と考えていたら、ドアがノックされて衣装担当のマキさんが、衣装を持って入って来た。因みにマキさんはゲイ。そして"そういう言葉遣い"をする。 「MAOちゃんキレイよ〜」 「智夏さんのお陰です」 「元の素材が良さが、俺の腕で更に良くなってる訳」 「ホンット、その性格どうにかならないのかしら」 この二人もよく喧嘩の様な言い合いをしているが、仲が悪い訳ではない。寧ろ七種さんと青葉くん、関谷と俺みたいな感じだ。 「次の衣装も素敵なの。MAOちゃんのイメージそのもの」 「確か……露出度が高いんでしたっけ?」 前もって見せて貰っていた、衣装の資料を思い出しながら言うと、智夏さんが「それがMAOさんのイメージって安っぽい」と文句を言う。 「アンタねぇ、ちゃんと物を見てから言いなさいよね!」 そう言ってマキさんが、衣装カバーから衣装を取り出す。そして俺は絶句した。 「これ……」 「ボンテージじゃん。MAOさんにSMの女王様になっれて?」 「バカね。これがインナー。で、こっちがアウター。これでもシンプルにして貰ったのよ。派手過ぎも、可愛い過ぎもMAOちゃんのイメージじゃなくなるしね」 「アウターって……シースルーじゃん。結局スケスケでエロいんじゃん。安直すぎだろ」 智夏さんの言う通り、SMの女王様の様な下着っぽいボンテージ。俺が見せて貰った露出が高かい衣装とは全く違っていた。ボンテージではあるけど、露出は少ないしシースルーのアウターもある。 「煩いわよ小猿!文句があるなら、実際に着てる所を見てから言いなさい!時間がなくなるから、MAOちゃんは着替えて!」 「あ、はい」 俺はその衣装を受け取ると、パーテーションの裏に回って、まずは触ってみた。 (思ったより硬くはないけど、皮だから余計SMっぽく見えるんだなこれ。あ、これ型押しじゃなく刺繍なんだ。糸の色も強調してこない……なのに光の当て方で模様が浮き出る……凝ってるな) その衣装は、シンプルだが細部にまでちゃんと細かい仕事がされていて、強い拘りを感じる。ちゃんと着こなせば、安っぽさもなくなり、ブランドのイメージも損なわないと思った。 (流石、世界に名だたるデザイナー。でもこれ……俺に着こなせるか?う〜ん……自信ない……でも、これが俺の仕事……!) そう自分に言い聞かせながら、衣装に着替えた。変に装飾品が付いていないからか、着替えるのも楽だった。 アウターのシースルーは、膝くらいまでの長さで腰の辺りにリボンが付いている。二枚重ねになっていて、透けるけどそこまでスケスケではなく割りと隠れる。 (皮だけど軽いし、よくしなる。腰から下がパンツ状になってるけど、アウターのシースルーで女性っぽさも出てる。このシースルーにも刺繍……これは糸が金と銀の二色。光に当たるとキラキラする……これも凝ってる) 姿見で全身を映して見てみる。露出しているのは胸元と脚だけ。俺が見たのは、もっと際どかった覚えがある。それを思い出して(確かにあれはMAOって感じじゃなかったよな)と、ちょっと笑いそうになった。 俺は、一緒に渡されたハイヒールを履いて、二人の前に出て行った。 「え、これホントにさっきの?」 「当たり前でしょ。流石、MAOちゃん!最高に素敵〜!じゃあ早速行きましょ〜」 「皆、ビックリすると思うよ〜。このテの衣装初めてだしね」 言われてみれば、ここまで露出したのは初めてかも知れない。いつもは隠せる範囲で隠していたから。 「短いから足がスースーする……」 「あはは……男子がスカート履いた時の感想みたいじゃん」 「やだ、MAOちゃんは男子でしょうが」 「えっと、何だろ……紐パンやTバックで歩き回るのとまた違うというか……」 俺の率直な感想に、マキさんまで一緒になって爆笑し始めた。そんなにおかしな事を言っただろうか。そんな事を考えていた所為か、足元の段差に気付かず転びそうになった。 (ヤバい……!)と思った瞬間、誰かの腕が伸びてきて頭上から「大丈夫け?」と縁人さんの声が聴こえた。どうやら、転ぶ直前の危機を救ってくれたのは、縁人さんの様だった。 「すみません、大丈夫です」 「撮影前に怪我なんぞしたら、伊吹にどやされんで」 「気を付けます」 「灯里さん、大丈夫?!」と、慌てて駆け寄って来た青葉くんを 見て、俺は(え、青葉くんもヤバい……格好良すぎだろ!)とドキドキして、直視出来ずにいた。 「暗いから気を付けて。危ないから手繋ご」 「ぅ、ん……」 (始まる前からこんなんで本当に大丈夫か……あ、違う。俺は猫になるんだった!) 青葉くんに手を引かれてセットの方へと向かうと、セット周りの照明が更に落ちて、今度はスタジオ内にプラネタリウムが映し出された。 「おぉ〜、凄い綺麗……何だか別の空間に居るみたい」 「ラストの撮影はセクシーだよね?」 「でも素は見せないよ」 「約束したんだから当たり前でしょ。俺も頑張って堪える……」 今度のセットはソファとベッドのみ。小道具として、ベッドの上にバラの花束が置かれていた。 「それじゃあ始めるぞ」という、七種さんの掛け声で撮影は始まった。 青葉くんと二人で、ソファとベッドのどっちを使おうかと話した。でも俺は(猫……猫になるんだ……猫……)と、心の中で呪文の様に唱えていて、青葉くんの話をあまり聴いてなかった。 「う~ん、先にソファでイチャイチャしようか」と青葉くんに言われて、思わず「にゃん」と答えてしまった。 (馬鹿か俺……意識し過ぎだろ)と項垂れていたら、青葉くんが笑顔で「どうしたの?」と言った。 「いや……緊張し過ぎて、いつも通りって意識したら逆に変になった」 ソファに座った青葉くんが膝を叩いている。きっと膝の上に座れって事なんだと思った。 「まだ緊張してる?」 「だってこれが一番、悩んだからね」 「そっか……じゃあ、どうやって誘ってくれるか楽しみだな」 「それはベッドの上じゃない?今はこうかな……」 そう言うと、猫が擦り寄る様に、俺は青葉くんに擦り寄った。そして、笑顔で「逆膝枕〜」と言った。驚いた様に「逆?」と青葉くんが言うから、俺は「普通は女性が膝枕するじゃない?」と言った。 「あぁ、そういう事か。つまり、今のMAOさんは女性視点……彼女視点だから、彼氏の膝でって事か」 「そう。まぁ、実際いつもと変わらないけどんだけどね」 いつも青葉くんが、俺に膝枕をしてくれる。初めてされた時、照れ隠しのつもりで『普通は逆だよ』と言った事がある。でも青葉くんは『甘やかしたいから俺がする』と、臆面もなく言った。 「気分?とか意識と服装の違いだね。それにしても、目のやり場に困る衣装だね」 「青葉くんだって裸にコートって……」 「ごめん、あんまり動かないで」と言いながら、青葉くんが片手で顔を押さえるのを見て、俺の中の悪戯心が顔を出した。 「あ……じゃあ、膝の上に座るよ」 そう言って起き上がると、膝の上には座らずに青葉くんの足元に座った。 「え?」と驚いた青葉くんの片足に、頭を預けて下から青葉くんを見上げた。 「もお、上目遣いは反則じゃん……」 「ふふっ……あざといでしょ」 笑いながらそう言うと、青葉くんは無言で立ち上がって、おもむろに俺を担ぎ出した。これには流石の皆も驚いたのか、スタジオ内がザワついた。 それでも、七種さんの声は掛からないどころか、シャッターを切る音が止まらない。 「あはは……普通担ぐか?ここはお姫様抱っこじゃない?まぁ、これはこれで新鮮だけどね」 「俺はちょっと怒ってるんだよ」 そう言ったクセに、ベッドに降ろして横たわらせる動作は優しかった。バラの花束を手に取った青葉くんが、花束から一輪のバラを取った。そのバラを俺の唇に軽く当てると、バラ越しのキスといった感じで、青葉くんもバラに唇を当てた。 「もお……ホント……撮影中じゃなかったら良かったのに……」 「でも約束したでしょう?それに俺も我慢してるし……あと少し頑張ろう」 「そうだね。それなら、とっとと終わらせて帰ろ。あ、ちょっと起き上がって」 青葉くんが差し伸べた手を擦り抜ける様にして、青葉くんの前に座った。その時「あ、MAOさん。青葉に背を向けて座って貰えますか。あと、前をもう少し開けて下さい」と、七種さんから本日初の指示が出た。 指示通り前を少し開けて、青葉くんに背を向ける様に座り直した。すると青葉くんの両腕が、俺の肩越しに伸びて来た。その手には、パーティーにでも行くのかと思う様な、豪華なネックレスがあった。 「凄っ……」 「着けるから動かないでね」 (あぁ、だから後ろ向きに座らせたのか) 動かずに、おとなしくされるがままにしていた。肌に触れたネックレスが冷たい。でも、青葉くんの手は熱かった。ネックレスを着けて貰ってるだけなのに、何故かエロい気分になってくる。 そんな気分を変えるべく「高そうだね」と、ネックレスの話を振った。ネックレスを着け終わった青葉くんが、横に座って「某大手ジュエリーブランドの物らしいよ」と言った。 「えっ?!そんな高そうな物、素手で触っていいの?!俺が着けていいの?!」 「何言ってんの。衣装と同じで、MAOさんが着てる、着けてるっていうだけで十分なんだよ」 「本当に俺で大丈夫なのか不安しかない」 「大丈夫だからこうして撮影してるんだよ」 笑顔で言ってくれた青葉くんが、最高に格好良くて襲い掛かりたくなった。そう思ったら勝手に身体が動いていて、青葉くんを押し倒してその上に跨っていた。 「おぉ……随分とストレートなお誘いだね」 「あ、ごめん。つい……」 「ふふっ……珍しい」 「ねぇ、この衣装と……このネックレス似合う?」 青葉くんのツッコミと笑い声で我に返ると、挑発する様に指先で衣装やネックレスを弄った。すると再び、青葉くんは片手で顔を覆った。 「ホント、これ以上煽らないで欲しい」 「青葉くんもね」 そんな感じで二人で笑って話してると、七種さんの「OK!終わり〜!皆、お疲れ様〜!」と言う声が掛かった。それを聴いて、俺は「終わった〜」と大きく伸びをした。すると「早く着替えて帰ろ」と、青葉くんが意外な事を言った。 「え?写真チェックしなくていいの?」 「いい。それより早く着替えよ」 俺の手を引っ張る様に青葉くんが歩き出す。俺が「待って、靴が脱げる……」と言うと、今度はお姫様抱っこをされた。七種さんと蒼蒔さんも、俺と同じ様に「写真チェックは?」と言った。 「任せる。着替えて帰るから、何かあったらLINEしといて」 そう言い捨てて、青葉くんは再び歩き出そうとした。そこへ、結人くんと智夏さんが寄って来た。 「待って青葉くん。灯里さんのメイク、ちゃんと落とさないとダメだよ」 「ちゃんとしないと肌荒れして、MAOさんが困るんだよ」 「……解った。メイク落として着替えて帰る」 青葉くんが渋々といった感じで返事をすると、二人はホッとした様な顔をした。肌が弱い俺にとって、撮影後のメイク落としや手入れも疎かには出来ない。 「ごめんね」と言うと、シュンとした顔を隠そうともせずに首を振って、青葉くんは「灯里さんの肌の方が大事」と言った。 お姫様抱っこをされたままメイク室に入る。青葉くんは俺を椅子に降ろすと、結人くんと一緒に別室に行った。その姿を見送ると、衣装を脱いで私服に着替える。 (やっぱりいつもの服装が一番だな)と思いつつ、脱いだ衣装をハンガーに掛ける。智夏さんがウィッグを取って、代わりにピンで髪を留めた。メイクを落として、肌の手入れをして貰っていると、いつも心の中で(やっと皮膚呼吸が出来る)と思う。 「はい、終わり。これから乾燥が酷くなるから、今まで以上に気を付けて」 「ありがとうございました」とお辞儀をすると、智夏さんが「いやいや、オレも楽しかったよ」と言ってくれた。そして、メイク室から出ようとした時「引き続き頑張ってね〜」と、笑いを堪えながら言われた。 (まぁ……解るよな)と思いつつドアを開けると、帰る気マンマンの青葉くんが立っていた。それを見て、智夏さんと二人で笑ってしまった。 停めてあった車に乗ると、俺は「早く帰りたいけど、安全運転でお願いね」と言った。青葉くんは「灯里さん乗せてるんだから当たり前じゃん」と、俺の小指のリングにキスをした。 何故か家に着くまでお互い無言で、時折触れる手と手の方が口よりも雄弁だった。だけどそれ以上に欲情が勝っていて、部屋の鍵を開ける青葉くんの手が少しイライラして見えた。挙句、ドアが閉まりきってもいないのに、抱き合って貪る様にキスをした。 「ふっ……ん……青葉、くん……此処じゃ嫌……」 「ん……捕まってて……」 そう言うと青葉くんは、再び俺をお姫様抱っこして寝室まで運んだ。そのまま二人で、倒れ込みながらベッドの上でキスを繰り返した。その間に、青葉くんの器用な手先が俺の服を脱がす。そして青葉くんも、服を脱ぎ始めた。 撮影中はドキドキして直視出来なかった身体に、今はただムラムラして「早くコレ挿れて欲しい」と言って、青葉くんのチンコをパンツの上から撫でた。 「まだダメ」 そう言うと、青葉くんが取り出したローションを、アナルとその周辺に垂らして、優しく丁寧に慣らし始めた。 中に挿入った青葉くんの指が、俺の気持ちいい所ばかりを弄っては焦らす。そして、指の動きに合わせる様に、何とも言えない卑猥な音を立てる。 「あっ、ん……いじわる、ぁっ……」 「今日は散々、煽られたから仕返し」 それは一体なんの冗談かと思ったら、青葉くんが本能剥き出しの顔をしていたので、本気なのだと思った。そう思ったら、釣られたかの様に、俺の中の本能もざわめき始める。 「青葉くん……」 「ん〜?」 「後ろから、思いっ切り突いて」 上体を捻る様にしてそう言うと、青葉くんが「もお、俺の負けです」と言うなり、俺を四つん這いにさせる。そして、ゴムを探し始めた。俺はその手を掴んで言う。 「着けないで……中にいっぱい出して」 「ホントさ……今日の灯里さん何でそんなにエッチなの?」 「俺も、本能スイッチ入ったみたい」 「ふはっ……じゃあ……」 そう言いながら、アナルに少し挿れた所で青葉くんが一旦止めると、耳元で「リクエストに応えてあげる」と言って、一気に奥まで突かれた。 「っお"……あ"っ……」 「苦しい?それとも気持ちいい?」 「ん"、あ"っ……りょお……ほ、お"っ……」 訊いておきながら、答えてる時に突くのはどうかと思う。目の前がチカチカして、頭の中が真っ白になる感じがした。漫画の描写なら、半白目といった顔をしている気がする。 「こっちの方がもっと奥まで届くかな……」 青葉くんはチンコを挿れたまま、俺の身体を抱き起こして膝の上に乗せる。確かにこの体勢の方が、更に奥まで突かれてる感じがする。 下から突き上げられてる上に、しがみついている所為で、俺のチンコが青葉くんのお腹辺りに当たって擦れる。触ってもいないのにチンコも気持ち良くて、早くもイきそうになる。 「そんなに気持ちいい?」 「ぅん……いい……」 「めちゃくちゃ締まってるもんね……ちぎられそう」 「あおばくん……きもち、いぃ……?」 ちゃんと言葉を発せられていない事に、自分でも気付いた。でも考えるよりも先に、声や言葉が勝手に口から出る。 「いつもに増して限界が近い」 「あ"、ん……なかに……いっぱい、ちょうだい……」 「灯里さんはイきそう?」 「う"、んっ……いっしょ……イきたい……」 青葉くんの目が一瞬、強く光った気がした。本能剥き出しで、雄の顔をしている。俺は多分とんでもなく締まりのない、だらしない顔をしている気がする。 「あ"ぁっ、いぃ……あっ、いや……イク……」 「っ……そんな締め……あ……」 どうやら俺がイクと、すぐに青葉くんもイった様で、中で射精しているのが解った。俺は大きく後ろに仰け反って、そのまま横たわった。そして暫くは、啄む様なキスだけを繰り返していた。 青葉くんのチンコがスルっと抜けて、俺の隣に横たわると、俺を見て言う。 「今日の灯里さん、ほんっと〜に、エッチ過ぎて無理!」 それこそ今日の撮影は、今まで以上にムラムラした。これまでは"仕事中!"だとか"今の俺はMAO!"と、そう自分に言い聞かせては、理性で煩悩を抑え込んで来た。 でも今日は無理だった。青葉くんの言う様に、イメージや雰囲気、衣装や小道具などの影響もあったかも知れない。でも、それらを差し引いても、青葉くんの格好良さに目が眩んだ。 「惚れ直しちゃった」 「え?どういう事?」 「あ〜、ちょっと違うかな?えっと……俳優の本條青葉も好きになった……って感じかな?」 付き合ってから早一年半は過ぎた。なのに今までは、目の前の青葉くんと、俳優としての青葉くんは別だと思っていた。俺が好きなのは、初めて会った時からずっと目の前の青葉くんだ。 俳優の青葉くんも、確かに青葉くんの一部だけど、俺の認識は少し違う。だからテレビやスクリーンに映った青葉くんを、格好良いとは思っても、好きとはならなかった。まぁ、恋愛を前提とした話だけど。 だけど今日、改めて一緒に仕事をしていて気付いた。俳優の青葉くんに、本気で恋しちゃう人達の気持ちが、何となく理解出来てしまった。 そう思っていた事や気付いた事を、一緒にバスタブに浸かりながら話した。すると……ちょっとだけ、眉間に皺を寄せた青葉くんが口を開いた。 「あぁ……リア恋勢の人達ね」 「それ以外にも……同じ俳優さん達の中にも居るでしょう?」 「まぁ、恋愛対象にされてる気がする事は……時々あるかな」 「演技だって解ってても、その場の雰囲気だって解ってても、あれはなんか……そんな気分になるよ」 メイクをガッツリして露出を高くして、浅ましいと思われてでも、気を惹きたい……振り向いて欲しいと思ってしまう。それもまた恋心なのだと解った。 好きな人には綺麗な自分を見せていたい。可愛い自分を見て欲しい。総じて"自分を良く見せたい"といった所だろう。見せるべき所が、そこだけで良いのかは別物だけど。 「つまり、俺のライバルは俺って事?」 「それは……いや、それもまたちょっと違うかな……」 「前に七種さんが言ってた事が、何となく解った気がした」 「え?」 詳しく聴くと、結人くんの推しは配信者としての七種さん……はちさんだが、恋愛として好きなのは七種さんである。そう聴くと、同一人物なのに?と思ってしまう。でも結人くんの中では、あくまでも別人なのだそうだ。 「なるほど……確かにそれに近いかも。じゃあその法則で考えると、青葉くんは恋人。でも推しは俳優の青葉くんになるんだな」 「結局、俺のライバルは俺って事じゃん」 「そうか……な?でも俳優の青葉くんに対して、恋愛感情はないんだよ?」 「それでも面白くない」 そう言って拗ねる青葉くんに、俺は「それを言ったらキリがないでしょう」と、諭すように言った。そしてバスタブから出て、身体を洗おうとボディタオルを手にしたら、青葉くんが「タオル貸して、俺が洗う」と手を伸ばして来た。 (まだ拗ねてるのか……) 「俺にとっては、俳優の青葉くんはどこまでいっても、皆の青葉くんなんだよね。でも俺の世界一大好きな青葉くんは、こうして一緒に居て……俺を甘やかしてくれる目の前の青葉くんだけなんだよ」 「ぅん……例えばだけど……もし俳優の俺が本当に現れたらどうする?」 「んん?えっと……青葉くんが二人居て、一人は目の前の青葉くんで、もう一人は俳優の青葉くんて事?」 理解するのに数秒掛かった。言わんとしている事は解るけど、言葉にすると途端にややこしくなる事象は多い。きっと誰しもがそう思ってるだろう。 「細かい事は置いとくとして……単純にその二択なら、俺は目の前の青葉くんを好きになる。何度でも言うけど、俺が本当に大好きなのは、本当の……素の本條青葉です」 「うん……良かった。あ、でもやっぱり、俳優の俺も推して欲しい!」 「ライバルなんじゃないの?」 「でもほら、もう一人の俺でもあるからね」 また少し頭の中が混乱しそうになった。でも確かに、俳優の本條青葉も、青葉くんではあるのだ。俺は「解った。推すね」と、つい笑いそうになるのを堪えながら言った。 何だかんだで結局、お互いの身体を洗いあった。バスルームから出ると、洗面所で髪を乾かす。そして、キッチンに行って水を飲んでいると、青葉くんが「お腹空いたね」と言った。 言われて時計を見ると、夜の九時になろうとしていた。撮影が終わってスタジオを出て、帰って来たのが確か六時頃だった。お風呂に入ってた時間も入れると、まぁ……いつもよりは少し早い方ではある。但し食事していないので、違う意味で遅い。 「作るの面倒だな……」 「じゃあ、デリバリーする?」 「そうしようか」 二人で何を食べるか決めて、スマホから注文をする。届くまでの間に、お互いメールやLINEのチェックをしていた。すると、七種さんから画像が添付された、お疲れ様メールが届いていた。 内容を読んでから添付された画像を開くと、そこには青葉くんと爆笑していた時の写真と、ネックレスを着けて貰っている時の写真があった。 やはり一枚目は使われないらしいが、七種さんも気に入ってるという。二枚目は今日撮った中の二位だと書いてあった。 俺は(じゃあ何が七種さんの中での一位なんだろう?)と思ったが、訊いても教えてくれないだろう。なので、雑誌に載るまでの楽しみにしようと思った。 「灯里さんの方にも、七種さんからメール来てた?」 「うん。写真が添付されてるメールが来てた」 「同じ写真かな?」 「俺の方はこの二枚だったよ」 そう言ってスマホの画面を見せると、青葉くんは「あれ?」と首を傾げた。大方、違う写真が送られて来たのだろうと思ったら、案の定、二枚目の写真が違ったらしい。 「俺のはこれだった」と言って見せてくれたのは、撮影で行った公園内で、虫に出くわした時の青葉くんの焦った写真だった。 「これ絶対、悪意あるよね」 「またそうやって……ていうか、こんなのも写真に撮るんだ」 「いつもいっぱい撮ってるよ」 「ふはっ……何枚撮ってるんだ。でも実際に使われるのは、その内の数枚でしょう?」 当然"必要な分だけ撮って終わり"とする、カメラマンも居るだろう。だけどその瞬間を余す所なく撮って、その中から"最高の一枚"という物を選ぶ……きっとそれが、七種さんのやり方なのだ。 そんな話をしていたらデリバリーが届いて、二人で「いただきます」を言って食べ始めた。 「そうだ。今回の雑誌の掲載ページね、特集の中でも特に扱いが大きいらしくて、二十ページあるんだよ」 「そんなに?あ、だから衣装チェンジが多かったのか。しかもあんな高価なネックレスまで……あれは本当にびっくりした」 「そうだと思う。因みに、最後に灯里さんが着た衣装は、七種さんの叔母さんのブランドがコラボしてる」 「あ〜、だから下着っぽかったのか」 七種さんのお父さんには、二人のお姉さんが居る。一人は美容系。もう一人がアパレル系でランジェリーも扱っている。どちらも昔から、第一線でやってきている大手で老舗だ。そしてその業界では、かなりの実績があるらしい。 七種一族も、一ノ瀬家に引けを取らないと思われる程、なかなどうして侮れないものである。 そして実は、そのアパレル系の叔母様からもオファーが来ているらしい。だが、青葉くんが「下着は絶対ダメ!」と言って譲らないので、立ち消えしたと思っていた。 「まぁ……一億歩譲って、あれくらいならいいけどね」 「最初のデザインはもっと際どかったんだよ」 「あれ以上?!そんな衣装だったら、俺がカメラ止めてたよ!」 実際にそんな事をしたら、七種さんと喧嘩になる事は火を見るより明らかだ。だが、それが仕事だと言われたら、強く抗えないのも事実だろう。 「でもあのインナー、凄い凝ってて感心しちゃった」 「そうなの?あんまりガン見しちゃダメって思ってたから、ちゃんと見てなかった。辛うじて、アウターがスケスケで意味あるのかなって思ったくらい」 「アウターも凝ってたんだよ。それに、そこまでスケスケじゃない。そうか、至近距離で見ると透けちゃうのか?ん?逆か?」 「バグるよね。照明の当て方や角度にもよるし、あと雑誌に載ると、そこまで透けて見えなかったりするかな」 感覚が麻痺するのか、単なる視覚効果によるものなのか、よく解らないが、色々とバグが生じるらしい事だけは解った。 話が一区切りすると、丁度ご飯も食べ終わっていて、二人で片付けをしてお茶を淹れた。リビングのソファで、寛ぎながらまた撮影中のアレコレを話していた。すると青葉くんが、思い出した様に言う。 「ねぇ、今日のあれ……あんなエッチなの、どこで覚えたの?」 「えっと……病院のその……」 とうとう、この質問が投げ掛けられた。隠し通せるなら隠しておきたい所だが、それは無理なので話そうとした。でもいざとなると、何からどう話せばいいのか解らなくて、変な所で言葉に詰まってしまった。 「何でそんなに歯切れが悪い……え、まさか?!」 「え、違うから。だた、めちゃくちゃ下らないから、言うのが恥ずかしいって言うか……笑わない?」 俺が訊くと、青葉くんが「うん、笑わない」と、やけに真剣な顔で言うので、腹を括って話をする事にした。 「病院のあまり人が来ない裏庭あるでしょ。そこに、野良猫が来るんだけどね」 「あぁ……灯里さんがコッソリ餌あげてる猫でしょ?」 「何で知ってんだ」 「あ……まぁ、それは一旦置いといて。それで?その猫がどうかしたの?」 知ってる事に驚いたし、誤魔化そうとしている事も解った。けど、ちょいちょい病院に出入りしているし、入院している時から仲が良かった男性看護師も居るから、その辺から知り得たのかも知れない。とりあえず俺は、話を進める事にした。 「餌あげてる所為か、懐いてくれてるんだよね。甘えるポーズとか、何気ない仕草とか動きとか見てて、なんか良いなって思ったんだよ。マオって猫って意味だし……だから安直にも、猫っぽくしたら良いんじゃないかって……」 話してるうちにやっぱり恥ずかしくなって来て、フェードアウトする様に言葉を濁してしまった。 「あ~、なんか猫っぽいと思ったら、猫を参考にしてたからか」 「これでも、雑誌見たりAV見たりしたんだけど……でも、どれもピンと来なくて。でも猫見てたら"これだ"って思った」 「なるほどね。まぁ、実際ネコだけどね」 言葉遊びでもするかの様に、青葉くんがニヤニヤしながら言うから、調子に乗って「にゃあ」と言った。 「あの時「にゃん」って言ったのは、猫を意識してたから?」 「そう、意識し過ぎて「にゃん」って返事しちゃった」 「ふはっ……うちのネコちゃん宇宙一可愛い」 「"うちの"じゃなくて、青葉くんだけのネコだにゃん」 そう言ってまた猫の仕草で挑発すると、青葉くんが「おいで」と乗って来た。俺が青葉くんに近寄ると、ヒョイという感じで何回目かのお姫様抱っこをされた。 「もう一回襲っちゃうからね」 「好きなだけ襲ってにゃん」と、甘える様に胸元に頬擦りすると、青葉くんが寝室のドアを開け閉めしてベッドの上に俺を降ろした。 「俺のネコちゃんがとてもエッチなので襲います」 「俺の青葉くんがとても格好良いので襲われます」 二人でそんな馬鹿みたいな事を言い合って、愛し合って、抱き締め合って眠った……。 ― END ― 備考:2023年の秋頃のお話。モデルの仕事を始めて少し経った辺りの灯里視点です。この日の撮影に立ち会った人々は、二人の熱に当てられたとか何だとか……笑
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