クテシフォン

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ササン朝ペルシアの都、クテシフォンは朝日を浴びて黄金色に輝いていた。 大きなティグリス川が静かに流れ、宮殿の白い壁を照らす光が神々しい。 王族の娘サリナは、窓辺に立ち、眼下に広がる広大な都市を見下ろしていた。 彼女の胸は不安で満ちていた。外では、イスラム勢力が徐々に迫り、ササン朝の栄光は薄れつつあった。 「どうなるんだろう…この国は。」 王宮の中は表面的には平穏を保っていたが、将来への不安は誰もが感じていた。 サリナもその一人だった。 彼女は若く、美しいが、王家の責務を背負い、自由な恋や楽しみから遠ざけられて育てられてきた。 ある日、彼女のもとに新しい侍女が送り込まれた。 アラブの捕虜の一人だという。 彼女の名はリヤーナ、サリナと同じくらいの年頃で、黒い瞳と深い褐色の肌を持つ謎めいた少女だった。 「リヤーナです、どうかお仕えさせてください。」 彼女は深く頭を下げ、静かな声で挨拶した。 サリナは最初、リヤーナに距離を感じていた。彼女は敵国からの捕虜であり、信じてはいけない存在だと教えられてきたからだ。 しかし、リヤーナの優雅で落ち着いた態度と、彼女が示す繊細な優しさに次第に心を開いていった。 二人は共に過ごす時間が増え、サリナはリヤーナに自分の不安や悩みを打ち明けるようになった。 「戦争が続いたら、私たちの未来はどうなるんだろう…」 サリナはある晩、リヤーナと星を見上げながら呟いた。 リヤーナは静かにサリナの手を握り、囁いた。 「怖がらないでください。貴女はとても強い心を持ってます。きっと、どんな困難も乗り越えることができるでしょう。」 なんだか本でむりやり言葉を学んだカラクリ人形みたいな喋り方で、サリナは少し笑った。 彼女の心は次第にリヤーナへと惹かれていった。 サリナは次第にリヤーナに依存するようになり、彼女を信頼していく中で、友情以上の感情を感じるようになっていた。 ある日、リヤーナが宮殿の庭で花を摘んでいる姿を見つめながら、サリナの胸の中に何かが芽生えた。 「私は…彼女を愛しているのかもしれない。」 だが、その思いを口にすることはできなかった。 リヤーナは敵国の捕虜であり、彼女を愛することは許されない。 ましてや、二人の愛は女性同士のものであり、王族の娘としては絶対に許されないものであった。 それでも、彼女の気持ちは止められなかった。 ある夜、サリナはリヤーナを自分の部屋に招き入れた。 二人は静かな夜の中、ただ隣り合って座っていた。 月の光が彼女たちの顔を優しく照らし、二人の間には深い沈黙が流れていた。 「リヤーナ、私…貴女に伝えないとだめなことがあって。」 サリナの声は震えていたが、彼女はリヤーナの目を見つめた。 リヤーナは何も言わず、ただサリナの手を握り返した。 彼女の瞳には、言葉では表現できないほどの優しさと深い感情が映っていた。 リヤーナは静かに囁いた。 「私も…貴女と同じです。」 その瞬間、二人の唇が重なり合った。 サリナは、自分の中にある情熱と欲望が爆発するのを感じた。 彼女はリヤーナを強く抱きしめ、決して離れたくないと心から願った。 サリナとリヤーナの愛は、禁じられたものでありながらも、止めることのできない激情によって燃え上がっていった。 ある夜、二人は再び密会し、言葉では伝えきれないほどの愛を交わすことになった。 リヤーナの手がサリナの顔に触れ、その指先がそっと彼女の頬を撫でた。 サリナは目を閉じ、彼女の温もりに包まれながら、自分の中にある抑えきれない欲望を感じていた。 「リヤーナは…私の全部だよ。」 サリナは静かに囁き、リヤーナを抱きしめた。 二人はそのまま夜を共に過ごし、互いの心と体を求め合った。 彼女たちは言葉を超えた場所で結ばれ、その夜の情熱は二人の心に永遠に刻まれるものとなった。 時が経つにつれ、イスラム勢力はササン朝に対してより攻撃を強め、決定的な戦い、ニハーヴァンドの戦いが近づいていた。 クテシフォンの宮殿内でも緊張が高まり、サリナの父や兄弟たちは戦に備えていた。 サリナもまた、宮廷の女性たちと共に準備を進めていたが、リヤーナの存在だけが彼女を支えていた。 しかし、ついにサリナはリヤーナがスパイであることを知ってしまう。 彼女は偶然、リヤーナが密かに書いた手紙を見つけ、それが敵軍への報告であることに気づいたのだ。 心が引き裂かれるような思いで、サリナはリヤーナを問い詰めた。 「リヤーナ、裏切ってたの?」 サリナの声は震えていた。 「私は…私は初めからそのつもりだった。だけどサリナ、貴女を愛してしまった」 リヤーナも涙を浮かべていた。 二人の愛は、最初から許されないものだった。 しかし、サリナはリヤーナを罰することができなかった。 彼女は愛してしまった相手を許したいと思ったが、心の中の葛藤は消えなかった。 やがて、ニハーヴァンドの戦いはイスラム勢力の勝利に終わり、ササン朝は崩壊の運命を迎えた。 クテシフォンも陥落し、サリナの家族は滅び、彼女自身も追い詰められていた。 混乱の中、リヤーナは密かにサリナを宮殿の裏道へ導き、彼女を逃がそうとした。 「もう一緒にいられない」 リヤーナは涙を浮かべながら告げた。 「私たちは違う世界の人間だ。でも私は、貴女を…愛した。それが私の罪だ。」 サリナも涙を流していた。 「貴女を憎みたいよ」 「でも、できないんだ。私も、貴女を大好きだった。」 最後に、二人はクテシフォンの廃墟で抱き合い、別れのキスを交わした。 しかし、その瞬間、突然背後から兵士たちの声が響いた。 サリナが振り返ると、イスラム勢力の部隊が現れ、リヤーナに向けて頭を下げた。 リヤーナは、まるで別人のように冷静な表情で、サリナから少し距離を取った。 「リヤーナ、これ…何?」 サリナは戸惑い、震える声で問いかけた。 リヤーナは目を伏せたまま、静かに口を開いた。 「サリナ、私は貴女に伝えなきゃいけない。私の任務は、ササン朝の滅亡を確実にすること。そして、貴女をこの瞬間まで生かしておくことだった。」 「どういう意味?」 サリナの心臓が激しく鼓動を打ち始めた。 リヤーナは鋭い視線をサリナに向けた。 「貴女はただの王族の娘じゃない。貴女の存在そのものが、ササン朝の再建を望む者たちの最後の希望だったの。 貴女を生かし、そして今、イスラム軍に引き渡すことが、私の本当の使命だった。」 サリナは目の前の光景を信じられなかった。 リヤーナが私だけに見せてくれたこれまでの優しさと愛情は、すべて偽りだったのか? それとも、彼女の愛は嘘ではなかったのか? 「じゃあ、今までのこと…全部、嘘だったの?」 サリナは涙を抑えきれず、叫んだ。 「…ちがう。」 リヤーナは一瞬、苦しそうに顔を歪めた。 「貴女への気持ちは、本当。けど私は、祖国のために裏切らなければいけなかったの。」 リヤーナは震える手でサリナの頬に触れた。 「愛してしまったことが、私の最大の失敗だった。それでも、この道を選んだんだ。」 サリナは絶望と怒りの中で、リヤーナの手を振り払った。 「触らないで!」 だがその瞬間、別の兵士がリヤーナに近づき、静かに彼女の耳元で何かを囁いた。 リヤーナの表情が一変し、再びサリナを強く抱きしめた。 「サリナ、今すぐ逃げて!」 リヤーナは切迫した声で言った。 「何言ってるの?」 サリナは驚きながらも、リヤーナの腕から離れようとしたが、リヤーナは彼女を放そうとしなかった。 「彼らは、貴女を処刑するつもりなの。イスラム軍は、もう貴女を生かしておく価値がないと判断したの。でも私は、貴女を死なせたくない!」 リヤーナの瞳は、これまでに見せたことのない激しい感情に満ちていた。 「でも、貴女は…私を裏切ったのに?」 サリナは混乱し、怒りと愛情の間で揺れていた。 「そう。私は裏切った。でも、最後にもう一度だけ信じてほしい。今だけでいいから!」 リヤーナは泣きながら、サリナを強引に隠し通路へ押し込んだ。 「サリナのこと、愛してる。それだけは…。」 サリナが通路の中へ入ると、リヤーナは最後に彼女に微笑んだ。 それは、彼女が見せた中で最も美しい微笑みだった。 そしてリヤーナは、兵士たちの前に立ちはだかり、自らの命を捧げるようにその場に留まった。 サリナはリヤーナの言葉を信じ、泣きながら通路を抜け、クテシフォンの外へと逃げ延びた。 彼女の心には、リヤーナとの愛と裏切り、そして最後の瞬間の真実が深く刻まれていた。 リヤーナは、サリナを救うために最後の選択をした。 そして彼女自身は、イスラム軍の命令に背き、その場で処刑された。 リヤーナの最期の行動は、彼女が愛する相手に対して見せた唯一の真実だった。 サリナは新しい時代の中で生き延びたが、リヤーナのことを忘れることはなかった。 滅びゆくササン朝と共に、彼女の愛もまた失われ、二人の物語は歴史の中で語られることなく、静かに消えていった。 しかし、サリナの心の中には、いつまでもリヤーナの微笑みが残り続けていた。
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