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 空いている居室に入ると、松井さんは肩を竦めて微笑んだ。  以前から左足の膝が痛んでおり、むくみが酷くなっていたこと。整形外科で水を抜いてもらいながら、今まで業務をこなしていたのだと松井さんは言った。  「そんな。いつからですか」  驚いてわたしは叫び、松井さんはしいっと指を口に当てた。  「膝の水自体は、さつきちゃんが来る二年くらい前から。あまり大事にすると、労災とか、なにかかやで喧しくなるし」    なにより、変に気遣われて入浴介助や夜勤の回数を減らされ、ほかの職員の負担を増やすのが嫌だったのだろう。松井さんはそういう人だ。  「手術することになったんだ。それが来月の下旬ねー」  松井さんの言葉に、わたしは言葉を失った。今月末から有給消化に入り、来月は、もう、松井さんは職場と関りを断つ。  「そのこと、みんな知ってますか。だって松井さん、あんなにたくさん夜勤も入浴介助もしていたのに」  わたしは言った。  松井さんは「言ってない。でも、辞める手前、施設長には伝えて置いたわ。ほら、現場にちょっとでも話したら、あっという間に誇張されて広まるから」と、また苦笑いした。  ころころ太った松井さんは全体が丸く、どこかがむくんでいたとしても、傍目には分からない。  確かに夜勤明けや入浴介助の後、足を引きずっているのかな、と思う事はあったが、それほどひどい状態だったとは。  「体に水が溜まるってのはねぇー、トシ相応だから。仕事のせいだけじゃないわー」  と、松井さんは言った。  誰にも不調を告げずに退職する松井さん。  手術のことも知らせていないのだろうから、入院しても、施設から見舞いはないかもしれない。  ふいに、白い病室で、病衣を着てベッドで過ごす松井さんの姿が思い浮かんだ。それは泣きたくなるような風景だった。  その時、がらがらと配膳車がホールに届いた音がした。さ、早く戻らなきゃ、と松井さんはわたしを急かし、自分も持ち場に戻ろうとした。  慌ててホールに向かいながら、一瞬、わたしは振り向いた。歩く松井さんの左足をじいっと見送ってしまった。  確かに、右足より太い。  体から水を抜きながら、なんでもない顔で仕事をしてきた。  もう三年くらい、そんな日々を送ってきた、松井さん。  松井さんの豊かな膝の内側で、たゆたう大波のような水を思い浮かべた。松井さん自身に苦痛を味わわせるその水は、わたしの空想の中では、たぽんたぽんと命をはぐくむ母なる海のように綺麗だった。その水があったから、松井さんは踏ん張り続けたのかもしれない。その水のおかげで松井さんは、長年従事してきた仕事から足を洗うことを決意し、少し早めに悠々自適な生活が叶うのかもしれない。  松井さんの人生に関わる、水。 **  「年寄りを食い物にしてるって言われて、そうじゃないって反論できるかな」  あれはいつだっただろう。  休憩室で一緒になった時、たまたま他に誰もいなかった。ちょうどテレビで老人介護のテーマのトーク番組が流れており、それを見ながら、ぽつんと松井さんが言ったのだ。  そのトーク番組は二手に分かれた人々が意見を言い合う形式になっており、Aチームは在宅介護の良さを主張し、Bチームは在宅介護の限界と終の住処の必要性を叫んでいた。    「だって結局は、施設さんは介護報酬だかなんだかで美味しい思いをして、そのくせ契約していることを必ずしも守ってるわけじゃないでしょう。老人を食い物にする面もあるでしょう」  と、Aチームの女の人が声を枯らして叫んでいた。  なんてことを言うんだろう、これじゃわたしたちは悪者だ、と、ごはんを食べながら思った。施設従事者にとって、そんな主張は言いがかりとしか思えない。だいたい、「美味しい思い」をするほどの給料なんか貰っていない。  それでわたしは、酷いですね、と松井さんに同意を求めた。  松井さんは静かに、「食い物にしていないと本当に断言できるのか」と、逆に問いかけてきた。  しいんと落ちた沈黙は濃厚で、松井さんは微笑んでいたけれど、その表情は謎に満ちていた。まだまだわたしには到達できない、深い部分を、松井さんは見つめていた。  「確かにねえ。施設介護なんて、本当はないほうがいいに決まっている。なくなるべきなのよ」  と、松井さんは言った。認知症だったり、身体介護がたくさん必要な人を社会から離し、ひとところに集めて介護しなくてはならない現実。それは決して、正しくないのだから。  住み慣れた家で、親しい人に囲まれ、認知症になっても助けてもらったり、逆に、認知症でも未だできることをこなしたりしながら、最後まで在宅で過ごす。そして死んでゆく。  それは幸せな理想だけど、ほとんど実現しない夢物語なのだ。  お金も、社会も、人との繋がりも、なにもかもが、あまりにも人間から遠い場所に行ってしまった。まだ体や頭がどうもなっていないうちは、何という事もなしに生活できるのだけど、健康や精神状態のどれかが少しでも欠けた瞬間、もう普通に過ごすことを許されない。それが世の中だ。  誰のせいというわけでもない。  そういう社会だから、「普通に過ごすことを許されない人々」の受け皿がどうしても必要になり、施設介護が存在する。わたしたちの職は、そういう仕事なのだ。
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