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あつし、と名前を呼ばれ、三宅あつしは立ち上がってガードレールを見上げた。
部員たちは皆、こちらを振り向いた。
「じゃあ、俺いくから」
「うん」
「部室で分析して記録しておくから、都合ついたら来なよ」
小さい声があぶくのように優しく聞こえた。
三宅あつしは友達たちに手を振ると、カモシカが崖をかけあがるように土手を上って来て、雑草の中からにょきんと体を出した。
「あれ」
と、三宅あつしはわたしに気づき、ちょっと会釈した。わたしも釣られて会釈した。
あつしの母親はその様子をもの言いたげに眺めている。よく見ると、彼女のコートはあちこち擦り切れていて、靴もぼろぼろだった。
時間よ、と、女性は言い、まじまじとわたしを見た。
「母さん、この人と知り合い」
と、あつしは言い、彼の母親は頼りなげに「いいえ」と言った。
この間、お庭の土を採取させてもらったんだよ、また採取させてもらいに行く予定なんだよ。
あつしはそう言った。
「この近くの町営住宅に住んでるんです。これは母です」
と、あつしは言った。
さあさあと川が流れ、水音に混じって高校生たちの話し声が届いた。
意味深な沈黙が流れ、あつしはちょっと首を傾げた。
「えっと、お名前は――さつきさん」
と、あつしは言った。
さつき、と、母親は口の中で呟き、眉間にしわを寄せ、目を見開いた。
この近くの町営住宅に。
一瞬、わたしはどうするか迷った。
「さつき・・・・・・」
と、母が細い声で呟き、その具合の悪そうな仕草で手を伸ばした時、ぷつと糸が切れたように、わたしは逃げた。
逃げて、どうなるわけでもないのに。
車に乗り、アクセルを踏みながら、心臓はばくばくと走り続けている。
母と、巡り合ってしまった。
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