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季節が勢いを増すにつれて、物置の裏のツゲのことが気になった。
ツゲは青々と茂り、このままでは物置の屋根を越してしまう。今でさえツゲの付近はヤブカが発生している。
(あの時、どうして思い切ってばっすり切ってしまえなかったんだろう)
五条に言われてその気になり、まだ細かったツゲの木に鋏を入れた時。
ツゲは思いのほか固く、なかなか刃が入らなかった。それでもやっと少し食い込んだと思ったら、ツゲが悲鳴をあげたかのような錯覚を覚え、鳥肌が立った。鋏を引き抜いたら、たらたらと気味の悪い樹液が垂れ落ち、その水は、まるで恨みの涙のように思えた。
ツゲを何とかしなくてはと思う度、あの時の、ツゲの樹液がフラッシュバックする。
ただの植物だと判っていたけれど、ツゲの命乞いから目をそらすことができなかった。そこにあってもらっては絶対に迷惑だし、そのままにしていたら、いつか物置そのものを破損するかもしれない。だから、ばあちゃんは毎年、ツゲを切っていた。
あってもらっては困るもの。
生きてゆくのに邪魔になるもの。
それは、やっぱりきちんと線を引いて、サヨナラしなくてはならないものだ。
(切り捨てるって、難しいんだな)
厭らしく纏わりつき、自分の足を引っ張るような存在を振り払うのには、相当な意志が必要だ。わたしにはどうも、それが足りない。
**
ばあちゃんの骨は大福寺に託すことに決め、あの翌日に電話をした。
休みの日、捺印した書類と骨壺を助手席に乗せ、朝のうちに寺に向った。その日に限っていもとはいなかった。おそらく、五条のいるアパートで寝たのだろう。
あの後、燃えるゴミの日をまた一回挟んだので、家にあるばあちゃんの遺品はほぼ無くなっていた。
残っているのは本当に必要なもの――皿や鍋ややかんなど――と、タンスやら電話台やらの大きいもの、それから件の仏壇だ。
日に日にがらんとしてゆく家は、それでもやっぱり、馴染み深い場所で、未だわたしは、ここを去ることにピンときていなかった。
(納骨を済ませたら、新居を見つけなくてはなあ)
良い天気だった。
つばめが飛びまわり、農家の人々は田んぼや畑で作業をしていた。もう学生の通学時間は過ぎており、歩道は空いている。
山は数日前よりも濃く茂り、墨絵のような印象は一層深い。
坂道を上る時、窓を開くと、さあさあという川の流れと一緒に、むわっと鼻をつく植物の匂いが押し寄せてきた。
山桜は葉桜の時期を迎えており、木々の色は透き通るようなグリーンだった。
ごとごとと車が揺れると、助手席の骨壺も微かに揺れる。
ばあちゃん、お寺に行くよ、いいところだよ、と、心の中で話しかけると、脳裏でばあちゃんがにたっと笑う顔が浮かんだ。
「あの寺が一番いいなって最初から思ってたんだよ」
とでも言いたげなその顔は、生前、ばあちゃんがたまに見せた「してやったり」な笑顔だった。子供の時、嫌いなピーマンを肉の中に混ぜて食べさせられ、思いのほか美味しくて、一皿ぺろっと食べた時に、ばあちゃんはそんな顔をしていた。
納骨できなかったのではなく、しなかった。
寂しくて、まだばあちゃんから離れられなくて。
嫌だばあちゃんと一緒にいる、と、駄々をこねるわたしを何とか導いて、納骨までこぎつけた――脳裏に浮かんだばあちゃんの笑顔は、「してやったり」であると同時に、ほっと安堵しているように思えた。
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