7人が本棚に入れています
本棚に追加
障子を開いた時、よく外が見えるあたたかい棚に、ばあちゃんの骨は安置された。住職がお経をあげ、その背後で手を合わせながら、ああこれでばあちゃんともさよならだ、と、思った。
毎月の支払の事や、法要のことなどを聞き、手続きは順調に済んだ。
このあいだと同じようにお寺の奥さんが草むしりをして、その周りを猫がまとわりついている。車に乗った時、奥さんは振り向いて丸い顔でにっこり笑った。
住職もそうだけれど、このお寺は全体的に「大福」な感じだった。丸くてけち臭くない。あんこぎっしり。
なにか違和感を感じて車の扉を開いた時、ちょっと振り向いた。
この間見た時にはなかった自転車が玄関の横に停まっている。高校生の娘さんのものに間違いなさそうだ。
あれっ、今日は平日だったはず、と首を傾げた。
風邪でもひいてお休みしたのだろうか、だけど家の中に、住職と奥さん以外いる気配はなかったもんなあ。一瞬考えたが、詮索する気もなくて、車に乗った。
空は青くすがすがしい。
車は寺の敷地を出て、坂道に出る。
(これからどうしよう)
車窓を開くと、さあさあと水の音が聞こえる。前髪は風になぶられ、頼りなく目の前を踊った。
家族のないわたしは根なし草のように、アパートからアパートへ移って生きてゆくのだろうか。
その旅には終わりはあるのだろうか。
目が痛いと思ったら、わたしは泣いていたのだった。
まさか泣くとは思っておらず、自分で自分の涙に驚愕した。
これはまずい、困った。
次々に流れてくる涙のせいでフロントガラスがぼやける。仕方なく、坂道の端に車を寄せて停車した。落ち着くために、昨日から車に置き忘れていた飲みかけの麦茶を口にした。窓から入ってくる風は気持ちが良くて、辺りの景色は光るように美しい。
なんて世界は素晴らしいんだろう、綺麗なんだろう。そう感じるほどに、悲しみは深くなった。
その美しい世界の中に、たった一人取り残され、もう側にはばあちゃんはいない。
これは駄目だ、心行くまで泣こう、と、腹をくくった。目を閉じて涙が流れるにまかせると、瞼の裏で、生前のばあちゃんの好い部分ばかりが蘇った。
**
落ち着きを取り戻した時、もう三十分ほど過ぎていた。
喉が少し痛み、まぶたはずっしりと重かった。
幸い道は空いており、車は一台も通らない。
路駐したままでも構わないだろうと思い、車から出てみた。むわっと鼻をつく草の匂いと、さあさあと勢いの良い川の水の音。鳥が賑やかに囀り、思った以上にそこは「山」だった。
アスファルトのセンターラインが妙に白く浮き上がっている。
ここを通る車など、滅多にないのかもしれない。
向こう側にガードレールがある。土手の下に山から伝わる水の流れがあるはずだった。
むれむれと茂るシダ植物やカラスノエンドウの緑の向こう側に、流れのはやい川が横たわる。夏には鮎の釣り場になる場所だ。
少し風景でも見よう、と、思った。
道を横切り、白いガードレールに寄った時、穏やかな会話が聞こえた気がした。あれっと耳を澄ますと、確かにすぐ側で誰かが喋っていた。
きょろきょろ見回すと、ガードレールに寄り掛かるように、自転車が三台、放置されている。学生が通学時に乗るような自転車だった。
「そっちの土もね」
「川の水は採取したよ」
男の子と女の子の話し声。
土手の下のほうに人がいるようだ。
鮎釣りの解禁はまだだし、こんな場所に誰がいるのだろう。気になってガードレールから身を乗り出した。
青やハニーイエローの背中が緑の中で見え隠れしている。
何人いるのだろう、背格好からして、高校生くらいか。ウエストポーチを着けたり、ナップザックをかついだりしている。
瓶や試験管に土や水を採取し、光にすかしたり、荷物に入れたり、ノートになにか書き込んだりしていた。
その中に、三宅あつしの姿を認めた。
あつしは水を瓶に詰め、袋にそのへんの苔を採取している。ゆっくりとおおらかな動きで作業をしており、その動作は物慣れた感じがした。
高校の自然科学部の活動か。
地味な部活だろうに、こんなに部員がいるとは。
女の子が二人いるが、そのどちらかが、お寺の子に違いない。
あつしがわたしの実の弟だなんて妙な気がしたが、仕草や声を観察していると、血の深い部分が騒いだ。
ガードレールに頬杖をついて眺めていたら、ふいに隣に人が来て、ガードレールに細い手を置いた。誰だろうと見上げた瞬間――今日はなんという日なのだろう――心臓がドクンと音を立て、息が詰まりかけた。
伸びた髪の毛をひとつでまとめ、部屋着の上に薄いコートを纏った女性の横顔は、忌まわしいほどに懐かしい。
青い顔をし、眉をしかめ、土手の下を見つめ、女性は息を切らしていた。
「あつし」
と、彼女は叫び、その声を聴いた瞬間、ああ間違いない、と、わたしは確信した。
最初のコメントを投稿しよう!