4/5
前へ
/36ページ
次へ
 障子を開いた時、よく外が見えるあたたかい棚に、ばあちゃんの骨は安置された。住職がお経をあげ、その背後で手を合わせながら、ああこれでばあちゃんともさよならだ、と、思った。  毎月の支払の事や、法要のことなどを聞き、手続きは順調に済んだ。  このあいだと同じようにお寺の奥さんが草むしりをして、その周りを猫がまとわりついている。車に乗った時、奥さんは振り向いて丸い顔でにっこり笑った。  住職もそうだけれど、このお寺は全体的に「大福」な感じだった。丸くてけち臭くない。あんこぎっしり。    なにか違和感を感じて車の扉を開いた時、ちょっと振り向いた。  この間見た時にはなかった自転車が玄関の横に停まっている。高校生の娘さんのものに間違いなさそうだ。  あれっ、今日は平日だったはず、と首を傾げた。  風邪でもひいてお休みしたのだろうか、だけど家の中に、住職と奥さん以外いる気配はなかったもんなあ。一瞬考えたが、詮索する気もなくて、車に乗った。  空は青くすがすがしい。  車は寺の敷地を出て、坂道に出る。  (これからどうしよう)  車窓を開くと、さあさあと水の音が聞こえる。前髪は風になぶられ、頼りなく目の前を踊った。  家族のないわたしは根なし草のように、アパートからアパートへ移って生きてゆくのだろうか。  その旅には終わりはあるのだろうか。  目が痛いと思ったら、わたしは泣いていたのだった。  まさか泣くとは思っておらず、自分で自分の涙に驚愕した。  これはまずい、困った。  次々に流れてくる涙のせいでフロントガラスがぼやける。仕方なく、坂道の端に車を寄せて停車した。落ち着くために、昨日から車に置き忘れていた飲みかけの麦茶を口にした。窓から入ってくる風は気持ちが良くて、辺りの景色は光るように美しい。  なんて世界は素晴らしいんだろう、綺麗なんだろう。そう感じるほどに、悲しみは深くなった。  その美しい世界の中に、たった一人取り残され、もう側にはばあちゃんはいない。  これは駄目だ、心行くまで泣こう、と、腹をくくった。目を閉じて涙が流れるにまかせると、瞼の裏で、生前のばあちゃんの好い部分ばかりが蘇った。   **  落ち着きを取り戻した時、もう三十分ほど過ぎていた。  喉が少し痛み、まぶたはずっしりと重かった。  幸い道は空いており、車は一台も通らない。  路駐したままでも構わないだろうと思い、車から出てみた。むわっと鼻をつく草の匂いと、さあさあと勢いの良い川の水の音。鳥が賑やかに囀り、思った以上にそこは「山」だった。  アスファルトのセンターラインが妙に白く浮き上がっている。  ここを通る車など、滅多にないのかもしれない。  向こう側にガードレールがある。土手の下に山から伝わる水の流れがあるはずだった。  むれむれと茂るシダ植物やカラスノエンドウの緑の向こう側に、流れのはやい川が横たわる。夏には鮎の釣り場になる場所だ。  少し風景でも見よう、と、思った。  道を横切り、白いガードレールに寄った時、穏やかな会話が聞こえた気がした。あれっと耳を澄ますと、確かにすぐ側で誰かが喋っていた。  きょろきょろ見回すと、ガードレールに寄り掛かるように、自転車が三台、放置されている。学生が通学時に乗るような自転車だった。  「そっちの土もね」  「川の水は採取したよ」  男の子と女の子の話し声。  土手の下のほうに人がいるようだ。  鮎釣りの解禁はまだだし、こんな場所に誰がいるのだろう。気になってガードレールから身を乗り出した。  青やハニーイエローの背中が緑の中で見え隠れしている。  何人いるのだろう、背格好からして、高校生くらいか。ウエストポーチを着けたり、ナップザックをかついだりしている。  瓶や試験管に土や水を採取し、光にすかしたり、荷物に入れたり、ノートになにか書き込んだりしていた。  その中に、三宅あつしの姿を認めた。  あつしは水を瓶に詰め、袋にそのへんの苔を採取している。ゆっくりとおおらかな動きで作業をしており、その動作は物慣れた感じがした。  高校の自然科学部の活動か。  地味な部活だろうに、こんなに部員がいるとは。  女の子が二人いるが、そのどちらかが、お寺の子に違いない。    あつしがわたしの実の弟だなんて妙な気がしたが、仕草や声を観察していると、血の深い部分が騒いだ。  ガードレールに頬杖をついて眺めていたら、ふいに隣に人が来て、ガードレールに細い手を置いた。誰だろうと見上げた瞬間――今日はなんという日なのだろう――心臓がドクンと音を立て、息が詰まりかけた。  伸びた髪の毛をひとつでまとめ、部屋着の上に薄いコートを纏った女性の横顔は、忌まわしいほどに懐かしい。  青い顔をし、眉をしかめ、土手の下を見つめ、女性は息を切らしていた。  「あつし」  と、彼女は叫び、その声を聴いた瞬間、ああ間違いない、と、わたしは確信した。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加