5/5
前へ
/39ページ
次へ
 あつし、と名前を呼ばれ、三宅あつしは立ち上がってガードレールを見上げた。  部員たちは皆、こちらを振り向いた。  「じゃあ、俺いくから」  「うん」  「部室で分析して記録しておくから、都合ついたら来なよ」  小さい声があぶくのように優しく聞こえた。  三宅あつしは友達たちに手を振ると、カモシカが崖をかけあがるように土手を上って来て、雑草の中からにょきんと体を出した。  「あれ」  と、三宅あつしはわたしに気づき、ちょっと会釈した。わたしも釣られて会釈した。  あつしの母親はその様子をもの言いたげに眺めている。よく見ると、彼女のコートはあちこち擦り切れていて、靴もぼろぼろだった。  時間よ、と、女性は言い、まじまじとわたしを見た。  「母さん、この人と知り合い」  と、あつしは言い、彼の母親は頼りなげに「いいえ」と言った。  この間、お庭の土を採取させてもらったんだよ、また採取させてもらいに行く予定なんだよ。  あつしはそう言った。    「この近くの町営住宅に住んでるんです。これは母です」  と、あつしは言った。    さあさあと川が流れ、水音に混じって高校生たちの話し声が届いた。  意味深な沈黙が流れ、あつしはちょっと首を傾げた。  「えっと、お名前は――さつきさん」  と、あつしは言った。  さつき、と、母親は口の中で呟き、眉間にしわを寄せ、目を見開いた。  この近くの町営住宅に。    一瞬、わたしはどうするか迷った。  「さつき・・・・・・」  と、母が細い声で呟き、その具合の悪そうな仕草で手を伸ばした時、ぷつと糸が切れたように、わたしは逃げた。  逃げて、どうなるわけでもないのに。  車に乗り、アクセルを踏みながら、心臓はばくばくと走り続けている。  母と、巡り合ってしまった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加