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一
「うちに帰りたい」
群青色の世界は常に揺れている。上下左右もない。自由自在に動くことができる。そこには前も後ろもなく、ただ自分という点が存在するだけだ。
世界の境界はふわふわと揺蕩い、遙か彼方の光が歪な形で届いた。
うちに帰りたい。呟きは小さな玉と化す。ぱちんぱちんと音が聞こえそうなはじけ方で、わたしの願いは綺麗に消えた。
ぱちん。
(ああ、あぶく)
群青色の世界の謎は解けた。ここは。
(水の、中)
その時けたたましく目覚ましが鳴り、問答無用の勢いで現実が押し寄せた。
**
近頃、水の夢を見る。
布団の中で服を着替え、体を竦めながら台所に向かう。雨戸のせいで光はささず、うちの中は暗かった。
時計は朝の六時を指しており、今から湯を沸かし、食事をしてから仕事に向かうには、ちょうど良い時刻だ。
やかんをコンロにかけ、閑散とした台所を見回す。流しの前のすりガラスから、寒そうな朝日が忍び込んでおり、しおれかけたシクラメンを照らしていた。
埃が乗った出窓には、古い雑巾が固まっている。
ぶうん。
古い冷蔵庫が唸り声をあげていた。
この時間が、一番、良い。
しゅうしゅう言い始めたやかんの火を止める。
年末、ばあちゃんが急逝してから、いろいろな部分がいきなり変化した。通夜やら葬式やら一連のことが終われば、また日常のレールに戻る、寂しくなるだけだと思っていたが、大間違いだった。人が死ぬとは、つまり、あらゆるものの縁が切れることで、唐突にわたしは、広くて荒々しい現実の中に置き去りにされたのだった。
人は生きているからこそ、ある程度自分の思い通りに周囲をねじ伏せることができる。死んでしまったら、いくら生前、一所懸命に周りにお願いしていたって、誰も言う事なんか聞かない。
例えば、この家だ。
わたしは今まで、ばあちゃんの持ち家だとばかり思ってきた。ばあちゃん自身も、自分の持ち物だと思い込んでいた節がある。
だから、この状況に最も驚いているのは、残されたわたしよりも、草葉の陰のばあちゃんかもしれない。
「持ち物は、土地、建物、銀行のお金、ほか、こまごまとした品の全てを、さつきちゃんに譲るからね。遺言にもちゃんとそう書いておくからね」
ばあちゃんは口癖のように言っていた。
実際、死んでからタンスの中から出てきた「ゆいごん書」にも、知り合いの弁護士が預かってくれていた「遺言書」にも、ばあちゃんの持ち物は全てわたしの物になることが示されている。
ところが、ばあちゃんの死後まもなく、遠い親戚だというおじさんがやって来て、この家が借家だったことを告げた。家賃などは取らず、自分の家のように使ってもらっていたのは、ただ好意によるところだった。ばあちゃんが亡くなり、残されたのは、なんの血のつながりもない、あかの他人のわたしだけ。いい加減、この機会に、この土地を引き取りたいのだ、と、おじさんは静かに言った。
黒いコートを纏ったおじさんは足が不自由だった。タクシーを表に待たせてあり、あまり時間が取れないらしかった。
「証書もあるよ。あんたには申し訳ないんだけど、俺も自分の財産を、はやくきちんとしておきたいから」
そう言ったおじさんは、確かに顔色が悪く、ひうひうと喘鳴交じりの息をしていた。子供や孫がたくさんいるのだと、おじさんは言った。
あまり時間がない中で、せめて自分の事情を説明し、わたしに納得してもらおうという気遣いが見えた。
誰も、好き好んで、寄る辺ないみなしごを窮地に追いやるなど、したくないのだ。
「おじさん、温かくした方がいい」
と、わたしは言い、ばあちゃんの遺品の古い毛糸の首巻を持ってきた。
おじさんは目を細めてそれを受け取ると、自分の連絡先のメモを玄関の板の上に置いた。がらりと引き戸をあけた瞬間、猛吹雪の景色が見え、家の中にまで粉雪が吹き込んだ。
それは、まだばあちゃんの葬式から何日も経たない時。
お骨が置かれた座敷は線香臭く、家じゅうが喪の気配に支配されていたけれど、おじさんという現実からの使者のおかげで、冥界の匂いは一瞬で消えた。
線香の匂いに満ちた生ぬるい空間で、ただぼうっとしていたわたしに、凍てつく吹雪の外の世界が顔を覗かせた。
そういうわけで、荷物が片付き、次の住処が見つかり次第、この家を引き払うことに決まった。
厳重な期限を決めなかったのは、おじさんのせめてもの思いやりだろう。今のわたしは、見知らぬ他人の好意にすがり、仮の居場所に腰を落ち着けているだけなのだ。
仏壇はごく小さいものだ。
その他、古いたんすや、服や、雑多な物が、後から後から出てきた。遺品分けをするような親戚は、ばあちゃんにはいなかった。葬式も、わたしと、ばあちゃんの姉妹だとかいう、見たことのないおばあさんだけが参列した。
そのおばあさんは白内障でほとんど目が見えず、お嫁さんらしい人が付き添っていた。おばあさんにせっつかれて、お嫁さんが嫌そうに香典を差し出した。「一万円入れてくれたよね」と、おばあさんは何度も確認し、お嫁さんは機械的に「入れました入れました」と言っていた。
その後、二人はすごい勢いでタクシーに乗って帰って行った。あとから香典袋を開いてみたら、くちゃくちゃの千円札が押し込まれていた。
そのほかの身寄りも、ばあちゃんにはなさそうだ。大してものを持たず、ごくシンプルに生きてきたばあちゃんだけど、蓋を開いてみたら、ごちゃごちゃと地層のように物が出てくる。本当は血縁者に来てもらい、形見分けを手伝ってもらうべきなのだろうけれど、こんな状態じゃ、誰もばあちゃんの生前の意志など、考えてくれそうもない。
今年、新人入社したばかりの「山野苑」は、ハードな職場ではあったけれど、福利厚生は比較的しっかりしている。おかげで忌引きは一週間もらえたのだが、その間に全部が片付くはずもなかった。わんさか出てくる古い物を、いざ処分する段になったら途方に暮れた。ばあちゃんは物を買わない代わりに、いつまでも大事にとっておく人だったので、押し入れのダンボールの中身は、見覚えのある物ばかりだった。
小学三年の頃に引き取られて以来、ずっとばあちゃんと一緒に生活してきた。
こうしてみると、ばあちゃんは自分の物はほとんど買っていない。服も文具も本も何もかも、押し入れから出てくるのはわたしの物が多かった。
「ばあちゃん、こんな物まで取っておいたのか」
それを目の当たりにした瞬間から涙が止まらなくなり、片づけが進まないまま、時間だけが過ぎた。
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