レス・ゼアフォー・サプライ

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「コーヒー」 「は?」  その声が水音でかき消されていたので、恋顧は栓をひねり、シャワーの湯を止めて訊き返した。 「なんて?」 「あれ、間違えたん? ペットボトルの」  お前、シュガーレスは飲まん主義やって、いっつもそう言っとるやんか――そう言って、小首をかしげる。 「……ああ。そう。間違えたんだよ。飲むか?」 「もう飲んだわ」 「はやッ!」  目を剥いて、かなり高い位置にある想思の頭をはたく。 「いたっ」 「せめて訊けよ! ふつうに買ってきてたんだったらどうすんだよ、おまえ」 「それはないやろー。めちゃ甘ちゃんなんやし」  からからと、悪びれもせずに笑う。 「まあ、苦くて飲めなかったから、助かったけどさ。ほかのも、勝手に飲んだりするなよ?」  目を三角にする彼を、まあまあ、といさめる。 「結果オーライやん。……それにな」  手近にあったから履いたらしきホットパンツのポケットに、手を入れる。 「今日、お土産も買ってきとるから、許してもらえると思って」  ほら、チョコレートショップの話、したやろ。 ちっちゃいヤツやけど、買ってきたんや。  そう言って、個包装の大きめのチョコレートをひとつだけ、取り出す。キャンディのように、丸っこい形をした生トリュフ。  かわいいデザインの包み紙を、大きな手で扱いにくそうに、ぴりり、と破る。あまい独特の香りが、浴室内に充満する。広げた手に、ちんまりと座るそれを見、恋顧がきらきらと目を輝かせた。 「おお、うまそうだな……あ!」 「んふふ」  その目の前で自分の口に放り込み、ころころ、と転がし始めた。 「うん。うまいわ」  からりとした口ぶりで、そんな風にのたまう。 「自分で食ってんじゃねえか……おれにもよこせよ」  恋顧が手を伸ばすと、その手をつかみ、ぐい、と引き寄せられる。ちいさく、あ、と発した声がもごもごとこもって聞こえなくなる。 「……」  ちいさく、息を吐き出す。そのわずかに開いた唇から、重厚なカカオのねっとりとしたあまさの余韻。 「キザなことするな。……馬鹿」 「んふふ」  想思がまた、含み笑いをする。 「これで、すこしは苦いの、マシになった?」 「おー。わりと」  苦笑して、応える。高い背をもう一度かがめ、今度は頰に、いとしげに、あまやかな香をともないながら、触れる。 「おやすみぃ」  ひらひらと手を振って、去っていく。  まだ温度の残る頰と唇に、ゆっくりと順に手を持っていきながら、苦いコーヒーもたまになら、悪くないかもな、と思う恋顧だった。
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