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愛川恋顧は自室で、今しがた自販機で買ってきたコーヒーを開栓した。
こく、と一口、飲み下すと、日焼けしていないしろい喉がかすかに、動く。喉仏のあたりに手をやり、うへぇ、と顔をしかめた。
「にがッ。……ミスったな」
五〇〇ミリリットル入りのペットボトル。そのラベルにはちいさく、「無糖」と書かれている。
「おれ、甘いのしか飲めないのに」
ため息をつき、しっかりと栓を閉めたボトルを軽く、揺する。まだなみなみ残った液体が、中でちゃぷちゃぷ、と音を立てた。
「どうしよ。捨てるわけにもなあ……。せっかく買ったんだから、もったいないし」
玄関のドアが解錠される音。彼はそちらを振り返り、そだ、訊いてみよ、とつぶやいた。
のすッ、のす、と気だるそうな足音が、数歩分続く。部屋のドアが開いた。
「よお。ただいま」
そんな無遠慮なあいさつとともに、彼の同居人――新惟想思が、開け放ったドアから入室してきた。
「おかえり」
恋顧が言うと、口もとのシャープな黒マスクをつまんで下げ、に、と微笑む。鋭利に尖った八重歯が、ちらりと顔を見せた。
「……どこ行ってたんだ」
「散歩」
「どこを」
「駅の本屋」
はあ、と恋顧がうなずく。
「めずらしいな。本とか、あんま読まないのに」
「ん。そのとなりでな、期間限定のチョコレートショップ出てたから。様子見ついでに」
「仕事人間だなあ。もうすぐ首になるのに」
「ハハハ」
空笑いし、想思がどっこいしょ、とおじさんくさいかけ声を口に出しながら、恋顧の斜め後ろに座る。彼を挟むように長い脚を投げ出し、身体に腕を回す。
「……その気?」
腰に目をやり、恋顧が問うた。やわらかくうなずく想思。
「まあ、少しは」
「そうか。……あした一限あるから、ほどほどにしろよな」
「オーケイ。善処する」
そう言って手加減してくれた覚えがない。
横を見る。もうちょっと首を酷使すれば、耳の三連シルバーピアスを食める距離。
腰まで垂れたふわふわのポニーテールを、なんとはなしにくしけずってみる。
「……シャンプー、そろそろなくなりそうだ」
「んー。あした買いに行くか」
猫を愛玩するように、腕のなかの彼の頭を撫でさすりながら、適当に想思が応える。
疲れているときの、……そして、はやくなぐさめてほしいときの、彼固有のサインだった。
「……はいはい」
恋顧が大儀そうに手を伸ばし、天井からぶら下がった電灯の紐をひっぱる。
暗転。
しばらく、水音と、たがいの発する声だけが、部屋に残る。
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