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【1.王子の妃候補】
王宮の舞踏会で、壁の花上等!と存在感を消して、アレリアは地味に静かに突っ立っていた。
壁の花? いや、花だなんておこがましい。壁の模様……いや、染みくらいかしら。
とにかく、目立ってはいけない。美しく装うこともダメ。誰かと楽しそうにおしゃべりとかもしちゃダメだ。ダンスなんて以ての外。
絶対に視界に入りたくないのだ。「あれがカッチェス家の令嬢?」だなんて、認識されては困る!
休める理由があるならできるだけ夜会は出ないようにしているが、さすがに全部の夜会を断るほど無礼な真似もできない……。最低限出席が必要な夜会には顔を出すが、失礼だ何だと言われても、とにかく最低限の時間を隅っこでやり過ごし、そそくさと帰る。それが、夜会毎のミッション。
しかし、今日は違った。いきなりこの国の王子ロスダンが、肩までストレートの見事な金髪をさらさらと輝かせて近づいてきた。見目麗しい王子である。
アレリアはヤバいと思った。目を合わせてはいけない。急いで俯く。
内心ヒヤヒヤしていた。背筋を冷や汗が流れる。
早く通り過ぎてくれ、と心の中で祈るばかり。
しかし、そんな祈りは通じなかった。
「君がカッチェス侯爵家の令嬢?」
ロスダン王子は美しく聞き取りやすい声で優しく尋ねたのだった。
相手はロスダン王子。無視するわけにもいかず、アレリアは下を向いたまま小さくため息をついた。
誰かに聞いたのか? まあ、少し前まではアレリアも普通に社交界に出ていたので、私がカッチェス侯爵の娘だということは、知っている人は知っている。隠し通せるものではない。
名指しで来られた以上、返事はしないといけないだろう。
「は、はーい、そうですけどぉ~?」
アレリアはわざとヘラヘラした締まりのない笑顔を作って、上擦った高い声で返事をした。
王子は、隅っこで大人しそうにしていた地味な令嬢が、いきなりヘラヘラと笑いかけてきたので少し驚いた。
しかし、そこで露骨に顔を顰めるような真似はしない。
「君と話したいと思っていた。会えて嬉しいよ」
王子は人懐っこい笑顔を惜しみなくアレリアに投げかけたのだった。
こんな笑顔を向けられたらどんな女性だって胸がときめくだろう。王子は王国中の令嬢たちに大人気だった。
しかし、もちろんアレリアは話したくなかった。とはいえ、話したくないなどと面と向かって言うわけにもいかない。
アレリアは「この女は無しだな」と思ってもらえるように、
「恐縮で~す」
とぺろっと舌を出して、二ヘラっと笑った。
「……。えーと」
さすがに調子の狂った王子は、戸惑いながらアレリアの顔をまじまじと見つめた。
思っていたのと違う、と顔にしっかり書いてある。
よし、この調子。
アレリアはもう少し不気味に見えるように、何も言わずにニヤニヤと口の端を歪めて、王子を眺め続けていた。
「あ、えっと、ダンスとかいかが」
王子はスムーズな会話は難しいと判断したのか、気を取り直してダンスの提案をしてみた。
「まああ~っ」
アレリアは素っ頓狂な声を上げた。
ロスダン王子が令嬢にダンスを申し込んでいるというので、周囲の客たちは興味津々で二人を眺めていたのだが、アレリアのおよそ慎み深い令嬢とは違う奇声にびくっとなった。
王子は思わず周囲の目が気になったが、紳士的振る舞いを忘れはしないようで、にっこり笑顔を張り付けたまま、アレリアに手を差し伸べた。そして、アレリアの手をそっと取ろうとした。
アレリアは弾かれるように思わず手を引っ込めながら、
「あの~、なんで私にダンスを~?」
と無邪気を装い首を傾げて見せた。
まさか手を引っ込められるとは思わず驚いた王子だったが、
「君に興味惹かれたからだよ」
と急いで態度を取り繕って言う。
「すみません、私は見た目もよくありませんし、ダンスも不得意で。王子様のお相手は務まりませんわぁ~」
アレリアは周囲に聞こえるようにできるだけ大きな声で、早口ではっきりと答えた。
「え? 僕の誘いを断るのかい? ここは慎み深く僕の提案を素直に喜ぶべきじゃないかな?」
王子はあくまでも柔らかい喋り方だったが、やはり不愉快だったのだろう、内容の方は少し押し付けがましくなってきていた。
しかし、そんなことで流されるアレリアでもない。
「ロスダン王子様、私は自分のことをよく分かっているつもりですの! こんなちょっと頭の足りない女に王子様が声をかける理由がさっぱりですわぁ」
と大袈裟に首を横に振って言った。
ロスダン王子は呆れてわざとらしくため息をついた。
「君しぶといね。それって僕を拒否してるってことかな? さすがに僕だって分かるよ」
それでもアレリアは、
「だってぇ、他に教養深くて美しく、身分も高い令嬢がたっくさんいますでしょう? なんで私なんですか? 普通なら『変な女、関わり合いになるよそう』となるでしょうけど、あなたは面倒くさそうな顔をしている割には全然引こうとしないんですもの。どういったわけですのよぅ?」
とまくし立てる。
面倒くさそうな顔と言われて、王子はぎくっとして慌ててまた麗しい笑顔を作った。
そして、勿体つけたように、
「そうだね、目が覚めるように美しい令嬢も、立ち居振る舞いにほれぼれとするような令嬢も、そりゃいるよ。でも僕は別にそんな女性ばっかりが好きなわけじゃないんだから。君は身分がしっかりしているのに少し変わってる。僕の言葉にも簡単に靡かない。面白いと思ってもいいんじゃない? どう? この理由なら満足?」
と言ってのけた。
「嘘ですよね」
表情を変えずにさらりとアレリアは言うと、ちょうどアレリアの横を通ろうとした、ごてごてに着飾った令嬢の足をわざとぎゅっと踏んだ。
「きゃああっ」
普段から悲鳴の練習をしているのか、その令嬢は可愛らしい悲鳴を上げると、美しい所作で体勢を崩した。
こけるっ!と思ったロスダン王子が反射的にその令嬢の体をさっと支え、令嬢は王子の腕にすっぽりと包まれる形になった。
「まあっ! ロスダン王子!」
令嬢の目がきらりと光って、一瞬で潤み、令嬢はそのまま王子にしなだれかかる。
「あちゃあ~足を踏んでしまいました。申し訳ありませんわっ」
とアレリアがたいして申し訳なく思ってない口調で言うと、足を踏まれた令嬢はアレリアの方をキッと睨んで、
「許してあげるから、あんたみたいなブスさっさとひっこんでなさいよ、王子と二人っきりにして頂戴」
と言った。
てっきりロスダン王子もそのつもりなのかと、令嬢が王子の顔をうっとりと見上げようとすると、王子の冷たい視線にぶつかった。
「え?」
王子は不愉快そうに眉を顰めていて、
「今こちらの令嬢にダンスを申し込んでいるのだ」
と足を踏まれた令嬢に静かに言った。
足を踏まれた令嬢は目を白黒させながら、それでも、
「え? この令嬢にダンスを? この人私の足を踏んだんですのよ。王子様も踏まれちゃいます。ささ、どうぞ私と一緒に」
ともう少し粘ってみたが、ロスダン王子が、
「分からない人だね」
と令嬢の体を放し、今度は強引にアレリアの手を引いて舞踏場の方へ引っ張って行こうとするので、足を踏まれた令嬢はポカンとした。
アレリアの方はいきなり腕を掴まれて驚き、思惑と違ったので唇を噛んだ。当初の計画では、自分が足を踏んだ令嬢にロスダン王子を押し付けて、自分は立ち去ろうと思っていたのだ。
しかし、このまま流されてダンスなどとんでもない。
アレリアは歩みを止めると王子の手を振り払い、ヘラヘラっと薄気味悪く笑って、お断りしますとひらひらと掌を振って見せた。
ロスダン王子はアレリアの奇怪で頑なな態度に、逆にすっかり覚悟を決めたようだった。
「正直に言おう。君を妃候補に考えている」
王子ははっきりと宣言した。
アレリアは心の中で青ざめたが、ここで王子のペースに乗ってはいけないと、
「あはははっ!」
とわざとらしく爆笑して見せ、
「またぁ、ご冗談を~。でもそんな突拍子もないご提案、冗談でも受けられませんわぁ」
とにべもなく断った。
アレリアは心の中じゃ大真面目、笑っていられる場合じゃなかったが、ヘラヘラふわふわ体を揺すってニコニコする。
王子の方は、なんとなくアレリアがわざとこんな態度をしているのではないかと疑い深い目をアレリアに向けている。
傍からはそうは見えないが、二人はしばらく無言のまま睨み合っていた。
しかし、ロスダン王子の連れの高位貴族の若者たちが、酔っぱらった様子で、
「ロスダン王子、探しましたよー」
と底抜けに明るい笑い声と共にやってきたので、ロスダン王子はハッと我に返ったようだった。
何も言わずにヘラヘラしたアレリアに軽く一礼すると、連れたちとその場を立ち去って行った。
アレリアは迷惑な男がいなくなってほっとした。
しかし、王子が『妃候補に考えている』と言ったことに強い危機感を感じていた。
妃? とんでもない!!
何のために不謹慎なブスを演じてきたと思っているの!
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