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そう。私は、読書のお陰で妻が生き生きしてきたことに喜びを感じる反面で、本に妻を取られたような気になっていたのだった。いつも片手間に私への返事をする妻。日中は足を引き摺りながらスーパーのレジ打ちのパートをしていたから、家にいる時間くらい好きなことをしたいのも分かってたしそうして欲しいとも思っていたのだが、それを心から許容はできていなかったという自分を恥ずかしくも思っていた。だが、人間分かっていても直せないことはあるものだ。心というのはとても難解で、こうした方がいいと分かっていることでも言うことを聞かないものなのだと感じさせられていた。理性的で知性のある人間になれたら、どれほど良かったことか。私はいつまで経っても大人になり切れていなかったのかもしれない。
私たちは特に大きな喧嘩もしてこなかった。波風のない、穏やかな夫婦生活を送ってきたように思う。それは学生時代からお互いを知っていたことが多分に影響していたような気がする。そして、お互い諍いやいがみ合いを嫌っていたこともあるだろう。恐れていたと言ってもいい。喧嘩などしてしまったら、二度と元には戻れないような、そんなイメージを持っていた。妻は分からないが、少なくとも私はそうだった。どちらかと言うと昔気質の私だが怒ることなどは滅多になく、それは本当に相当なことなのだからそのイメージは間違っていなかったように思うが。
妻が欲しがって飼うことになったノルウェージャンフォレストキャットのデイジーは、たしかに値は張ったが、それ以上にとても人懐っこく賢い子だった。その長い毛に覆われた愛くるしい我が子は、妻が一人のとき、私が一人のとき、二人が一緒に居るとき、いつでもお金には代えられぬ癒しを私たちに与えてくれた。長毛種は掃除が大変だなどと聞いていたが、妻が「それは私の仕事です」ときっぱり言ったのが決定打で飼うことを決めたわけだが、あの選択を私は生涯後悔しないだろう。
そんなデイジーは、妻亡き後も私を唯一癒してくれるが、心の穴を埋めるところまではいかないのが苦しいところである。だが、猫で埋まる程度の穴しか開かないのなら、それは妻にあまりにも申し訳がないというものだろう。そんなものでは埋まらない絆が、私たちにはあったのだ。それは、彼女を亡くした今も続いていると思っている。今でも、妻の笑顔が、声が、気配が、そこかしこに散りばめられているような心地がしていた。それでいて、空虚な場所に一人取り残されたような感覚はずっと付いて回った。
妻が旅立った瞬間は、どうしても現実感が湧かずに私は病院のベッドで妻の手をただ握りしめるままだった。お通夜に参列してくれる人々の言葉を聞いているときも上の空のままだったし、葬儀はなんだか異様に儀式めいて見えて、喪主としての言葉を口に出してみてもやはり現実感が湧いてはこなかった。
かくして、私は妻の死に涙一つ流さなかった冷たい夫として、もしくは凛として立つ旦那として映ったかもしれないが、現実はそうではなかった。もぬけの殻になった私は、仕事もままならない人間になり下がったのだ。使い道などどこにも見当たらない保険金だけを受け取って、お金よりもはるかに大切だったものを喪ってしまったのだった。そんな現実と向き合いながら、やっと重たい腰を上げて遺品整理を始めた次第であった。
妻の荷物は質素なものだった。昔の人は物を捨てられない人が多いなどという人もいるけれど、妻は物を持たないことに重きを置いている人だった。そんな彼女が唯一溢れんばかりに持っていたものが、やはり本だった。その量は本当に目を見張るもので、まじまじと見て改めて驚く始末だった。壁一面を埋め尽くすように並んだ本棚。それでも仕舞い切れずに床に積まれた本の山たち。二十五年ほどで彼女が読み溜めた本が、そこには溢れて零れていたのである。こんなにあっても致し方ない、と売ってしまおうか迷って一旦先延ばしにしたままになっている。私はこれをどうすべきなのだろうか。誰かに相談したくとも、相談できる相手は誰一人としていなかった。
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