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本棚除けば調度品は本当に限られたものだった。ドレッサーすらなかったのだ。化粧をしないわけではなかったが、それは部屋の机で済ませるから良いということだった。服に合わせてアクセサリーを変えるほども持っていなかった。結婚指輪、ダイヤのネックレスとピアス、真珠のネックレスとピアス。それくらいなものだったのだ。必要に駆られない限り、彼女はその身を装飾品で飾ることをしなかった。必要なものはいつだって、身一つだったのかもしれない。シンプルを愛する人だった。
服は少ないが、その代わり厳選された彼女のお気に入りのもので揃っていた。一緒に散歩に出かけるとき、決まって穿いていた動きやすいらしい見た目は洗練された美しさのあるストレッチパンツ。二人の記念日や特別な日などによく着ていたワンピース。私が誕生日にプレゼントした、ブランド物のパンツスーツ。柄は薄らチェックが入っている。全部、なんどもなんども見たことのあるその服たちも、やはり手放すことができずに私は途方に暮れてしまった。遺品の整理なんてできるわけないじゃないか。そう思ってしまった。
妻が大好きだったのだ。大好き――そう言ってしまうと、なんだか薄っぺらく感じてしまうのはなぜだろうか。大切だったのだ。本当に可愛い人だった。だんだんと薄く小さくなっていく掌も、胸が痛くなると同時にそれでもやはり愛おしかった。私がそんなに背が大きい方ではなかったものだから、目線はそんなに変わらなかった。そんな妻との物理的距離感は、心の距離と比例していたんじゃないかと思う。
そんなことを考え込んでいると、不意に、頭上からデイジーが降ってきた。どうやら本棚の上にいたらしい。ノルウェージャンフォレストキャットは猫の中でも特に高いところに上るのが好きな種類なのだと聞いたことがあるが本当だろうか。高いところから周囲を観察するのが好きというその性質は、私のように達観して物事を見られない者からするととても羨ましい習性といえる。
ずっと途方に暮れて、妻に思いを馳せて下を向いていた私は、突然現れたデイジーの存在に驚いてしまった。床に積んであった本が、デイジーの着地場に使われて一山崩れる。
「なんだ、そこにいたのか」
そう漏らすと、私はデイジーを抱き寄せた。すると、デイジーがいたその場所に転がっていた本に目がいった。
「これは……」
それは、妻が本を読むことを始めて少し経った頃、私に薦めてくれた本だった。当時の私は、特に本に対する嫉妬心が強くあり、妻からの推薦の言葉に内心腹を立てて無下にしてしまったのだった。
「あなた、こんな本があるの、知ってる?」
そう言って、妻は私に抽象画のようなものが描かれた本を差し出していた。
「私は本は読まないと言っているだろう」
頭ごなしに私はその言葉を遮断した。妻がそこでどんな顔をしたのか、今はもう思い出せない。それでも、頑なに薦めようとしたのが分かるのは、私が本など読まないことを彼女がもうとっくに知っていたからだった。幾度か本の話をされたときに、私は不機嫌顔で「本など読まない」と言ってきているのだから。
本質的に本が嫌いなわけではなかった。ただ、忙しさにかまけて読んでこなかっただけだ。かまけるというのもおかしな話ではある。私は社会人になって、一度として読書をしたいと思ったことなどなかったのだから。仕事関係の書類以外で文字を読むことなど、ないに等しかった。だから妻のように、物語の世界にどっぷり浸かるようなことは、とうの昔に卒業してしまったのだった。
あれは二十年も前のことになるのだが、私はそれを覚えている。というのも、無下にしたはずのその本を、妻は当分の間テーブルの上に置いたままにしてあったのだ。普段、物が整頓されていないことを嫌がる妻にしては珍しいことだった。
そんなに、読んでほしかったのだろうか。今更になって、そんな思いが沸々とこみ上げてきた。あれは、妻なりの抵抗だったのかもしれない。当時の私はすこしも気付くことはなかったのだけれど。
本など読んだのはいつが最後だっただろう、と思うほどに昔の話だった。もしかしたら学生時代になるのではないだろうか。社会人になってから仕事を覚えることに必死になり、初めて部下を持ったときはそれがなんだか嬉しく部下を飲みに連れ出しては帰りが遅くなり、妻との付き合いも進み結婚をして、気付けば役職が付いて。それはとてもよくできた出世ストーリーのようだった。
子供だけはできなかった。本当は、今でいう妊活に不妊治療にと、手を尽くした時期はあった。けれど、思った以上に精神的負担も金銭的負担も大きく断念してしまったのだった。妻が欲しがっているのならと始めた不妊治療も、あんなに辛そうな妻を見ることになるとは思わなかった。見ているこちらまで気持ちが重たくなったものだった。しかし、今思えば子供が欲しかったのは私の方だったのかもしれない。先立つつもりだった私が妻に残せるものが子供だと思っていたし、単純に妻との子供が見てみたかった。そんなことはもう幻でしかないのだが、お陰で妻を独り占めできたと思えば悪くはなかったのかもしれない。残された私がもしできていたかもしれない子供に頼る生活になっていたことを想像すると、なんだか空恐ろしい感覚になった。
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