運命の書

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 この老爺は才気に溢れ、若くして起業し、一代で巨万の富を築いた。  グループ会社の会長を務める現在もその商才は現役であり、業績は右肩上がりである。  とはいえ齢は七〇。  老いに加え、死の恐怖に怯える日々である。  彼にはまだまだやりたいことが山ほどあった。  健康で長生きし、会社をもっともっと大きくしたいという想いがあった。  あるとき、彼は一冊の書物のうわさを聞いた。  恐ろしいうわさだった。  誰が作ったのかも分からない、いつから存在するのかも分からない、一冊の古びた書物。  判明しているのは、それが真っ黒な表紙であること。  紐解いた者に死をもたらす呪われた書物である、ということのみである。  かつて多くの収集家や権力者がその本を開いて死んだ。  漏れ伝わるところによると、その書物は開いた者の死を予言するのだという。  そして実際にそれを読んだ者はごく短時間で、その予言どおりの死を迎えるらしい。  詳細が語られないのは読んだ者の死後、予言を記したページが魔法のようにかき消えてしまうからだ。  虚実を調べようとうかつに本を開いたが最後、その者もまたこの世に別れを告げるはめになる。  不吉な書物だが、呪われることを恐れて誰もそれを焼こうとはしなかった。  人に死をもたらすことから、いつしか『命運の書』と呼ばれるようになったそれは、けして開かれることなく、人から人へと渡り歩いているという。 「探し出してほしい。金はいくらでも出そう」  老爺はそれに目をつけた。  彼は”死をもたらす”といううわさは、事実の誤った捉え方だと考えた。  死を予言されるということは、つまりあらかじめ死因が分かるのと同じだ、と解釈したのだ。  こう考えれば呪われた書物どころか、どんな名医もかなわない正確無比な診察をくださる稀覯本に成り代わる。 「命運の書などではない。死をもたらすどころか死から遠ざかる方法を教えてくれる運命の書ではないか」  死因さえ分かれば、あとはそうならないように生き方を変えればいい。  交通事故死なら外出時に細心の注意を払えばいいし、暗殺なら警備を厳重にすればいい。  そうして死の原因を遠ざけ続ければ、その書に記される予言も変わるハズである。  折を見てまた書を開き、”老衰”と予言されるまで生き方を改めていく。  これが書の真の価値なのだと老爺は思った。  
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