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弐
目を覚ますと見知らぬ天井。二度目ともなれば見知らぬ風景に驚きはしなくなった。起き上がってみると、どうやら人の姿はなく龍神を拝見した室でもないことに気が付く。冬華は龍神を思い出すと同時に頬に熱が集まった。
狐のお面に隠されて表情こそ分からぬが、細くも逞しい腕と胸板に男らしさを覚えずにはいられない。けれど、あの狐面の青年が龍神だというのなら、冬華は彼に酷いことをしなければならないと思うと心は落ち着くどころか沈んでいく。
いっそのこと湖に沈んで命が散ってしまった方が良かった。一目見ただけで分かってしまうほどに龍神は良い人、いや神である。彼は人に仇なす存在ではない。
「嗚呼、良かった。起きたんですね」
物思いに耽っていたので聞こえてきた声にびくりと肩が震える。声の主の方へと視線を動かせば、そこには蒼がいた。
「すみません、此処には女人はいないもので、着替えさせることができませんでした。その恰好では不便でしょうから、そちらをどうぞ」
目線を動かすと、蒼が指差す方には薄桜色の小袖が置かれていた。服にまで意識が回っていなかったが、確かにまだ白無垢のままである。
「外でお待ちしております」
蒼はお辞儀をして障子を閉めた。ほっと一息ついて白無垢を脱ぎ捨て小袖に手を通す。もう一度龍神と会うのだろうか。優しさに触れてしまうと決心が鈍る。優しさに触れてしまうと決心が鈍る。白無垢の内側に隠してある短刀を取り出して懐に仕舞う。もし着替えさせられていたら、この凶器に気づかれたに違いない。
心を、情を移すよりも早く事をなさなければ。
強く握りしめられた拳が生み出す痛みに顔を顰める。
本当にそれで良いの。
そう心の内で問いかける己を無視する。仕方がないのだ。この手でやらなければ村がどうなるか分からない。
嗚呼、本当に龍神の住処などなければ良かったのに。ただ贄として死すれば良かったのに。生きていることが嬉しくて苦しい。
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