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「……えっ、(つき)?」  震える声と共に、手から短刀が滑り落ちて茵に突き刺さった。艶やかな黒髪は腰まで流れ、長い睫毛に縁取られた群青色の瞳は冬華を静かに見つめる。彼を知っている、以前何処かで会った不思議な少年──月だ。 「(はな)」  その名で呼ぶ者は月しかいない。けれど、彼は人で、龍神ではないはずだ。それとも本当は龍神で正体を隠していたとでもいうのか。そもそも彼と会ったことは覚えているのに何処で会ったのかを思い出そうとすると、靄が掛かったように頭がぼんやりとする。  目の前にいる彼が生身であるのを確認しようと手を伸ばし、頬に触れる寸前に重苦しい圧を感じて動きを止めた。 「これだから人間などこの地に入れるべきではなかったのだ」  怒髪天を衝いた声が空気を震わせた。振り返ることさえできない程に冷え切った気配に身体が縮こまる。伸ばしかけた手を通り越して、気配の主は月と思われる青年の隣に膝をついた。色黒の手が肩を抱き寄せて、威嚇するように冬華を睨み付ける。 「失せろ」  冷たく光のない漆黒の双眸が冬華を射抜く。龍神の僕を名乗る蒼が龍神を傷つけようとした彼女を怒らぬはずがない。優しげな雰囲気は一切消え去り、凍えるような冷気を宿している。恐怖と後悔で動けずにいるとさらに空気は冷たくなった。 「失せろと言っているだろ!」  蒼が声を荒げると同時に彼の身体から眩い光が発せられ、光は徐々に大きくなり形を変えていく。襲い来る風圧に弾き飛ばされて身体が庭園へと投げ出された。そして、独りでに閉まる遣戸の隙間から見えたのは真っ黒な龍が月を守るようにとぐろを巻いている様だった。
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