マイネーム・イズ・サンペイ

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おらがあの娘を初めて見たのは、確か秋も深まって赤い葉っぱが田んぼにひらひらと舞い降りてきた頃だった。 おら、名は三平って言うけども、ま、村の連中は誰もが知るただの三男坊よ。 毎日田んぼやら畑やらで手を泥まみれにしながら、それでもどっかで 「このまんまじゃねえ」 って思ってるような、そんな時だった。 その日はたまたま親父の手伝いで役人んとこに顔出したんだが、そこで見たんだよ。 あの、金髪に青い目の異人の娘をよ。 なんて言ったっけ、そうそう、アビゲイル・モリスって名の娘さ。 初めて見た時、そりゃまるで狐に化かされたような感じだった。 なんだこの娘、絵本の中から抜け出てきた妖精みたいじゃねえかってな。 おら、その時何かが心ん中でカチッて音立てて、動き出したのが分かった。 おらは別に頭が良い方でもねえし、何か特別な才能があるわけでもねえ。 でも、ああいう人とどうしても話がしてみてえ。 そんで、おらの中で何かが変わるんじゃねえかって、そう思っちまったんだよ。 さて、そう思ったところで、おらはすぐに英語なんて分かるわけもねえ。 だが、そこであきらめねえのが三平だ。 村の役人の息子が持ってた西洋の本、そいつを借りるために何度も頭下げに行ったり、近くに住んでる坊さんがなんかしらの理由でちょっと英語ができるって聞いては、その坊さんに頼み込んで教えてもらったり。 おらが勉強なんてするのは生まれて初めてのことだったよ。 だけど、あの娘と話せるならば、いくらでもやるつもりだったんだ。 夜な夜な灯明をともして、字を覚えたり、坊さんがくれた音の出るあの奇妙な箱で発音の練習をしたり。 おら、どんどんハマっていったよ。あんなにしんどい勉強なのに、なんだか楽しいって思ったんだ。 何でだろうな、たぶんあの青い目の娘のことを思い浮かべてたからだ。 ある日、勇気を出してアビゲイルに話しかけたんだ。 最初はおっかなびっくりさ。 「ハロー、マイ、ネーム、イズ、サンペイ」 ってな。 あの時のこと、今でも覚えてる。 彼女の青い目がぱちくりしてから、ぷっと笑って「サンペイ?」って繰り返してくれたんだ。 それが、まあ嬉しくてよ。 おらはもう、その日からますます英語の勉強に力を入れたさ。 アビゲイルとの交流はおらにとって、まるで夢のような時間だった。 彼女はおらに色々教えてくれた。 アメリカの話、異国の風習、おらには想像もつかねえような話ばっかりで、毎回驚いてばっかりだった。 そして、だんだんとおらの英語も上達してきて、村の役人からは「通訳を頼みたい」なんてことも言われるようになったんだ。 ある時、幕府の役人が急におらのとこに来て、 「お前に頼みたいことがある」 なんて言うもんだから、おらもびっくりしたさ。 何でも、アビゲイルの父親が何か大事な話をするってことになって、それを通訳する役目をおらにやらせてえって話だった。 緊張したよ、そりゃあもう。 だが、これもアビゲイルと話したいって思ったからこそできることだ、って思ったら腹が据わった。 いざその日が来て、おらはなんとか通訳をやり遂げた。 話が終わった後、アビゲイルが 「サンペイ、あなたのおかげでとても助かったわ」 って言ってくれて、その時に彼女の手が少しだけおらの手に触れたんだ。 あの感触、まるで春の日差しのように暖かかったよ。 だが、それから事態は思わぬ方向に進んでいった。 どうやらアビゲイルの父親が幕府に伝えようとしていた話ってのが、思ったよりも大事で、なんだか幕府の偉い連中の中にはその話をよく思わねえ奴らがいたらしいんだ。 アビゲイルと彼女の家族が危険にさらされることになっちまった。 おらはいてもたってもいられず、夜中にこっそりアビゲイルの家に向かった。 そこには異人の屋敷を囲むようにして幕府の役人たちが詰めていた。 どうやら連中はアビゲイルたちを捕まえるつもりらしかった。 おらは息を殺しながら、裏口に回り込んで、使用人に事情を説明した。 彼らもアビゲイルの家族を守りたいって思ってたから、おらの頼みを聞いてくれて、なんとか屋敷の中に入れてもらったんだ。 その後はもう、あっという間だった。 おらはアビゲイルに会うと、 「今すぐ逃げるんだ」 とだけ伝えた。 彼女は驚いた顔をしたが、おらの真剣な様子を見てすぐにうなずいた。 家族全員を起こし、夜明け前の静けさの中を、おらたちは抜け道を使って屋敷から脱出したんだ。 途中、何度も見張りに見つかりそうになったが、アビゲイルの父親が英語で冷静に指示を出してくれたおかげで、何とか無事に村外れまで逃げ延びることができた。 あの時のおらは、自分でも信じられねえほど必死だったと思う。 逃げる途中で何度も心臓が止まりそうなくらい緊張したけれど、アビゲイルの手を引いて走り抜けた瞬間、まるでおらが本当に誰かを守れる存在になったような気がしたんだ。 そして、アビゲイルが去る日が来た。 おらたちは最後に、村のはずれで会ったんだ。 彼女は泣いてた。 「サンペイ、ありがとう。でも、もう会えないかもしれないね」 って。おらは何も言えなかった。 ただ「アビゲイル、元気でな」って、それしか言えなかった。 彼女が去った後、おらはしばらくの間、抜け殻みたいだったよ。 でも、ある日気づいたんだ。 おらには英語が残ってる、彼女と過ごした日々が残ってるって。 おらがあんなに血の滲むような努力をして身につけたもの、それが無駄じゃねえってことに。 そうしておらは今、通訳として生きてる。 いろんな国の人と話して、いろんな話を聞いてる。 アビゲイルとの恋は終わっちまったけど、あの時のおらの「話したい」って気持ちは、今もおらの中で生き続けてるんだ。 おらはきっと、これからも言葉を学び続けていくんだろうな、あの青い目の娘を思いながらさ。
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