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1. 張り込み
十一月の寒空の下、繁華街にある雑居ビルの脇に男が隠れるように立っていた。
男は携帯の振動に気づくと、急いで脇道に入る。そしてビルから視線を外さずに電話に出た。
「もしもし」
「彰? 今、忙しい?」
久しぶりに聞く母の声だった。
「仕事中なんだ。どうしたの? 何かあった?」
彼は母一人子一人の家庭で育った。中部地方の故郷に母を残して大学で東京に出た。週刊誌の記者になって七年、たまに電話で話すだけで滅多に顔を見せに帰れない。
「こんな遅くまで大変ね。声が聞きたかっただけだから、元気ならそれでいいのよ」
「元気だよ。母さんは?」
「うん、元気よ。お正月は帰って来られそう?」
「仕事が入らなければ、帰るよ」
「そう。楽しみにしてるね。身体に気を付けて」
電話は切れた。
これで何度目だろう。約束をしては仕事が入り、ここ数年帰省の約束が叶ったことはなかった。今年こそ──。
その時、対象のビルから複数の人が出てきて現実に戻る。待っていたように黒い車が二台、近付いてきてビルの前に停まった。
男二人の顔を確認し、それぞれの車に乗り込む様子や車のナンバーを写真に収めた。二台の車はホステスに見送られて走り去るが、その一台は外交官ナンバーだ。
成瀬彰は週刊明朝の記者で、今は不正輸出事件を追っていた。事件の重要人物が通う行きつけのクラブの情報を掴み、張り込んでいたのだ。
(店の看板も撮っておくか)
誰もいなくなったビルの前に近付く。
「ここは──」
クラブはビルの地下にあったが、それとは別にビルの五階に入居するテナントの名前を見てその偶然に成瀬は驚く。
──天つ使徒の教えの会教団本部──とあった。
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