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「え?」
まるで気配がなかったため、素頓狂な声が出た。驚いて振り返り声の正体を確かめる。
そして絶句した。その男が梟にとって最も関わりたくない人物であったからだ。
透明感のある滑らかな肌。色素が抜けたような灰色混じったサラサラの茶色の髪。1ヶ月前は青みがかった銀髪だったのにまた染めたの?──と打開策を見つけようとしていたはずの彼女の優秀な脳は、こんな時に限って余計な記憶を引き出し全く役に立たない。
それほど目の前に立つ男に魅入られているのだ。シュッとした形のいい眉、鼻筋の通った目鼻立ち。女が羨むほど長いまつ毛に、ハッキリとした二重まぶた、その中心で恐ろしいほど輝きを放つ漆黒の瞳。
血色のいい色っぽい唇は、声を発するために、たった今開かれたところだった。
「どうした、お前に話しかけてんだ。なんか言えよ」
「あ、どうぞ」
色艶を漂わせるよく通る声は、梟本人にその気がなくともすんなり承諾させてしまった。
(……馬鹿、どうぞじゃない!さっさと帰らないと"あの子達"が心配するのに)
いくら彼女が猛省しようとも事態は変わらない。はっとすると、男は右隣の席に腰を落ち着けたところだった。
その時梟は、初めて男と目を合わせた。混じり気のない暗黒色の双眼。相変わらず綺麗な瞳だと、惚けてしまうほどの美しさ。
「お前、名前は?」
しかし名前を訊かれて我に返って、自分を奮い立たせた。そうだ、自分は役者なのだ。今日はこの男に抱かれるチャンスを伺いに来店した、仕事帰りのキャバ嬢という設定。
なぜそんな緻密に設定を練ったのかと問われれば、ここに来店する客は一風変わっているからだ。
男なら大抵が闇に通じる人間。奴らは安全面を考え、身内が経営する店へ来る。女ならば、闇の世界の頂点に生きるこの極上の男に抱かれようと足を運ぶ。奴らは一瞬でもこの男というブランドにお近づきになれたと、自慢したいのだ。
「星奈……です」
生憎彼女は、毛ほどもこの男に抱かれたいとは思っていないが、万が一のことも考えて、こうやって偽名も考えていた。
この名は梟の大事な秘密から拝借したものだ。星奈と名乗るとおもしろおかしく、少しくすぐったいような心地に見舞われた。
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