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翌日も彼は来店した。その次の日も、また次の日も、決まった時間に。私がシフトに入っている日を把握しているのだろうか。それとも毎日来ているのだろうか。真理はわからないが、彼は決まった時間に来ては私を一目見てからコンビニ裏へと向かっていく。そして、私も彼の後を追って外へと出る。今ではそれが恒例となっていた。
「貴方こそストーカーじゃない」
「俺はただの店を利用してる客だぜ?」
ククッと喉から笑いを零す彼。人を小馬鹿にしたような笑い方に、少し青筋を立てる。
「皇だって、毎日俺の後を追ってるじゃないか。お互い様だ」
「それは……」
「監視目的だって言い張るか?」
彼に問われて、思わず口を噤む。何故私は肯定しないのだろう。無言でいては否定と捉えられてしまう。それなのに、何故私は一言そうだと言わないのか。
認めてしまえば、コンビニ店員として体裁を保てなくなるからだ。彼と話すことがいつの間にか日課になっていて、少しだけ心踊っているなんて……彼には知られたくない。
「肯定も否定もしないか……。ま、曖昧なままが良い時もあるさ」
「貴方は、たまにそんな顔をするわね」
虚ろげな瞳をして、何処か遠くを見つめている。彼が何を考えているのか、検討もつかない。たった数日、少しの時間を共にするだけの関係だ。
深く首を突っ込むべきではないと考える。しかし、思い詰めた表情を見せる回数が増していくのは気がかりでならない。
「お酒に酔ったふりで話してよ。その方がきっと楽になる」
柄にもないことを言ってしまった。それほどまでにアカギの浮かない表情が脳裏にこびりついているのだ。別れ際の小さなため息も、いつも耳に届いていた。
話し相手がそれだと、こちらまでもが暗い気分になってしまう。ただ、それだけ。彼のためなんかでは決してないと、頑なに思い込んだ。
「お嬢ちゃんには難しい話さ」
「だったら、ただの酔っ払いの戯言だと思って聞き流すよ」
「今日は随分と積極的じゃないか」
揶揄う様な声音に似合わない、鬱とした瞳。葛藤しているのがわかる。公に悩みごとを打ち明けないのは彼らしい。しかし、それで精神が壊れてしまったら元も子もない。
「……空っぽなんだよ」
カシュッと缶を開ける音が空を掠める。
「若い時は思うままに曲を作ってきた。頭に浮かんだメロディを片っ端から詰め込んで、勢いで作りあげていた。けどな、今は何も頭に浮かんでこねえ。白紙の楽譜だけが手元にあるんだ」
ごくっと勢いよく流れるアルコール。酒により赤く染った鼻と頬。水気を含んだ目は、酒のせいか泣いているせいか。
「依頼を無下にする訳にもいかない。俺が出来ないと断ったら事務所に傷がついて、仕事がこないかもしれない。何より、依頼先の事務所、アーティストの期待や信頼を裏切ることになる。“ここ”にいたら一度の失敗も許されないんだよ」
「自分の描きたい世界を音で色付けていた、あの頃の自分が羨ましいよ……。俺は、もう自分の音がわからなくなっちまったんだ……」
彼は残りのアルコールも全て流し込み、用が無くなった缶を地面に置いた。
「お嬢ちゃん、酔っ払いの戯言はクソみたいなもんだろ?笑ってくれてかまわない」
「笑えないわ」
「はは、そうかよ」
「笑えない。苦しんで、悩んでいる人を前にして笑える程、無神経な性格していないもの」
体裁なんて構わずに、アカギの手を握った。冷えきったアカギの手と心がじんわりと暖かくなっていく。
「いっそのこと笑い飛ばしてくれればって思ってたんだけどな……。皇は真面目なやつなんだな」
「今更気がついたの?」
クスリと鼻で笑い、口角を歪ませた皇。湿った空気が少しずつ晴れやかになっていく。
「私は音楽のこと詳しくはわからないけれど、手伝うことなら出来るわ。貴方の音楽を私に聴かせてちょうだい」
アカギは目を見張ると、ため息をついた。しかし、それは安堵の意を含んでいて、どこか嬉しそうだった。
「“お嬢ちゃん”にそんなこと言われるなんて、俺もまだまだだな」
「さっきから“お嬢ちゃん”って言うけど、私そんなに子供じゃないわ」
「俺からしたら子供さ。気が強いところなんて……怖いもの知らずの若者がすることだ」
アカギは再び遠い目をして、皇を一瞥する。
「だが、その若者に知恵を借りたいのも事実だ。皇、俺の音を一緒に探してほしい」
「いいわよ。その代わり、依頼料の三分の一は払ってもらいたいわね」
あからさまに顔を歪ませるアカギ。
「冗談よ」
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